「クライマーズ・ハイ」

「クライマーズ・ハイ」という映画を観ました。

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1985年8月12日。

日本航空123便の事故から、今年で23年が経過しようとしています。

この映画は、日航機が墜落した群馬県にある新聞社の記者たちの姿を描いています。

遊軍記者・悠木(堤真一)は、日航機がレーダーから消えた時、デスクの全権を任されることになります。

なかなか特定しない墜落現場。行き交う情報。新聞記者たちの命がけの一週間が始まりました。

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地獄と化した現場での取材。極限での記事の作成。さまざまな利権が入り乱れ、新聞が出来上がっていきます。

そして飛び込んできたスクープ。事故原因。悠木はそれを記事にする決断に迫られます。

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これは日航機墜落事故を通しての、ひとりの男の生きざまを描いた映画です。

ラストで記者(堺雅人)が読み上げた乗客の遺書。

「今まで本当に幸せな人生だった」

このひと言が胸に刺さりました。私は極限の状態、まさに死を迎える時に、「今まで幸せだった」と言えるでしょうか…

言えない。

それが本当の気持ちです。

自分自身の生き方を問い直し、再生するきっかけを与えてくれたような作品でした。

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「明日への遺言」

「明日への遺言」という映画を観ました。

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第二次世界大戦後、名古屋の住宅地一帯を無差別爆撃を実行したアメリカ軍搭乗員処刑の罪に問われ、戦犯裁判にかけられた元東海軍司令官・岡田資中将。空爆は軍事施設に限定した国際条約に違反した無差別爆撃を行なったアメリカ軍搭乗員はジュネーブ条約に規定された捕虜ではなく、戦犯であるという主張を一貫として行ない、法廷闘争を法による闘い―「法戦」と名づけ立ち向かう岡田資中将。

部下を守り、すべての責任は命令を下した自分にあるとする岡田氏の潔い姿は、次第にアメリカの検察官や裁判官をはじめ、法廷内、収容所内にいる人々の心を動かしていきます。

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そして、言い渡された判決。

死と向き合い、若い部下を思い、家族の行く末を思い、そして生命をかけて責任を果たした岡田資中将。

その日、立ち会った僧侶が「お別れです」と言葉をかけたのに対し、「なあに、ちょっととなりまで行ってくる気分ですよ」と言って処刑場へ消えた…

ほとんどのシーンが法廷での場面で、主演の藤田まことの迫真の演技が光りました。弁護士役のロバート・レッサー、検察官役のリチャード・ニールもいい味を出しています。

さまざまな偽装問題が毎日のように報道される現代。怒鳴るように言い訳する人々。自分さえ良ければいい、自分だけを大切にする、という風潮が強い世の中。家族の愛情に支えられ、一旦自分が背負った責任は最後まで果たそうとした岡田中将のような人は、現代社会にはいないように思います。

決して過去の話というだけで片づけるのではなく、私たちは社会に生きる以上、何かしらの責任があることを自覚する必要があるのではないでしょうか。

大人として、父として、母として、企業人として、社会人として…

岡田中将が単なる意地だけで主張していたのではなく、自ら信仰する仏教の教えに従い、お経を唱え、座禅を組み、瞑想をしながら自分の気持ちの糸を張り続けた姿には、学ぶものが多いと思います。

自分の主張だけをすればいい、というのが世の中の流れのようですが、私は重荷から逃げ回ることよりも、与えられた責任を最後までまっとうすることを選びたいと思います。

今、責任ある仕事をする上で、岡田中将の気持ちに少しでも近づきたいと思いました。

若い人たちにも観てほしい映画です。

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オリンピックへの失望感

子どもの頃は、オリンピックに対する期待と高揚感があったことを覚えています。

最も古い記憶は、1964年の東京オリンピックでした。その後、1968年のメキシコ大会を経て、1972年にはドイツのミュンヘンで開催されました。

ミュンヘンオリンピックの当時、私は中学生でバレーボールをやっていました。日本の男子チームが全盛期を迎え、今では信じられないことですが、みごとに金メダルをとりました。準決勝の「ブルガリア戦の大逆転」などは、夜中までテレビの前にクギ付けになって観たものです。当時世界一速いと言われた森田選手のドライブサーブをまねしたり、嶋岡選手のサーブを研究したものです。

娯楽が少なかったと言えばそれまでですが、4年に一回のオリンピックは、スポーツ少年にとって、大きな祭典でした。

その後、1976年のモントリオール大会では、体操のコマネチ選手が活躍しました。

しかし、華やかな裏では、オリンピックは確実に政治と戦争によって崩壊への道を歩んでいたしのです。

72年のミュンヘン大会ではパレスチナゲリラによるイスラエル選手団の虐殺事件が起き、モントリオール大会では台湾の参加が中国の政治的圧力によって取り消され、80年のモスクワ大会はソビエトのアフガニスタン侵攻に抗議して、日本を含む西側諸国が参加をボイコットしました。その後もオリンピックと政治は深く根が絡み合って現在に至っています。

そして、今回の北京大会を前にして、チベット問題が世界から注目されています。聖火リレーへの抗議の妨害行動、それを阻む大警備陣、ナショナリズムまる出しの中国人たち。

オリンピックに政治を持ち込んではいけない、とよく言いますが、政治の方が勝手にどんどん踏み込んでしまっているのが事実です。

オリンピックを国威発揚の場とし、民衆のナショナリズムを喚起させ、外国の意見にはまったく耳を貸さない、という国の姿は、ナチスドイツによって開催された1936年のベルリンオリンピックを思い出させます。

もう、オリンピックに対する想いは虚しくなってしまいました。東京で再びオリンピックを開催する意味もないと思います。国と国が競うことは、マイナスばかりではないかもしれませんが、政治や戦争とセットになっている以上、もうやめた方がいいと思います。

愚かなオリンピックには興味がありません。むしろ、嫌悪感を覚えます。

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金龍小学校の想い出

金龍小学校の想い出

押入れを整理していたら、古い一冊の本が出てきました。

「金龍小学校50年史」

私が卒業した東京都台東区にある、区立金龍小学校は、開校したのが明治45年です。この本は昭和38年に刊行された、と書いてあります。
小学校の名前は、「金龍山浅草寺」から取ったものだと思われます。

金龍小学校の想い出

私が昭和41年に入学した時も、写真の校舎でした。戦前からの建物で、昭和20年3月10日の東京大空襲の時は、周囲が焼け野原になるも、奇跡的に延焼を免れたそうです。

それだけに、重々しく、どこか暗い感じの校舎でした。
階段も廊下や教室の床が、油のぬった木だったのを覚えています。歩くと、ギシギシときしむ音がしました。

先生方は大変厳しくて、6年生の担任だった先生は特攻隊帰りの軍国主義を絵に描いたような方でした。なぐられることもたびたびあり、今からでは信じられないことですね。
いじめもありましたが、今のような陰湿さはなかったように思います。

オイルショック以前の高度成長時代だったので、とにかく勉強してテストでいい点をとることが、唯一の幸せな道だと信じられていました。
その何年も後に校内暴力が全国的に問題になりますが、まだまだこの頃の小学校はのどかでした。

校舎の前には「都電」という名前の路面電車が走っていました。自動車もたくさん走っていて、交通事故もかなり多くなりました。

勉強は苦手でしたが、大人になることが、夢でいっぱいの時代でした。

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「父と暮らせば」

「父と暮らせば」

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原作:井上ひさし

監督:黒木和雄

出演:宮沢 りえ/原田 芳雄/浅野 忠信

2004年 日本映画

広島に原爆が投下されてから三年。生き残った娘と、被曝して死んだ父親との交流と日常を描いた映画です。

Intro

自分だけが幸せになってはいけない、と芽生える愛をかたくなに否定しようとする娘。この世に戻ってきて、娘の恋愛を後押ししようとする父親。二人のほのぼのとした会話のやりとりと、原爆の悲惨さが対象的です。

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自分だけが生き残ってしまった、という自虐的な思いは、何ともせつなく、悲しい影を引きずっています。数え切れない多くの人が原爆で亡くなり、またたくさんの人が生を背負って戦後の日本で生き続けました。

決して自分が悪いわけではないのに、一瞬のせん光の中で死んでしまった方がよかったと思ってしまうことは、戦争の愚かさだけでなく、人としての生きる苦しみを誰もが抱えていることをおしえてくれます。

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多くの方に観ていただきたい作品です。

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9.11同時多発テロから6年

アメリカの同時多発テロから今日で6年。

この6年間は何だったのでしょうか。

終わりが見えないイラク、アフガニスタンの内戦状態。

毎日とびこんで来る「自爆テロ」のニュース。そのたびに、10人単位で尊い人の生命が奪われる。

劣化ウラン弾の後遺症に苦しむ子どもたち。迫り来る死の恐怖。

極限の状態から遠く離れた日本では、「国際貢献」という名のもとに、アメリカ軍の支援活動延長のための審議を「のん気」に始めようとしています。

国際紛争の解決の手段としての戦争がなくなることは、今の世界情勢からは考えられないことかもしれません。だから日本の憲法を改正して、自衛隊を正規の「自衛軍」にして、いつでも戦争ができるようにするべきだ、と考えている人が割とたくさんいるようです。

「人間の死」が、これほど軽くなってしまったのはなぜでしょうか。

たとえ人には「前世」があり、生まれ変わりがあったとしても、生命を軽く考えることには大反対です。戦争は人の生命を紙切れよりも軽くしてしまいます。そのことを今日考えてみました。

テロを終結させるための戦闘行為は無意味ではないか…

このことを一緒に考えてくれる方がいませんか。

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戦死者と戦没者

毎日新聞の8月23日付夕刊を読んでいて、「戦死者」と「戦没者」の違いがわかりました。

「戦死者」は、戦争においてみずからの意志で戦闘に参加して死亡した人のことを言うそうです。つまり、覚悟の死だということです。したがって、「英霊」という名のもとに、亡くなった後は「戦死者」として靖国神社に合祀されます。靖国神社は「戦死者」だけを慰霊する施設です。

「戦没者」は、心ならずも原子爆弾や空襲で死んだ人々のことで、戦闘員ではなく一般の市民が亡くなった場合に言います。戦闘員でも、輸送船とともに海の底へ消えた人たちは広い意味で「戦没者」になるそうです。「戦没者」は千鳥が淵戦没者墓苑で慰霊されています。

保守系の文化人や国会議員の方々は、戦没者より戦死者が格が上だと思っているそうです。みずから死を覚悟の上で戦った人は、「心ならずも死に追いやられた人―戦没者」よりも英雄であり、優れていると考えているそうです。

本当に、そう思いますか?

私は「卑怯者」と言われてもいいから、戦争になったら逃げる方でしょう。もちろん、家族や友人たちを守ることは忘れませんが、だからと言って戦闘者になって、勇敢に戦おうとは思いません。

「無駄死に」という言葉がありますが、戦闘で戦って死んだ人は意味のある死で、原爆で死んだ人は無駄死になのでしょうか。死に方にも格付けしたがる人の気持ちがわかりません。戦争によって死んだすべての人々は究極の悲劇であることに違いはありません。戦闘者だけを称える風習や考え方は、現代の社会の中にも割と多く見られます。私は非戦闘員の名誉を守りたいと思います。

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戦争を始めないために

暑い日が続いています。

今年も広島・長崎の原爆投下の日に続いて、終戦の日がやってきます。

広島における原爆投下後の庶民の生活を描いた映画「夕凪の街 桜の国」が上映されたり、テレビの特版ドラマで「はだしのゲン」が放映されたりと、最近は戦争の記憶を語り継ごうという意識が見られます。素直にとても大切なことだと思います。

はっきり言って、戦争などに行きたくない人がほとんどではないかと思います。

自分の家族が、自分の子どもが、戦争によって生命を落とすなど、絶対に反対だと考える人がほとんどではないかと思います。

しかし、現実には、ゆっくりと、眼に見えないように、社会は危険な方向へと向かっているように思われて仕方がありません。

職業として自衛隊を選ばれた方を非難するつもりはまったくありません。それなりの意志で国家を守る仕事を選択されたのでしょう。

でも、それほど国家というものは大切なのでしょうか。

先の大戦においても、国家を守る、という大義名分のために、どれだけ多くの生命が失われたことでしょう。日本人だけではなく、世界のたくさんの民族の生命が奪われました。

今こそ、もう一度、私たちは歴史に立つ人間として、戦争の永久阻止を後世に伝えなければならないのではないかと思います。

私が小学生の時、学校の先生方には戦中派が多く、担任の先生は特攻隊の生き残りでした。その先生方は、授業をつぶしてまで戦争の悲惨さを私たちに話して聴かせました。

戦争の悲惨さばかりを伝えることが良いことではない、と最近考えるようになりました。なぜなら私たちは、戦争の悲惨さを身をもって体験していないからです。戦争を体験された方からの伝承は大事なことです。体験者が高齢化で少なくなってきたことからも、それはきちんとやらなければならないと思います。

そして、私たちは戦後世代として、築き上げた文化や美しい地域社会を伝えることが大切だと思います。戦争はすべてを破壊します。今持っているひとりひとりの美しいものを壊さずに継承することも私たちの役割だと考えます。

時の首相は「美しい国」と言いますが、これは国家思想につながり、市民の意志・財産・生命は後回しにされ、戦争が始まれば真っ先に犠牲になります。間違わないようにしなければなりません。

私たちの言葉は弱く、つたないものです。しかし、志しを同じ人たちが手をつなぎ、少しでも大きな声をあげて行くことは大切だと思います。

(残念ながら、私は特定の政党・政治団体等には関係しておりません。かつて、ある政党に関わりを持って、大変に辛い思いをしたことがあります。したがって、政治からは距離を持っているのが私の姿勢です)

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「イエスの生涯」

「イエスの生涯」
「イエスの生涯」

エルネスト・ルナン 著

忽那 錦吾/上村 くにこ 訳

2000年8月20日初版

人文書院 発行

著者のルナンは19世紀のフランスの学者です。この書は今から140年程前に書かれました。

とても読みやすい文章で、イエスの生い立ちからていねいに描かれていて、深い感銘を受けた一冊となりました。

フランスでは現在でも何百刷と読み継がれている名著だそうです。作者のルナンは初期キリスト教の歴史を膨大な書物に書き、本書はその第一巻になります。

この著作が日本では一般の出版社から刊行されたことは注目されることでしょう。つまり、キリスト教専門の出版社からではない、ということです。キリスト教関係の方に直接聴いてみた訳ではありませんが、信者の方にとっては、この書籍はもしかしたら無視するものなのかもしれません。

「イエスの生涯」というタイトルですが、聖書に書かれたことがすべてここに表されているわけではありません。まず、イエスが起こしたとされる奇跡の数々―湖の上を歩いたり、死者を甦らせたり、というエピソードはまったく書かれていません。また、物語の最後はイエスの処刑で終わっており、その後の「復活」は描かれていません。できるだけ生のイエスに迫ろうとしているルナンの意気込みがうかがわれます。しかし、このあたりは、信者の方にとっては許せないのかもしれません。

訳者の解説によれば、作者のルナンはイエスとキリスト教を大変愛していたそうです。

この書物は、イエスを身近に感じるものとして、私はとても素晴らしい本だと思います。数々の挿絵も感銘を受けました。読み終えていっそうキリスト教に関心を持つことができたと思います。今は続編を読み始めました。

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戦争を忘れない日

  嬉しい?

  10年経ったけど
  原爆を落とした人はわたしを見て
  「やった! またひとり殺せた」
  とちゃんと思うてくれとる?

こうの史代原作「夕凪の街」のラスト近く、ヒロインの言葉です。

62年前の今日、広島に人類史上初めて原子爆弾が投下されました。ひとつの都市が一瞬にして壊滅し、たくさんの市民が亡くなり、今も後遺症に苦しむ人々が大勢います。国は被爆した人に対して原爆症の認定を事実上拒否しており、何ともやりきれない思いにさせられてしまいます。

東京は朝から太陽がさんさんと輝き、今日も暑い一日になりそうです。62年前の広島も同じだったのでしょうか。無差別に都市・市民を大量虐殺した原子爆弾の投下は、「戦争を早期に終結させるため」と一貫してその正当性を主張するアメリカ政府の言葉も虚しく聴こえるだけです。

それだけ人間は同じ人間に対して行なった残虐な行為を見て見ぬふりをし続けることができるのでしょうか。

このように原爆被害のことを書くと、必ず反論として日本軍による加害行為が言われます。戦争はどちららの人間も鬼にしてしまいます。どっちが悪いとか、聖戦とか、平和を守るための戦いだとか… 後からいくらでも付け足して言えることでしょう。

数年前から問題視されていますが、中学生や高校生に8月6日と9日は何の日か? と訊ねるとわからない子が圧倒的に多いそうです。学力向上とか、教育改革とか言う前に、私たちは子どもたちに歴史の中で何があったかを伝えるべきではないでしょうか。

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地下鉄に乗って

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「地下鉄(メトロ)に乗って」

出演:堤 真一、岡本 綾、大沢たかお、常盤貴子、吉行和子、他。

監督:篠原哲雄

制作プロダクション:ディステニー

2006年 日本映画

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ロードショウ公開を見逃してしまい、DVDで観ることができました。

主人公の長谷部真次(堤真一)と恋人の軽部みち子(岡本綾)は、地下鉄の駅や電車からタイムスリップをして、過去と現在を行き来します。その中で、真次は増悪を抱いていた父親の若い頃に出会い、戦中・戦後を生き抜いた姿を見ることになります。みち子も自分の若き母親と再会し、その愛情を確かめることによって、新たなる次元への決断を迫られることになります。

あまりにもせつなく、あまりにも懐かしい思い出にひたされるドラマです。とても感動しましたが、ラストが悲しい一面があり、正直オススメするには、ちょっと辛い感じがします。

先日のクラス会を含め、最近は過去をふり返ることが多いような気がします。この映画の過去の時代も、最初は東京オリンピック直前の昭和30年代後半です。私はオリンピックのことをよく覚えていて、この映画を観ながら自分もタイムスリップしてしまったような錯覚になってしまいました。

一昨日、研修で都内に出かけた際、地下鉄の銀座線と丸の内線に乗りました。

銀座線は、この映画にも登場しますが、開業は戦前の昭和2年(浅草-上野間)です。私が子どもの頃の車両は、走行中に車内の電灯が一瞬消えて、非常灯が光りました。慣れている人にとっては毎度のことでしたが、地下鉄に乗り慣れていない人はびっくりしたのではないかと思います。

相変わらずの狭くて天井の低い車内。弱いエアコン。走行中の騒音。懐かしくて周りを見渡してしまい、隣に立っていた女性に不審な目で見られてしまいました(笑)。

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夕凪の街 桜の国


映画「夕凪の街 桜の国」の試写会へ行きました。



広島のある

日本のある

この世界を

愛するすべての人へ



こうの史代による原作「夕凪の街桜の国」は、双葉社刊の漫画です。漫画にしては、と言っては失礼ですが、とても心に響く作品です。



今夜観た映画版も、原作に忠実ながらも俳優の持ち味を生かした佳作と言えるでしょう。



広島の原爆投下から生き延びた人々の物語が昭和と平成の時代で描かれています。



心の深い傷、身体に刻まれた傷、そして偏見と差別…



誰もが理不尽さを感じると同時に誰もが避けたくなる事実と出来事に、この映画の登場人物たちは正面から向き合うことになります。



被爆二世として現代に生きる七波(ななみ)を田中麗奈がさわやかに演じています。



東京は7月28日から新宿シネマスクエアとうきゅうでロードショーです。ぜひ多くの方に観ていただきたい作品です。



私も、もう一度観ると思います。

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スピリチュアルの世界


「ジャンヌ・ダルク

失われた真実」



レオン・ドゥニ 著



浅岡 夢二 訳



2003年12月25日 発行



ハート出版



キリスト教の勉強をしている過程で、この本に出会いました。



15世紀、イギリスとフランスは100年に渡る戦争を行なっていました。敗色濃厚なフランスに、突如として登場したのが、わずか19歳の少女、ジャンヌ・ダルクでした。



彼女はフランス軍を率いてイギリス軍を次々と撃破します。



しかし、裏切りと策略によって彼女は捕らえられ、宗教裁判にかけられ、火刑に処せられてしまいました。



本書は1910年に初版が出版されたという、大変古いものです。



ジャンヌ・ダルクの生涯を振り返りながら、彼女に対する誤解を解き、敬愛に満ちた内容になっています。



著者が聴き取ったという、霊界からのジャンヌ・ダルクのメッセージが随所に書かれています。信じるかどこかはともかくとして、とても興味深い内容です。



いわゆる「スピリチュアル」ものの一冊ですが、自己啓発書ではないので、西洋史に興味があれば、オススメかもしれません。

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「東京大空襲」

「東京大空襲」

―昭和20年3月10日の記録―
早乙女 勝元 著

1971年1月初版発行

岩波新書
空爆という戦闘形態が、戦争の中では当たり前になっています。
東京大空襲では、わずか三時間に満たない空襲によって、8万から10万人の人々が亡くなりました。これは、広島・長崎の原爆被害に匹敵するものです。
日本もこの戦争では中国の重慶に無差別爆撃を行なっています。
加害者でもあり、被害者でもあります。
しかし、なぜ、このようなやり方が正当化されるのでしょうか。
同じような空爆は、イラク戦争でも日常化しています。
これが正しいことだと、私は思いません。
敵対国の一般市民を大量虐殺することは、認められないことです。
「1人を殺せば殺人者だか、100万人を殺せば英雄だ」
チャールズ・チャップリンの有名なセリフです。
一方的な殺戮は、いますぐにやめるべきです。

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ビキニ・デー

1954年3月1日、第五福竜丸はマーシャル諸島近海において操業中に、ビキニ環礁で行われたアメリカによる水爆実験に遭遇し、船体・船員・捕獲した魚類が放射性降下物(いわゆる死の灰)に被爆しました。実験当時、第五福竜丸はアメリカが設定した危険水域外で操業をしていました。

実験で使用された水爆は、広島型原爆の1000倍の威力を持っていました。この時に放射性降下物で被爆した船は数百隻、被爆者は2万人を越えると言われています。

第五福竜丸の船員23名全員が被爆しましたが、無線長の久保山愛吉さんが半年後に急性放射能症で死亡しました。

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「2・26事件」

「図説 2・26事件」


平塚 柾緒 著


太平洋戦争研究会 編


ふくろうの本


河出書房新社
2003年1月初版発行



1936年2月26日未明、二十数名の陸軍青年将校らが1500名の下士官兵を率いて、時の首相をはじめ、重臣らを襲撃、殺害しました。
歴史教科書にも登場する、2・26事件です。


武力による軍事クーデターは、他国の話のようですが、戦前の時代、日本でも起きていたのです。
このような事件が起きるには、複雑な時代背景があります。第一次世界大戦後の世界的な大恐慌による慢性的な不況は、失業者を大量に排出しました。天候不良による凶作は農村に壊滅的な打撃を与えました。娘を今で言う「風俗業」に売りに出すこともめずらしくありませんでした。
現代と違って、農村部の人口比率が高かったため、徴兵されて入隊した兵隊たちの多くは農村出身でした。これら、現代とは比較にならないほどの格差社会に不満を持つ青年将校(ほとんどが20代から30代前半)らが、「昭和維新」を叫んで決起したのは、それなりの理由があったからです。
しかし、武力で政府を鎮圧することには、結局失敗し、将校のほとんどは秘密裁判にかけられ死刑となりました。この事件をきっかけに、政治家は弱腰になり、軍部による政治介入は露骨になり、結局第二次世界大戦への道を進むことになるのです。

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「633爆撃隊」

「633爆撃隊」

監督:ウォルター・E・グローマン
製作:セシル・F・フォード

出演:クリフ・ロバートソン/ジョージ・チャキリス/マリア・バーシィ 他

1963年製作・公開

アメリカ映画
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ベトナム戦争終結までは、このような戦争映画が数多く製作されました。
ストーリーはフィクションですが、実際の第二次世界大戦でイギリスの爆撃機として活躍した「モスキート」が登場します。633爆撃隊とは、モスキートによる爆撃部隊のひとつです。
633爆撃隊は、連合軍によるノルマンディー上陸作戦を前に、ノルウェーにあるドイツ軍の兵器用燃料工場の爆撃する命令を受けます。隊長のグランド中佐を中心に、英連邦のさまざまな国の隊員が集まった633爆撃隊は日夜爆撃訓練に励みます。そして、ついに難攻不落の工場に向かって爆撃を開始します…
ドイツ軍の工場はノルウェー独特の入り組んだ海岸地帯の奥、高い崖下にあるため、直接の爆撃ができません。そのため、特殊な爆弾で崖を爆撃して工場を落石で破壊しようとします。
過酷な訓練の連続、モスキートの機動力、そして爆撃…
戦争映画、特に航空機ものが好きな人にとってはたまらない作品だと思います。私も子どもの時に初めて観て、「カッコイイ」「すごい」「爆撃機に乗りたい」と軍国少年のように感激した記憶があります。
この映画でも、ドイツ軍はあくまでも徹底的な悪役です。連合軍のイギリスは正義の象徴であり、ノルウェーのレジスタンス(あまりにもフランス調なのが気になりますが…)は平和の戦士として描かれています。
ドイツ軍に捕らえられたレジスタンスの同志の口を封じるために、グラント中佐が収容所を爆撃するシーンがありますが、それも戦争に勝つための手段として必要なんだ、という説得力があります。ただ、その任務のためにグランド中佐は深く傷ついてしまいます。同志の妹とのロマンスも自らの意思で破局してしまいます。また、隊員のひとりと結婚した女性がラストで毅然とした態度でいる姿も、戦争の悲惨さを感じさせます。
爆撃直前に、ドイツ軍の対空砲火陣地をたたく作戦が失敗してしまいます。633爆撃隊は、対空砲火をあえて受ける覚悟で戦場へ突入していきます。ここに戦争映画のひとつの醍醐味があります。「男がここで逃げてたまるか」精神で、作戦を遂行する「かっこよさ」が、観る人を引きつけます。
戦争とはこのようなものでしょうか?…
「男だったら、自分を犠牲にしても、愛する人や家族をまもるんだ」という気持ちは、私もよくわかります。実際、1980年代にソ連が北海道に攻めて来るのではないか、ということが真剣に論じられた時代がありました。その頃、私は一時期本当に自衛隊に志願しようかと思ったこともありました。
しかし、それでいいのでしょうか…
ひとつだけ事実として言えることは、戦争がいったん始まってしまえば、「敵軍から市民を守るために」という大建前のもと、人々は次々と戦場へ駆り立てられるのです。好きだ嫌いだという前に、銃を持たなければならない状況になります。
いろいろな経験を積んできたためか、30年ぶりに観た「633爆撃隊」は、ただカッコイイだけでは済まない気持ちにさせられました。

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「アラモ」

「アラモ」

「アラモ」

製作・監督:ジョン・ウェイン

出演:ジョン・ウェイン、リチャード・ウィドマーク、ローレンス・ハーベイ、他。

1960年製作・公開

アメリカ映画

アメリカ西部開拓史上に残る「アラモ砦の戦い」を描いた作品です。

ウエスタン映画では、すでに伝説になりつつある、名優ジョン・ウェインが製作・監督・主演しました。

1836年、当時メキシコ領だったテキサスの独立をかけて、5000人のメキシコ軍を相手に、わずか185人の義勇軍でアラモ砦に立てこもり、戦いをいどみました。その中には、テネシーから駆けつけたディピー・クロケット(ジョン・ウェイン)もいました。

映画では、アラモ砦における13日間の戦いを描き、ついにアメリカ側は全滅してしまいます。歴史ではその後、後方で態勢を立て直したアメリカ軍がメキシコ軍を破ります。その時の合い言葉が「リメンバー・アラモ」。

これは、後に太平洋戦争時の「リメンバー・パールハーバー」とまったく同じことです。

映画では、メキシコ軍の騎士道的な精神を尊重する場面もありますが、基本的には、アメリカのみが正義の勧善懲悪的な描かれ方をしています。

製作された1960年は、東西冷戦のまっただ中であり、「アメリカこそが正義の中心」という主張に基づくような映画はたくさん製作されたようです。それは、対テロ戦争を突き進む現代のアメリカにも脈々と生きている思想です。

この映画でも、かつて先住民族と戦った西部史の伝説的英雄であるディピー・クロケットを中心に、日本の時代劇にも通じるような正義と忠誠が描かれています。

私も若い時は、「家族や愛する人を守るためには、命をかけて戦うぞ…」と思った時もありました。それだけに、この「アラモ」を初めて観た時は、とても感動したものでした。

いまあらためて「アラモ」を観た時、歴史の中で、人はなぜ戦わなくてはならないのだろうか、自分にも戦わなくてはならない時がいつか来るのだろうか、という疑問が交錯しました。そして、歴史は数多くの人を戦争で死なせた、という事実に虚しさにも似たような感じを覚えました。

歴史上の人物を英雄視することに意義はありません。ディピー・クロケットも多少の誇張はあるでしょうが、アメリカ史の英雄であることに間違いはないでしょう。ジョン・ウェインも名優であり、私も大好きな映画俳優のひとりです。

しかし、アメリカこそが正義の砦なのでしょうか。

深い疑念はつきることがありません…

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団塊の世代

大古誠司、森田淳悟、横田忠義―

この三人の名前を覚えている方もいらっしゃるでしょう…

1972年、西ドイツ(当時)・ミュンヘンで開催されたオリンピック。

日本男子バレーボール・チームは、決勝戦で東ドイツ(当時)をセットカウント3―1で破り悲願の優勝・金メダルを獲得しました。

その時の主力選手が、大古、森田、横田の三人でした。

当時、中学生になったばかりだった私は、彼らの活躍に刺激されて、みずからバレーボールを始めました。

圧倒的な強さ、「速攻コンビネーション・バレーボール」と言われた多彩な攻撃は、現在の日本代表チームをもってしても、まねることができない、史上最強のチームだったと思います。

今のバレーボールの攻撃パターンは、オープン、クイック、時間差攻撃、バック・アタック、移動攻撃、そしてジャンプ・サーブでしょうか。

ミュンヘン・オリンピック当時の日本代表チームは、ジャンプ・サーブ、バック・アタックはありませんでした。

しかし、オープンや時間差攻撃の他に、A,B,C,Dの4種類のクイック攻撃、一人時間差攻撃、ダブルB、トリックB攻撃、Z攻撃、そしてドライブ・サーブと今からでは想像もできないほどの攻撃パターンを持っていました。

これも、すべては身長が高く、上背もパワーもまさる外国のチームと戦うための方策だったのです。このあたりの事情は、今も変わらないと思います。変わったのは、「速攻コンビネーション」で日本が金メダルを獲得したことにより、他の国のチームも速攻や多彩や攻撃を取り入れたことでしょう。

男子バレーボールは、このミュンヘン大会の金メダルを最後に、メダルを取れないどころか、オリンピックの出場権すら取れないのが現状です。

アイドル歌手を繰り出して、派手な声援とテレビ局のバックアップがあっても、昨年の世界選手権を始め、現在の日本代表チームは世界で8位から10位くらいです。

金メダルの感動を知っている人々にとってはさびしいかぎりです。

その金メダルチームの選手たちが、いわゆる「団塊の世代」だったことを最近の新聞記事で、あらためて知りました。

横田選手は、腰痛をおして試合に出続けたために、その後身体を壊し、今はリハビリの毎日だそうです。

セッターだった猫田選手はすでに他界しました。

ミュンヘン・オリンピックから7,8年後、監督だった松平康隆氏の講演を聴いたことがあります。高度成長時代、生活のすべてをバレーボールにかけることができたからこそ、金メダルが取れたと言いました。

アイドルとなった選手には、かつての闘争心を求めても無理なのかもしれません。

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「日本のいちばん長い日」

Ichibannagaihi

「日本のいちばん長い日」

原作 半藤 一利

監督 岡本 喜八

出演 三船 敏郎、山村 聡、笠智衆、志村喬、黒沢年男 他

1967年 東宝作品

太平洋戦争終結時、日本がポツダム宣言の受諾を決定し、昭和20年8月15日正午に天皇による玉音放送が流れるまでの24時間を描いた大作です。

戦争継続・本土決戦を望む陸軍の一部将校たちによって、皇居が占拠されるなど、さまざまな歴史の裏側が描かれています。振り上げた拳を収めるには、想像を絶するほどの苦難が必要か、この映画は訴えています。

連合国によるポツダム宣言が発表されたのは、昭和20年7月でした。日本が受諾するまで約一ヶ月を要したのです。その間、広島・長崎には原子爆弾が投下され、ソビエトが不可侵条約を破って参戦しました。映画でも描かれていますが、8月15日終戦当日の深夜に飛び立った特攻隊もいました。戦争遂行を画策して、自決した若い将校もたくさんいました。

戦争で、300万人以上の兵士・民間人が死亡し、アジアの人はそれ以上に死にました。

この映画では、国が行なう戦争という行為を止める難しさが嫌というほどわかります。人々がいかに努力しても、動いている国家の機能を停止させるのは至難のことなのです。それは、ひとりひとりの人が持つ、思想・信条が手かせ足かせになっている場合もあるのです。教育基本法の改正で、統一思想を教育に持ち込もうとしている現代の日本は、そのまま暗黒の日本へ逆行しているようなものはないでしょうか。

本土決戦が行なわれれば、当時の日本人は大半が死傷したことでしょう。また上陸する連合国側にもたくさんの犠牲が出たことでしょう。しかし、それを最後まで望んでいた陸軍の将兵たちも、行為は許されるものではなく、思想は過激であったのですが、国体を思う心は純真でいたことこそ、人間の未熟さや恐ろしさを感じます。

現在に例えてみれば、イラク戦争は泥沼化して、それに加担した日本の大義など無に等しい状況です。それでもあえて、軍事力の強化とそれに頼る政治家たちの思想は、本当に恐ろしく、未熟すぎると思います。

この映画を時の政府・役人・政治家の人たちに観てほしいと思います。

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田中 キヲさん 死去

田中 キヲさん 死去

新聞報道によれば、長崎被爆報道写真「治療の順番を待つ母子」の被写体であった、田中キヲさんが9日夜、肺炎のため長崎市内の病院で死去されました。91歳でした。

この写真は、長崎市内で被爆した翌日、臨時救護所で生後4ヶ月の二男に授乳する姿として、私は強烈な印象を受けました。

赤ちゃんは撮影から約10日後に亡くなったそうです。

ご冥福をお祈りいたします。

合掌

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アドルフに告ぐ

アドルフに告ぐ

アドルフに告ぐ

「アドルフに告ぐ」

作 手塚 治虫

 「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」など、数多くの作品で有名な漫画家・手塚治虫氏による大河漫画です。3人のアドルフ(その1人はナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラー)の数奇な運命を描いたものです。第二次世界大戦という激動の時代を背景に、日本、ドイツを舞台にしたドラマで、当時の時代考証もしっかりしています。娯楽というよりは、歴史を学ぶ上でも、貴重な作品です。

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円谷英二の映像世界・2

円谷英二の映像世界・2

「完全・増補版 円谷英二の映像世界」 その2

 円谷英二氏の特撮映画の原点は、戦前に公開されたアメリカ映画「キングコング」だそうです。ニューヨークのエンパイア・ステートビルによじ登り、飛行機を追い払うキングコングは、確か人形のアニメーションだったと記憶しています。

 日本の特撮映画(アニメーション映画も含めて)の製作者が最も苦労したことは、制作費の問題だったのではないかと思います。イギリスのテレビ映画である、「サンダーバード」や「謎の円盤UFO」などは、素人目に見ても、贅沢に金を使って撮影しているな、ということがわかります。一方、日本の方は、特撮映画自体への芸術文化としての価値が低いという土壌があります。制作費が高騰すれば、即製作・放映打ち切りになってしまいます。

 それでも、円谷氏が今でも「特撮の神様」として絶賛されるのは、後に紹介する「ハワイ・マレー沖海戦」(昭和17年制作・公開)などで、卓越した特撮技術を映画で表現した功績があるからです。もちろん、「ゴジラ」をはじめとする怪獣映画も、氏の名声を高めることになりました。

 現在のウルトラマンなどを観ていると、明らかに子どもだけか、せいぜいその親だけをターゲットにしているので、小手先のごまかしだけが映像にも、ストーリーの展開にも見られます。CGの多様化によって確かに多彩な映像を創り出すことに成功したかもしれませんが、円谷映画の迫力、奥の深さには足元にも及びません。

 大人にも十分な鑑賞ができ、子どもの心をつかむ特撮映画は、過去の円谷作品に数多く見られます。その文化的財産を消滅させてはならないと思います。

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円谷英二の映像世界

円谷英二の映像世界

「完全・増補版 円谷英二の映像世界」

竹内 博・山本 眞吾 編

2001年 実業之日本社

 特撮という独自の世界において、その巨匠あるいは神様と言われた、円谷英二監督の作品の紹介、評論等を集めた貴重な書籍です。

 私たち40代から50代にかけて、映画を観たことがある人ならば、円谷英二氏の名前を知らない人はいないと言っていいでしょう。昭和40年代までの東宝映画系の特撮は、ほとんど円谷氏の手によって制作されました。

 特撮というのは、実際の世界では起こりえないような想像を絶する現象、あるいは現実のものであっても映画撮影上、不可能な事実を可能にする撮影技術のことを言います。

 前者は、円谷氏の代表的な作品である「ゴジラ」(昭和29年)を始めとする、いわゆる怪獣が登場する映画があります。テレビの「ウルトラマン」も含まれます。後者は、戦争映画などの艦隊や航空機の映像があります。いずれも、ミニチュアを使ったり、怪獣は着ぐるみを使ったりします。

 円谷氏は68歳で逝去されましたが、2001年の生誕100年を記念して、この書籍が刊行されました。

 今では特撮はコンピューター・グラフィックが主流になり、そのリアルさは現実と変わりがない感覚で観ることができます。しかし、ミニチュアや合成撮影を使った特撮が、より現実的に見えるのは、私だけでしょうか。

 私たちの感覚では、円谷英二監督=怪獣映画、というイメージがありますが、氏の作品リストを見てみると、戦前から昭和40年代にかけて、数多くの映画作品の特撮を手がけており、怪獣ものは、ごく一部であることがわかります。

 例えば、クレイジーキャッツが主演する喜劇映画、戦争映画、以前に紹介した「妖星ゴラス」などのSF映画など、多方面にわたっています。

 幸いに、代表的な作品はDVDとして観ることができます。このブログでも紹介していきたいと思います。

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東京オリンピック

東京オリンピック

「東京オリンピック」

総監督 市川 崑

製作 東京オリンピック映画協会

東宝映画 1965年

DVD版 2004年

 長編記録映画というものは、この「東京オリンピック」くらいまでが盛況を極めた感じがします。同じオリンピックの映画でも、東京から8年後のドイツ・ミュンヘンオリンピックでは、「時よとまれ、君は美しい」というタイトルで、記録というよりは芸術的な表現に大きく転換した映画になっている印象があります。

 いまあらためて「東京オリンピック」を観てみると、いろいろな発見があります。

 マラソンの背景に広がる昭和39年の東京の風景が、とても新鮮な感じがしておもしろいですね。

 大阪で開かれた日本万国博覧会(1970年)とともに、日本の高度経済成長の象徴にもたとえる東京オリンピックは、現代では味わえない高揚感がありました。

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東京オリンピックの想い出

 Tokyo

 42年前の今日、1964年10月10日、第18回オリンピック・東京大会が開会しました。

 当時、私は五歳でしたが、東京オリンピックの記憶が鮮明に残っています。

 開会式。自衛隊のジェット機が空中を旋回し、オリンピックのシンボルである五輪を描いたこと。

Tokyo3

 女子バレーボール日本代表チームが、宿敵・ソ連に決勝で勝ち、見事に金メダルを獲得したこと。ちなみに、あまり知られていませんが、男子バレーボールの日本代表チームも強豪・チェコスロバキヤに勝つなどして、3位の銅メダルを獲得しているのです。

Tokyo2

 陸上競技では、マラソンのアベベ選手の圧倒的な強さ。円谷選手の大健闘(見事に3位入賞を果たしますが、円谷選手は後に周囲の期待に押しつぶされる形で自殺してしまいます)。100メートル優勝のヘイズなど、現在の選手環境に適していれば、さらに記録を更新すること間違いなしの選手がたくさんいました。

Tokyo4_1

 そして、東京オリンピックの花と呼ばれた、体操のベラ・チャスラフスカ(当時のチェコスロバキヤ)。とてもきれいだった印象があります。

 テレビが急速に普及していった昭和30年代後半の時代。私たちはテレビのオリンピック中継に釘付けでした。そしてあっという間に閉会式が来てしまいました。日本選手ばかりを応援するような「プチ・ナショナリズム」もありましたが、強い外国の選手にも、賞賛の拍手をおくりました。

 東京オリンピックは、私の幼児期でいちばん印象深い出来事です。

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チャスラフスカを知っていますか?

チャスラフスカを知っていますか?

「ベラ・チャスラフスカ 最も美しく」

後藤 正治 著

2004年 文藝春秋 刊

2006年 文春文庫

 ベラ・チャスラフスカ。旧チェコスロバキアの体操選手。

 1964年、東京オリンピックにおいて、女子体操個人総合金メダリスト。当時、オリンピックの華として、外国人選手の中では圧倒的な人気を得た選手です。

 私もうっすらと記憶に残っていますが、子ども心に、とても美しい人だったということは覚えています。

Korubuto

 女子体操は、1972年ミュンヘン・オリンピックにおいて、個人総合のメダルは逃したものの、床体操で愛くるしい演技を見せ、一躍人気者となったオルガ・コルブト(旧ソ連)以降、低年齢化が進み、美よりも技を追求することになります。正確には、コルブトが登場する少し前に活躍していたニーナ・ドロノワ(ソ連)が当時12,3歳でナショナル・チームに入ったことが始まりだと思います。

Nadia

 そして、その頂点は、何といっても、1976年モントリオール・オリンピックで10点満点を次々と出したナディア・コマネチ(ルーマニア)でしょう。

 現在の女子体操は、オリンピックの出場資格に年齢制限が設けられ、再び美と技の調和をめざしているようです。

 かつての体操の女王、ベラ・チャスラフスカは、美しさと技のバランスがとれた、体操史上最高の選手だったと言えるでしょう。

 そして、彼女は東京大会から四年後、1968年のメキシコ・オリンピックにも出場して、再び女子個人総合で金メダルを獲得します。その年、ワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに侵入し、市民を弾圧する内乱が起きました。チャスラフスカは、抗議の意味を込めて、黒いユニホームを着て演技にのぞみました。

 彼女の人生は決して恵まれた、幸せばかりが続くものではありませんでした。

 メダルを争う体操選手の多くは、日本を除いては、旧ソ連、東欧諸国がほとんどです。1980年代後半から起きた社会主義国家体制の崩壊は、体操選手も含めて、数多くの人たちに波乱の人生を歩ませることになりました。

 ナディア・コマネチは、革命が起こる寸前に、森を歩き、国境を脱出し、アメリカへ亡命しました。

 国家財政の破綻によって、ナショナルチームのコーチなど、要職を追われた元選手もたくさんいたようです。

 そして、国家による統制に反発して、引退後は、長年貧しい生活を強いられてきたチャスラフスカは、国家体制の変革によって、再び表舞台に出ることになります。大統領顧問、チェコオリンピック委員会会長、そしてIOC委員…

 しかし、近年、ベラ・チャスラフスカは、家族の悲劇的な事件がもとで、重いうつ病になり、病院でひっそりとした生活を送っているそうです。私はこの事実を読んだ時、とてもショックでした。すでに60代になっている彼女ですが、私の中では、いつまでも美しいアスリートのままです。

 人の人生は、何が起きるかわかりません。

 しかし、ベラ・チャスラフスカのように、自分を信じて、自分から道を選んで進むことが、きっと正しいことなんだ、と心から思います。

 一日も早く、彼女が病を克服し、大好きだったという日本