「明日への遺言」

「明日への遺言」という映画を観ました。

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第二次世界大戦後、名古屋の住宅地一帯を無差別爆撃を実行したアメリカ軍搭乗員処刑の罪に問われ、戦犯裁判にかけられた元東海軍司令官・岡田資中将。空爆は軍事施設に限定した国際条約に違反した無差別爆撃を行なったアメリカ軍搭乗員はジュネーブ条約に規定された捕虜ではなく、戦犯であるという主張を一貫として行ない、法廷闘争を法による闘い―「法戦」と名づけ立ち向かう岡田資中将。

部下を守り、すべての責任は命令を下した自分にあるとする岡田氏の潔い姿は、次第にアメリカの検察官や裁判官をはじめ、法廷内、収容所内にいる人々の心を動かしていきます。

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そして、言い渡された判決。

死と向き合い、若い部下を思い、家族の行く末を思い、そして生命をかけて責任を果たした岡田資中将。

その日、立ち会った僧侶が「お別れです」と言葉をかけたのに対し、「なあに、ちょっととなりまで行ってくる気分ですよ」と言って処刑場へ消えた…

ほとんどのシーンが法廷での場面で、主演の藤田まことの迫真の演技が光りました。弁護士役のロバート・レッサー、検察官役のリチャード・ニールもいい味を出しています。

さまざまな偽装問題が毎日のように報道される現代。怒鳴るように言い訳する人々。自分さえ良ければいい、自分だけを大切にする、という風潮が強い世の中。家族の愛情に支えられ、一旦自分が背負った責任は最後まで果たそうとした岡田中将のような人は、現代社会にはいないように思います。

決して過去の話というだけで片づけるのではなく、私たちは社会に生きる以上、何かしらの責任があることを自覚する必要があるのではないでしょうか。

大人として、父として、母として、企業人として、社会人として…

岡田中将が単なる意地だけで主張していたのではなく、自ら信仰する仏教の教えに従い、お経を唱え、座禅を組み、瞑想をしながら自分の気持ちの糸を張り続けた姿には、学ぶものが多いと思います。

自分の主張だけをすればいい、というのが世の中の流れのようですが、私は重荷から逃げ回ることよりも、与えられた責任を最後までまっとうすることを選びたいと思います。

今、責任ある仕事をする上で、岡田中将の気持ちに少しでも近づきたいと思いました。

若い人たちにも観てほしい映画です。

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「犬と私の10の約束」

「犬と私の10の約束」という映画を観ました。

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人が犬と一緒に暮らす時の約束を「犬の気持ちからのお願い」という形で「犬の10戒」というのがあるそうです。それを紹介するサイトは世界に100万以上あるそうです。

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  1. わたしと気長につきあってください。
  2. わたしを信じてください。それだけでわたしは幸せです。
  3. わたしにも心があることを忘れないでください。
  4. 言うことを聞かない時は、理由があります。
  5. わたしにたくさん話しかけてください。人の言葉は話せないけど、わかっています。
  6. わたしをたたかないで。本気になったらわたしの方が強いことを忘れないでください。
  7. わたしが年をとっても、仲良くしてください。
  8. あなたには学校もあるし友だちもいます。でも、わたしには、あなたしかいません。
  9. わたしは10年くらいしか生きられません。だから、できるだけわたしと一緒にいてください。
  10. わたしが死ぬとき、お願いです。そばにいてください。そして、どうか覚えていてください。わたしがずっとあなたを愛していたことを。

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とても感動する映画でした。

人間よりもはるかに寿命が短い犬とのつき合いは、生まれる時から死ぬ日まで続きます。この10戒は、犬と人との約束だけではなく、人と人の約束でもあるように思えます。

特に、最後の10番目の約束は、逝く時に愛する人たちが見送ることの大切さを教えてくれます。

なぜ、つらい死に向き合わなければならない犬を人は家族にするのでしょうか。

映画の中で、主人公のあかりは犬のソックスをとても大切に可愛がります。しかし、中学、高校、大学と成長するにつれて、あかりの人生も多様になり、ソックスとのつながりは希薄になってしまいます。

しかし、ソックスはいつまでもあかりのことを待っています。獣医になったあかりがそのことに気がついた時、ソックスは天国へ旅立ちました。

ある意味では、大切な人との別れの練習を犬はさせてくれているのかもしれません。

すべての動物は、人と共存する生き物です。特に、犬や猫は、人と一緒に歩んできた歴史があります。そのことを深く考えさせられました。

私は、主演の田中麗奈さんと、父親役の豊川悦司さんの親子関係がとても印象に残りました。私は実生活では一応3人の娘の父親ですが、その役割をはたしているかというと、とても疑問です。山あり谷ありの親子の歴史を観たようです。

名作ではないかもしれませんが、とても素晴らしい作品でした。

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死刑は本当に必要なのか…

母子殺害事件の被告に死刑の判決が出たことにより、マスコミでさまざまな論調が流れています。

この事件の争点は、犯行当時未成年だった被告に極刑である死刑は妥当か、ということと、若い母親と幼い子どもを殺害した、という残虐性に対する死刑の意味ではないかと思います。

死刑を認める人の最大の主張は、犯罪の抑止力としての死刑を挙げます。また、殺人という罪を犯した者は、死をもって償わなければならない、という意見もあります。この事件の遺族も同様のことを記者会見で述べています。

一方、死刑廃止の主張は、死刑が犯罪の抑止にならないどころか、事件の真実を隠ぺいしてしまうと言います。確かに、小学校で生徒を多数死傷させた被告は、事件の真相や心の内側をまったく明かさないままに、世論の支持を受ける形で死刑になりました。

私も、もし最愛の家族が殺されるようなことがあれば、犯人は死刑にすべきだ、と声高々に言うかもしれません。

しかし、一時の感情だけで、極悪非道の人であっても、死刑という合法的に生命を奪い取ることは、はたして正しいことなのでしょうか。

論点から外れてしまうかもしれませんが、日本の刑事罰の場合、死刑の次に軽いのが終身刑ですが、実際には終身刑になった人が仮出所という形で社会に戻る場合があるようです。これが、死刑という足かせを外せない理由かもしれません。つまり、無期懲役と判決が出ても、本当の意味での終身刑ではないのです。

肉親を殺された遺族にとって、犯人が社会に帰って来るのは、感情的にも許せないでしょう。社会一般の人々にとっても、殺人を犯した人が10年や20年程度で刑務所を出て、社会復帰することに疑問を持つと思います。

死刑ではなく、生涯生き続ける中で罪を償う方法はないのでしょうか。「目には目を」「殺人には死刑を」という出口がない迷路の中をいつまでもさまよい続けることに、私たちはそろそろ考え直す時が来たのではないでしょうか。

本当の意味で、犯罪を抑止するには、厳罰化ではなく、犯罪を起こさせない社会の構築ではないかと思います。特に教育、心理学や心理療法に取り組む人は、それを考え実行する必要があるのではないかと思います。何もしないで、最初から諦めるのは終わりにしたい気持ちでいっぱいです。

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薬物汚染

新聞報道によれば、教育評論家の斎藤次郎氏とその長男らが、大麻所持の疑いで現行犯逮捕されたそうです。

斎藤氏と言えば、不登校や教育に関する書籍を多数執筆しており、私たちの世代にとっては教育のカリスマ的な存在でした。その氏が「普段から吸っていた」と自供しているということで、私の中で、また「信頼」という積木がガラガラと崩れてしまった感じがします。

覚せい剤、大麻などの違法薬物は、対岸の火事ではなく、どの人にも身近な問題であるということが言えるのでしょう。また、教育問題で多くの人々から支持されて来た斎藤氏のような人が大麻に手を出していた、という責任はとてつもなく大きいのではないでしょうか。ある意味、殺人よりも重い罪とも言えるかもしれません。

最近では、向精神薬であるリタリン(塩酸メチルフェニデート)がうつ病治療に乱用されているという実態が明らかになる報道もありました。リタリンは覚せい剤と似たような効果があり、乱用による依存者が急増しているそうです。ネット上でも不正な販売取り引きがされているのを見たことがあります。

アメリカでは、ADHD(注意欠陥多動性障碍)の治療薬としてリタリンが大量に、また広範囲に子どもたちに使用されていることが問題視されています。その裏では、医師と医薬品企業の癒着があるとも言われています。

私たちは、何かに依存したくなります。これは人間の弱さでしょう。しかし、違法薬物やリタリンなどの危険な薬物に染まることは、なんとしても防がなければなりません。斎藤氏には、反省・更正していただき、大麻汚染の恐ろしさを訴えてほしいと思います。

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9.11同時多発テロから6年

アメリカの同時多発テロから今日で6年。

この6年間は何だったのでしょうか。

終わりが見えないイラク、アフガニスタンの内戦状態。

毎日とびこんで来る「自爆テロ」のニュース。そのたびに、10人単位で尊い人の生命が奪われる。

劣化ウラン弾の後遺症に苦しむ子どもたち。迫り来る死の恐怖。

極限の状態から遠く離れた日本では、「国際貢献」という名のもとに、アメリカ軍の支援活動延長のための審議を「のん気」に始めようとしています。

国際紛争の解決の手段としての戦争がなくなることは、今の世界情勢からは考えられないことかもしれません。だから日本の憲法を改正して、自衛隊を正規の「自衛軍」にして、いつでも戦争ができるようにするべきだ、と考えている人が割とたくさんいるようです。

「人間の死」が、これほど軽くなってしまったのはなぜでしょうか。

たとえ人には「前世」があり、生まれ変わりがあったとしても、生命を軽く考えることには大反対です。戦争は人の生命を紙切れよりも軽くしてしまいます。そのことを今日考えてみました。

テロを終結させるための戦闘行為は無意味ではないか…

このことを一緒に考えてくれる方がいませんか。

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戦死者と戦没者

毎日新聞の8月23日付夕刊を読んでいて、「戦死者」と「戦没者」の違いがわかりました。

「戦死者」は、戦争においてみずからの意志で戦闘に参加して死亡した人のことを言うそうです。つまり、覚悟の死だということです。したがって、「英霊」という名のもとに、亡くなった後は「戦死者」として靖国神社に合祀されます。靖国神社は「戦死者」だけを慰霊する施設です。

「戦没者」は、心ならずも原子爆弾や空襲で死んだ人々のことで、戦闘員ではなく一般の市民が亡くなった場合に言います。戦闘員でも、輸送船とともに海の底へ消えた人たちは広い意味で「戦没者」になるそうです。「戦没者」は千鳥が淵戦没者墓苑で慰霊されています。

保守系の文化人や国会議員の方々は、戦没者より戦死者が格が上だと思っているそうです。みずから死を覚悟の上で戦った人は、「心ならずも死に追いやられた人―戦没者」よりも英雄であり、優れていると考えているそうです。

本当に、そう思いますか?

私は「卑怯者」と言われてもいいから、戦争になったら逃げる方でしょう。もちろん、家族や友人たちを守ることは忘れませんが、だからと言って戦闘者になって、勇敢に戦おうとは思いません。

「無駄死に」という言葉がありますが、戦闘で戦って死んだ人は意味のある死で、原爆で死んだ人は無駄死になのでしょうか。死に方にも格付けしたがる人の気持ちがわかりません。戦争によって死んだすべての人々は究極の悲劇であることに違いはありません。戦闘者だけを称える風習や考え方は、現代の社会の中にも割と多く見られます。私は非戦闘員の名誉を守りたいと思います。

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戦争を始めないために

暑い日が続いています。

今年も広島・長崎の原爆投下の日に続いて、終戦の日がやってきます。

広島における原爆投下後の庶民の生活を描いた映画「夕凪の街 桜の国」が上映されたり、テレビの特版ドラマで「はだしのゲン」が放映されたりと、最近は戦争の記憶を語り継ごうという意識が見られます。素直にとても大切なことだと思います。

はっきり言って、戦争などに行きたくない人がほとんどではないかと思います。

自分の家族が、自分の子どもが、戦争によって生命を落とすなど、絶対に反対だと考える人がほとんどではないかと思います。

しかし、現実には、ゆっくりと、眼に見えないように、社会は危険な方向へと向かっているように思われて仕方がありません。

職業として自衛隊を選ばれた方を非難するつもりはまったくありません。それなりの意志で国家を守る仕事を選択されたのでしょう。

でも、それほど国家というものは大切なのでしょうか。

先の大戦においても、国家を守る、という大義名分のために、どれだけ多くの生命が失われたことでしょう。日本人だけではなく、世界のたくさんの民族の生命が奪われました。

今こそ、もう一度、私たちは歴史に立つ人間として、戦争の永久阻止を後世に伝えなければならないのではないかと思います。

私が小学生の時、学校の先生方には戦中派が多く、担任の先生は特攻隊の生き残りでした。その先生方は、授業をつぶしてまで戦争の悲惨さを私たちに話して聴かせました。

戦争の悲惨さばかりを伝えることが良いことではない、と最近考えるようになりました。なぜなら私たちは、戦争の悲惨さを身をもって体験していないからです。戦争を体験された方からの伝承は大事なことです。体験者が高齢化で少なくなってきたことからも、それはきちんとやらなければならないと思います。

そして、私たちは戦後世代として、築き上げた文化や美しい地域社会を伝えることが大切だと思います。戦争はすべてを破壊します。今持っているひとりひとりの美しいものを壊さずに継承することも私たちの役割だと考えます。

時の首相は「美しい国」と言いますが、これは国家思想につながり、市民の意志・財産・生命は後回しにされ、戦争が始まれば真っ先に犠牲になります。間違わないようにしなければなりません。

私たちの言葉は弱く、つたないものです。しかし、志しを同じ人たちが手をつなぎ、少しでも大きな声をあげて行くことは大切だと思います。

(残念ながら、私は特定の政党・政治団体等には関係しておりません。かつて、ある政党に関わりを持って、大変に辛い思いをしたことがあります。したがって、政治からは距離を持っているのが私の姿勢です)

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戦争を忘れない日

  嬉しい?

  10年経ったけど
  原爆を落とした人はわたしを見て
  「やった! またひとり殺せた」
  とちゃんと思うてくれとる?

こうの史代原作「夕凪の街」のラスト近く、ヒロインの言葉です。

62年前の今日、広島に人類史上初めて原子爆弾が投下されました。ひとつの都市が一瞬にして壊滅し、たくさんの市民が亡くなり、今も後遺症に苦しむ人々が大勢います。国は被爆した人に対して原爆症の認定を事実上拒否しており、何ともやりきれない思いにさせられてしまいます。

東京は朝から太陽がさんさんと輝き、今日も暑い一日になりそうです。62年前の広島も同じだったのでしょうか。無差別に都市・市民を大量虐殺した原子爆弾の投下は、「戦争を早期に終結させるため」と一貫してその正当性を主張するアメリカ政府の言葉も虚しく聴こえるだけです。

それだけ人間は同じ人間に対して行なった残虐な行為を見て見ぬふりをし続けることができるのでしょうか。

このように原爆被害のことを書くと、必ず反論として日本軍による加害行為が言われます。戦争はどちららの人間も鬼にしてしまいます。どっちが悪いとか、聖戦とか、平和を守るための戦いだとか… 後からいくらでも付け足して言えることでしょう。

数年前から問題視されていますが、中学生や高校生に8月6日と9日は何の日か? と訊ねるとわからない子が圧倒的に多いそうです。学力向上とか、教育改革とか言う前に、私たちは子どもたちに歴史の中で何があったかを伝えるべきではないでしょうか。

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「いじめ」を考える

「いじめ問題と どう向き合うか」

尾木 直樹 著

岩波ブックレット№695 

2007年3月7日 発行

最近の「いじめ問題」について、わかりやすく解説された本です。

「いじめは加害者が100%悪い、たとえ被害者に問題はあったとしても、個人の人権は尊重されなければならない」という尾木氏の主張が本書の中で貫かれています。

近年の思春期(小学生高学年から高校生あたり)におけるいじめ問題は、被害者が時には加害者になったり、携帯電話の普及によりメールによる攻撃が頻繁に行われるなど、大人からは見えにくい実態があります。

いじめが原因による自殺の事実を隠蔽する文部科学省・教育委員会・学校関係者たちの姿勢は、市民だけでなく、子どもたちからも強い不信と絶望感を抱かせています。文科省大臣宛に子どもたちからの自殺予告の手紙が次々と送られたケースがこれを裏づけています。

組織としての管理体制が強化されつつあり、「教育再生会議」でも教師に対する過大な要求が高くなり、息苦しさが高まりつつある学校社会がいじめの根本的な原因のひとつであり、解決するのはかなり困難と言えるでしょう。例えば、いじめの根絶のために「いじめ件数半減」「不登校ゼロ」などと、すぐに数値的な目標が上から押しつけられているのが現状です。これが教師の人間としての感性とゆとりを奪い、逆にいじめを助長してしまうこともあるのです。

また、親の立場からの「いじめ」の予兆を見つけるための努力が求められます。いじめられている子どもは、必ず何かしらの兆候を示し、自殺も事前にサインが出ていると言われています。それを見逃さないための親の目が求められます。何でも学校の責任にして、糾弾するだけでは何の解決にもなりません。

また、私が保育園の保護者の方々と話していて一番気になることは、「小学校に入ったらいじめられないか心配です」と言う方は圧倒的に多いのですが、「いじめの加害者にならないか心配です」と言う方は皆無ということです。いじめの現実は、ひとり子が被害者にも加害者にもなる可能性が高く、昔のように非行に走る子だけが加害者という時代ではありません。いじめられないために加害者側に加わったり、傍観してしまう子はたくさんいるのです。そのことを私たちはもっと自覚しないといけないでしょう。

尾木氏があげる「いじめをする時期の加害者イメージ」として

  • わがまま
  • 自分がない
  • すぐにむかつく
  • かっこつけたがる
  • リーダー
  • 目立ちたがりや
  • 先生や上級生にうけがよい
  • 言葉が達者
  • 無責任で積極的
  • 明るい

この中で「リーダー」や「先生や上級生にうけがよい」「明るい」などは、一般的に良いイメージであり、いじめの加害者とは無縁のように思われるかもしれません。しかし、私が保育園の子どもたちの関係を見ていても、どの子どもでもいじめる側に加担してしまう可能性は否定できません。

反対にいじめを受けることを防止する方法は、ほとんどないと言っていいでしょう。何が原因でいじめが始まるか、誰にもわからないことなのです。したがって、いじめられる子どもを励ましたり、元気づけることよりも、いじめる子を生み出さない生活環境が絶対的に必要なのです。

いじめはなくすことはできない。これだけは言いたくないところです。

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いいんだよ。過去のことは。

いいんだよ。過去のことは。

「夜回り先生と夜眠れない子どもたち」

水谷 修 著

2004年 サンクチュアリ出版

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夜回り先生

夜回り先生

「夜回り先生」

水谷 修 著

2004年 サンクチュアリ出版

 夜回り先生、水谷修先生のことは、すでにテレビのドキュメンタリー番組などで、かなりの知名度があり、知っている方もたくさんいらっしゃると思います。

 私はこの本を初めて読んだ時に、とてもショックを受けました。

 そして、この現実が遠い世界の話ではなく、自分の子どもにも、受け持っている子どもにも起こりうる可能性があることを強く感じました。

 水谷先生は、私と同じ世代です。ひとりの子どもも見逃すことなく助けようとする、その姿勢に深く敬服します。「一人や二人を救ったところで焼け石に水にすぎない」というのが、普通の人の感覚ではないでしょうか。何もしないで言葉だけの教育者が多い世の中が間違っていると私は思います。

 新しい内閣が出発して、教育問題を政策課題としてあげているようです。しかし、水谷先生が立ち向かう、社会に食い物にされてしまった子どもたちのことを少しでも考えているのでしょうか。法律を変えることばかりに熱心になり、現実の世界を見る眼を失っていないでしょうか。

 わが身の保身ばかり考える人には、私はなりたくありません。

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「電池が切れるまで」の仲間たち

「電池が切れるまで」の仲間たち

『「電池が切れるまで」の仲間たち

 子ども病院物語』

宮本 雅史 著

2003年 角川書店

2006年 角川文庫

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電池が切れるまで

電池が切れるまで

「電池が切れるまで 子ども病院からのメッセージ」

すずらんの会 編

2002年 角川書店

2006年 角川文庫

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対馬丸 ―さようなら沖縄

「対馬丸 ~さようなら沖縄」

原作 大城 立裕(理論社 刊)

制作 対馬丸製作委員会

1982年作品Tsushimamaru アニメーション映画

 昭和19年、戦争はますます激しくなり、連合軍は沖縄に迫りつつありました。日本軍は沖縄が最後の決戦の場ととらえ、本土から軍隊を次々と送り込みました。

 一方で、沖縄から逃げ出す人も出始めました。また軍の方針で、子ども、一般人を九州や台湾に疎開させることになりました。そして、対馬丸もその疎開船のひとつだったのです。

 対馬丸(6754トン)は、1944(昭和19)年8月21日夕方、疎開学童、引率教員、一般疎開者、船員、砲兵隊員1788名を乗せ、同じように疎開者を乗せた和浦(かずうら)丸・暁空(ぎょうくう)丸と護衛艦の宇治(うじ)・蓮(はす)を含む計5隻の船団を組んで長崎を目指し出航しました。しかし翌22日夜10時過ぎ、鹿児島県・悪石島の北西10kmの地点を航行中、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け対馬丸は沈められてしまいます。建造から30年も経った老朽貨物船・対馬丸は航行速度が遅く、潜水艦の格好の標的だったのです。
ほとんどの乗船者は船倉に取り残されましたし、海に飛び込んだ人も台風の接近に伴う高波にのまれました。犠牲者数1418名(氏名判明者=2004年8月現在)。イカダにすがって漂流した人々は、付近の漁船や海軍の哨戒艇に救助されたほか、奄美大島まで流されるなどして生き延びたのです。(対馬丸記念館ホームページより)

 対馬丸の悲劇は、あまりにも有名な史実です。昨日紹介した「あゝひめゆりの塔」の中でも、対馬丸の悲劇が描かれていました。しかし、近年は忘れ去られてしまったような気がします。このように、非戦闘員であるたくさんの子どもや市民が何もわからないまま死んでしまった事実を後世に伝える必要があると思います。

 近代戦は、武器を持たない子どもを戦乱に巻き込むことが当たり前かのようになってしまいました。イラクも、レバノンも、まったく同じ状況です。

 少し前までは、この「対馬丸」を始め、「象のいない動物園」など、戦争による悲劇を伝えるための子ども向けアニメーションが製作されました。しかし、採算が取れないのか、最近はまったく見ることができなくなりました。

 この「対馬丸」も、かつて私は大勢の子どもを連れて、上映会へ連れて行ったことがあります。そのようなことも、遠い過去になってしまいました。

 今日、NHK教育テレビで、「対馬丸」が放映されました。

 対馬丸記念館が沖縄にあります。ぜひ訪れたいです。

 対馬丸記念館ホームページ

http://www.tsushimamaru.or.jp/index.html

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あゝひめゆりの塔

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「あゝひめゆりの塔」

1968年 日活作品

監督 舛田 利雄

出演 吉永 小百合、浜田 光夫、和泉 雅子、二谷 英明、乙羽 信子、渡 哲也 他

 昭和19年、太平洋戦争における米軍の反撃はさらに勢いを増し、当時戦争感の希薄だった沖縄も、陸海空にわたる米軍の巻き返しで激しい攻撃を受け始めていた。そんな中、沖縄師範女子部の与那嶺和子達は、一日の大半を陣地構築の作業に費やしていた。やがて、日本軍は連日の空爆に対して全島に非常戦時体制を敷き、女子学生は臨時看護婦として南風原陸軍病院に配置されることになった。昭和20年4月、ついに米軍は沖縄に無血上陸し、地上戦が激化。日本兵は後退を余儀なくされ、陸軍病院も南へと移動、それぞれが運命の覚悟を決めるときが訪れる…。
 太平洋戦争で唯一の地上戦を経験した沖縄で、"ひめゆり部隊"として戦火に散った少女達の姿を描いた悲劇。舛田利雄監督が事実に基づき、少女達のはかない青春譜を反戦的視点で叙情的に描き出している。 (DVDの説明より)

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 戦争の悲惨さを伝え続けるという意味において、沖縄戦とひめゆり部隊の事実は、外すことはできません。私は沖縄に行ったことがありません。しかし、いつかひめゆり部隊全滅の地を訪れたいと思います。

 映画は、師範学校の生徒たちの日常が描かれた、のどかな前半部分と、激戦の中つぎつぎと仲間が倒れていく後半は、まさに天国と地獄です。運命の終盤、なぜひめゆり部隊の生徒たちは自らの命を絶たなければならなかったのか。その場にいない私たちにとっては、永遠に理解できないことかもしれません。

 しかし、一度戦争が始まれば、そこは狂気の世界であり、言いたい事も言えず、ただ軍の命令に従うほかないのでしょう。このことは、その後の歴史においても変わることがない悲劇です。

 10代の少女たちが、その短い人生を戦争という狂気に踏みにじられた事実を私たちはわすれてはいけません。

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西部戦線異状なし

西部戦線異状なし

「西部戦線異状なし」

1930年 ユニバーサル映画

原作 エリッヒ・マリア・レマルク

監督 ルイス・マイルストン

出演 リュー・エアーズ、ルイス・ウォルハイム 他

第三回アカデミー賞 作品賞・監督賞受賞

 レマルクの名作を映画化したもので、80年近く前に制作・上映された作品です。

 第一次大戦下のドイツ国内と戦場が舞台です。ドイツ軍兵士が街の中を行進し、戦場へ向かい、市民が歓声をあげて送り出す冒頭のシーンは、日本の戦時ニュースと錯覚するかのようです。

 学生のポールは、教授の扇動に誘われるまま、仲間の学生たちと軍隊に志願します。そして過酷な訓練を受け、戦場へと向かいます。そこでポールたちを待ち受けていたものは…

 敵味方にわかれての塹壕戦は、双方数多くの戦死者を出します。次々と兵士を殺す機関砲。突撃して終わることのない白兵戦。現代のハイテク戦争とはかなり違いますが、戦争の醜さ、恐ろしさがそこに展開されます。

 ひとり、またひとりと仲間が戦死し、ポールは何を考えたのでしょうか…

 この舞台となった戦争からわずか数十年後に、第二次世界大戦が勃発します。そして、現在のイラク内戦まで、人類史上戦争が無かった時代はありません。

 あと何人死んだら、人間は兵器を置くのでしょうか。そんなことを考えさせられる映画でした。

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広島・長崎 原子爆弾の記録

広島・長崎  原子爆弾の記録

「広島・長崎 原子爆弾の記録」

編集・発行 子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会 1978年

 この写真集はおよそ25年前に購入したので、今では発売されていないかもしれません。日本人のカメラマンによる被爆直後の広島・長崎の街の悲惨なようすがわかります。

 また、被爆した人が手当てを受けている場面、アメリカ軍の調査団によって撮影された写真など、歴史を知る上で貴重な記録写真集です。

 上の写真は、長崎で被爆の翌日に爆心地近くの避難所で撮影されました。支給されたおにぎりを持って、ぼう然と立ちつくす男の子。実は、この男の子の向かって右側に母親らしき人が写っています。その顔はぼろぼろの包帯で巻かれていました。

 ほとんどの写真はモノクロの上、放射線の影響か、白く感光しているものもあり、よくわかりにくい写真もあります。被爆した人の写真は、真っ黒に写っていますが、実際は赤く、血に染まっていたのかもしれません。男の子の写真は、写真集の表紙にもなりました。

 私は、この写真集を見るときは、自然と正座をしてしまいます。歴史のある一通過点の出来事にしか過ぎませんが、あまりにも大きなあやまち、あまりにも悲しい事実、そして忘れてはいけない原子爆弾の記録です。

 最初は、保育園の子どもたちに見せようと思って購入しましたが、ついに今まで一度も見せたことはありませんでした。見せたのは、自分の三人の子どもだけです。

 あまりにもひどい惨状がページをめくるたびに次々と現われ、正視にたえかねないものばかりなので、今まで私は見せるのをためらってしまいました。救護所に運ばれた、全身の皮膚がめくれ、焼け焦げ、虫の息になっている少女の写真は、イラクで建物のがれきの中から救い出された少女の遺体の写真を思い出させました。

 これからも、この写真集を見せるかどうするかは、まったくわかりません。

 しかし、日本人のみならず、世界の人々が、そして政治家も軍人も、この歴史の事実を正面から見てほしいと思います。核兵器の開発、核兵器の拡散は、もはや止められないところまで来ているのが現実です。でも、この写真集を見て、いかに人類文明は、間違った道を進んでいるのか、考えてほしいと思います。

 自由で民主的と自負するアメリカでは、広島・長崎の被爆の写真を見たことがない人が圧倒的だそうです。イラク戦争の報道もかなり規制されていると聞きます。こんなことでいいのか、という憤りを感じます。

 そして何よりも、広島・長崎の歴史を風化させないことが大切だと思います。日本人の子どもでも、原子爆弾投下の事実を知らないようです。やはり、こんなことでいいのか、と思います。

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61年目のヒロシマ、そして平和

 今日は、広島に原子爆弾が投下されてから61年目の日を迎えました。

 私も含め、戦後生まれが日本人の多くを占める中で、私たちはあらためて人類のあやまちを考える日でもあります。

 核兵器をめぐる国際情勢は、平和への願いとはかい離しています。インドのように、「核兵器を持つことが国際舞台での地位を確保するのだ」と胸を張って発言する時代です。そのような地球人類が、いつ、またあやまちを繰り返し、多くの人が死に、苦しむ時がやって来る危険性は限りなく現実的であるといわざるを得ません。

 私たちにできることは、平和を後世に向かって訴え続けることしかありません。草の根から、子どもたちに、戦争の恐ろしさ、核兵器の悲惨さ、そして人間の愚かさを伝えていかなければならないと思います。そのための努力を惜しんではいけません。

 平和はダサいもの、カッコ悪いもの、退屈なもの、かもしれません。しかし、戦争は狂気です。決してかっこいいものではありません。兵器は人の生命を奪うものです。正当化されるものではありません。

 自衛隊が戦地イラクへ派遣され、日本は軍事大国へと道を進んでいます。

 もっと大切な、別のことをやるべきではないでしょうか。

 昨日の報道によれば、広島・長崎で被爆し、被爆者手帳を持つ人は約26万人いるそうです。しかし、月額137000円の医療特別手当が支給される原爆症認定者は、約0.9%の2280人しかいません。これは、意図的に国家が認定申請を却下しているためです。各地で被爆者が認定をめぐっての訴訟を起こしています。

 被爆手帳を持っているのに、原爆症と認めない。誰が考えてもおかしな話です。

 冷戦時代の遺物である自衛隊の米軍製攻撃ヘリは一機100億円と言われています。なぜ、弱い立場の人たちにお金を使わないのでしょうか。なぜ兵器に湯水のようにお金を使うのでしょうか。

 国家・政府・与党がやっていることを私たちは真剣に見つめなければなりません。選挙で、いくら平和を叫んでも、現実はこの通りなのです。

 私たちは、平和のための真実を探しましょう。 

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ピカドンたけやぶ

ピカドンたけやぶ

「ピカドンたけやぶ」

はら みちを 作・絵

岩崎書店 1983年

 原子爆弾の投下によって被爆した人々が、竹やぶに避難して来ました。多くの人は、水や食料を求めながら、そこで死んでいきました。しかし、奇跡的に回復した子どももいました。

 この絵本は、広島に実在する竹やぶを題材にしたもので、原爆の恐ろしさを強く訴えています。

 私は、戦争や原爆をテーマにした絵本を数多く読んで来ましたが、保育園の子どもたちに読み聞かせをしたことは、あまりありません。

 純真無垢な子どもたちに、戦争の悲惨な絵や写真を見せても、理解ができないので、無意味などころか、間違った恐怖感を与えかねない、という批判を聞かされたことがあります(話されたのは、現在勤務する保育園の園長先生です)。

 本当にそうでしょうか?

 今回、私はこの「ピカドンたけやぶ」を子どもたちに読むにあたって、次のようなメッセージを子どもたちに伝えました。

 「先生たちは、いま大人だけど、絶対に戦争はやりません。だから、みんなが大人になった時も、戦争をしないでください。爆弾を落としてたくさんの人が死んだりすることをしないでください。人を殺すようなことをしないでください」

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プール事故から子どもを守るために

 埼玉県ふじみ野市の市営プールで、小学二年生の女の子が吸水口に吸い込まれて死亡する、という事故が起きました。

 原因を追及する中で、管理責任を問われる「人災」であることがわかってきました。

 水の事故は、即死亡につながります。海や川だけではなく、プールも十分に注意する必要があります。

 そのプールが安心して入ることができるかどうか、チェックするポイントはいくつかあるのではないかと思います。

 私は、監視員の数があげられると思います。監視員を雇うことは、多額の人件費を必要とします。また、経営側からすれば、経費の節減で最もやれることが人件費です。したがって、安全を重視した経営姿勢は、どれだけ監視員の体勢を整えることができるかどうか、ということになると思います。

 必要以上に配置されているような印象を受けるプールは、実際に存在します。しかし、それだけ安全の体勢が確保されていると判断することもできるでしょう。

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子どもの命は誰のものか?

 新聞報道によれば、大阪市にある淀川キリスト教病院で、治る見込みがない重い病気で死期が迫った赤ちゃんについて「あと一、二時間以内」と判断した時点で、両親の希望を受け、すべての延命治療を中止していました。その数は、昨年までの七年間で八人。親が赤ちゃんを抱っこして安らかな最期を迎えられるようにするためで、同病院では「看取(みと)りの医療」と考えています。

 これまであまり注目されることがない、新生児の終末期医療の在り方を問いかけるものとして、この問題は十分に考える必要があると思います。

 新生児の重い病気としては、無脳症などの致死的奇形や脳室内出血などがあるそうです。

 胎児期・新生児期の赤ちゃんは、本人の意思を確認することができません。したがって、その生死も含めて、医療の選択の決断を下すのは両親です。

 しかし、すべての決断を両親にゆだねるのは問題があるかもしれません。両親の意向は、時には自身の都合の良い解釈になってしまうこともあります。また、倫理という問題もあります。

 例えば、命を救うことができても、重い障碍が残ってしまう場合は、どうするのでしょうか。生まれてくる子が、これから育つ子どもが障碍がある、という問題は、両親に十字架を背負わせること、と考えることもできます。

 どの選択が正しいのかは、まったくわかりません。

 しかし、この病院のように、小さな子どもがベットに固定され、チューブや管を差し込まれたまま終末の時を迎えるよりは、家族の手によって抱かれ、包まれるようにして最期を迎えることを選択できることは、赤ちゃんにとっても、家族にとっても幸せなのではないかと思います。

 診断があいまいだったり、治療が間違っていた、などというのは論外です。また、助かる命を親の都合で消してしまうことも許されることではありません。

 しかし、真実の苦しみは当事者にしかわからないことなのです。

 同病院では、治療方針が看護師やソーシャルワーカーも含む医療チームで論議し、両親とも話し合いで決定しているそうです。今後も、十分に論議を重ねて、本当に命を大切にする医療が行なわれてほしいと思います。

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