大古誠司、森田淳悟、横田忠義―
この三人の名前を覚えている方もいらっしゃるでしょう…
1972年、西ドイツ(当時)・ミュンヘンで開催されたオリンピック。
日本男子バレーボール・チームは、決勝戦で東ドイツ(当時)をセットカウント3―1で破り悲願の優勝・金メダルを獲得しました。
その時の主力選手が、大古、森田、横田の三人でした。
当時、中学生になったばかりだった私は、彼らの活躍に刺激されて、みずからバレーボールを始めました。
圧倒的な強さ、「速攻コンビネーション・バレーボール」と言われた多彩な攻撃は、現在の日本代表チームをもってしても、まねることができない、史上最強のチームだったと思います。
今のバレーボールの攻撃パターンは、オープン、クイック、時間差攻撃、バック・アタック、移動攻撃、そしてジャンプ・サーブでしょうか。
ミュンヘン・オリンピック当時の日本代表チームは、ジャンプ・サーブ、バック・アタックはありませんでした。
しかし、オープンや時間差攻撃の他に、A,B,C,Dの4種類のクイック攻撃、一人時間差攻撃、ダブルB、トリックB攻撃、Z攻撃、そしてドライブ・サーブと今からでは想像もできないほどの攻撃パターンを持っていました。
これも、すべては身長が高く、上背もパワーもまさる外国のチームと戦うための方策だったのです。このあたりの事情は、今も変わらないと思います。変わったのは、「速攻コンビネーション」で日本が金メダルを獲得したことにより、他の国のチームも速攻や多彩や攻撃を取り入れたことでしょう。
男子バレーボールは、このミュンヘン大会の金メダルを最後に、メダルを取れないどころか、オリンピックの出場権すら取れないのが現状です。
アイドル歌手を繰り出して、派手な声援とテレビ局のバックアップがあっても、昨年の世界選手権を始め、現在の日本代表チームは世界で8位から10位くらいです。
金メダルの感動を知っている人々にとってはさびしいかぎりです。
その金メダルチームの選手たちが、いわゆる「団塊の世代」だったことを最近の新聞記事で、あらためて知りました。
横田選手は、腰痛をおして試合に出続けたために、その後身体を壊し、今はリハビリの毎日だそうです。
セッターだった猫田選手はすでに他界しました。
ミュンヘン・オリンピックから7,8年後、監督だった松平康隆氏の講演を聴いたことがあります。高度成長時代、生活のすべてをバレーボールにかけることができたからこそ、金メダルが取れたと言いました。
アイドルとなった選手には、かつての闘争心を求めても無理なのかもしれません。