障碍は個性なのか

前職である、せいがの森保育園のホームページから、統括園長の主宰する組織のHPへ行き、さらに支援企業の「カグヤ」のHPを見ていました。

その中で、八王子市南大沢にある、特定非営利法人CEセンターの野田弘一氏が紹介されていました。野田氏は巡回相談、スーパーバイザー、障碍児の指導など幅広い活動を展開しています。せいがの森保育園においても心理相談員として、保護者・職員の力強い味方になっています。

その野田氏のコメント。

「障碍は個性です」

専門家と呼ばれる方から、よく聴かれる言葉です。

つまり、障碍を特別なもの、劣ったもの、差別するもの、排除するもの、などと捉えるのではなく、その子どもの個性として考えることによって、バリアフリーな社会を築こう、という思想があるのではないかと思います。

そのような考え方に私は異論ありません。

また、個性という意味を考える上で、次のような言い方もできます。

自転車に乗れないのは、もしかしたらその人の運動調節機能に障碍があるのかもしれません。しかし、自転車に乗れない人のことを「障碍者」とは呼びません。

つまり、読み書きや、社会性など、生きていく上でハンディキャップがたまたま障碍になってしまっただけであって、障碍はその人が持つ個性なのです。

しかし、障碍者の父親として、この「障碍は個性」という言葉には、正直引っかかるものがあります。

障碍児・者が世の中で生きていくのは、大変な障壁を数限りなく乗り越えていかなければなりません。これは重いとか軽いとか、障碍の程度によって変わることはありません。かつて「軽度発達障碍」と言われた学習障碍の子どもも、学校で地獄のような苦労をして来たのです。

そのひとりひとりの生きざま、苦渋、人と同じようにできないくやしさ、自分に対する情けなさ、やり場のない怒り、誰にも向けられない憎しみ。これらを生まれた瞬間から背負い続けているのです。

それらを「個性です」のひと言で片づけられるのでしょうか。

障碍児・者の立場に立てば、あるいは親の気持ちに寄り添ってみれば、きれいごとですまされるものではありません。

しかし、専門家の立場に立てば、きれいごとを言わざるを得ない現実があります。野田先生のように、ひとりで何百人のケースを持っていると、ひとりの子ども・家庭に深くかかわる余裕がありません。どこかで線を引いて、どこかで冷めた視点を持たないと、ビジネスとしては成り立たないのです。

私は、臨床発達心理士になった時から、障碍のあるなしにかかわらず、SOSを発信する子ども、親、家族には、最大限寄り添い、支援したいと考えて来ました。それは、どのようにクライアントを受容するか、ということでもあります。

きれいごとはやめましょう。

生身の人を私は受け入れていきたいと思います。

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新しいブログを始めました

すでに書き込みを始めていますが、新しいブログを開設しました。

「かいじゅう先生の園長日記」です。

http://kokoronomori.tea-nifty.com/kaizyusensei/

上をクリックしていただければ見ることができます。

私の新しい仕事と職場を紹介しています。

どうぞよろしくお願い致します。

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ウーブレック

卒園した1年生が保育園に集まり、科学教室を開きました。

GEMという科学教育プログラムの中にある「ウーブレック」という実験を行ないました。

ウーブレック

「ウーブレック」とは、遠い宇宙のかなたにある「ウーブレック星」の海にある、不思議な物質を宇宙探検隊が持ち帰った、という設定です。

緑色のドロドロしたもので、最初は恐る恐るさわってみました。

ウーブレック

だんだん慣れて来ると、両手を使ってつかんだり、手のひらの上にのせてみたりしました。

「ウーブレック」は不思議な物体です。固まったかと思ったら、また溶けたり…

おだんごを作ろうとしても、なかなかうまくいきません。

ウーブレック

もちろん、この謎の物体は宇宙から持って来たものではありませんが、小学生のみんなもすっかり信じきっています。

さんざん手で遊び、いろいろ試してみて、実験は終了しました。

ウーブレック

そして、次のステップは、ウーブレック星へ行くための「宇宙船」をデザインしました。ユニークな宇宙船がたくさん生まれました。

この子どもたちが大人になる頃には、宇宙旅行はごく普通に行なわれる時代がやって来るでしょう。また、子どもたちの中から宇宙飛行士になる子もいるかもしれません。

無限に広がる大宇宙… 

人類最後の開拓地…

新しい世界、新しい文明との出会い…

そんな一端を感じさせるプログラムでした。

⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂

それにしても、1年生のみんなはとても大きくなりましたね。卒園してから約9か月、体格も考え方も、すべてに成長していることがよくわかりました。

とても安心しました。これで保育園を去ることができます…

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「地球というすてきな星」

「地球というすてきな星」

「地球というすてきな星」

ジョン・バーニンガム 作

長田 弘 訳

1998年 初版

ほるぷ出版

ひさびさの絵本紹介です。

地球上には、環境汚染、温暖化、宗教対立、戦争、軍備拡大… など、さまざまな問題が山積されています。これは、何も今始まったことではありませんが、地球という惑星を圧迫し、破滅へのカウントダウンが鳴らされているように思われます。

私たちの世代は、それなりの生活はできるでしょうが、子どもや孫たちの時代はかなり深刻になると思われます。地球温暖化の問題ひとつにしても、大半の人々にとっては対岸の火事であり、どこか遠い世界の話としか受け止めていません。

しかし、人間が地球を破滅の方向へ導いていることは確実です。そのことをじっくりと考えさせてくれるのがこの絵本です。

この絵本には「神」が登場します。しかし、違和感という意味での宗教色はまったく感じることがありません。むしろ、人間同士で宗教対立している愚かな姿が描かれ、納得させられてしまいます。

すでに絶版になっているようですが、ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思います。

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大学進学に資格テスト?

新聞の報道によれば、政府の教育再生会議(野依良治座長)は20日の合同分科会で、大学進学希望者に「高卒学力テスト」(仮称)を実施し、合格者に大学受験の資格を与える制度の検討に着手することになったそうです。

「高卒学力テスト」は、高校生の学力低下の問題や昨年に全国各地で相次いだ高校の必修科目の未履修問題などを受け、生徒の学力水準や履修状況をチェックするのが狙いだ。

 制度設計の素案によれば〈1〉国公私立や選抜方法を問わず、大学進学を希望する人は必ず受験する。〈2〉受験科目は、必修科目から保健体育、芸術などを除いた国語、地理歴史、公民。〈3〉全科目の合格者に大学進学資格を付与――などが主な柱。難易度は「高等学校卒業程度認定試験」(旧・大学入学資格検定)を想定しているという。

ここでも学力低下をお題目に、子どもに余計な負担をかける意図が見られます。この方針だと、すべての教科において、一定水準の学力がなければ大学に入学する資格はないということになります。

しかし、人間の能力というものは本来偏りがあるものではないでしょうか。得手不得手があって当然です。自転車にうまく乗れない、水泳が上手にできない、など、どの人にも苦手なものが必ずあります。

たまたま、国語が苦手だったり、算数・数学が苦手だったりすると、その人はどこかで勉強につまずいてしまいます。場合によっては、読み書き障碍や学習障碍があるかもしれません。

でも、そのような子どもでも、もっと勉強がしたい、という意欲的な子は少なくありません。また、国語は苦手でも理数系が得意で、技術者になるような能力を持った子もいるでしょう。

そのように、学力的に偏りがあってもある面では優れた能力を持った子どもは、このような高卒学力テストでふるい落とされる危険があります。

大学教育ばかりでなく、高等教育はもっと門戸を広くする議論が必要なのではないでしょうか。学力低下だけを唱えて、子どもの真の能力を切りすてるような教育再生会議の方針には絶対反対です。

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学習発表会・その2

学習発表会・その2

今日に、昨日に引き続き、保育園の近隣にあるM小学校の学習発表会を観て来ました。
この小学校では、学年ごとの演劇の発表会でした。

1年生は「おばけじぞう」という、とてもユニークな劇でした。

100名以上になる子どもたちをひとつの劇に出演させるのは、なかなか大変なことだと思いました。

卒園した2人の1年生も大きな声で元気いっぱいにセリフを言っていたのでホッとしました。

小学生になると、また一段と成長したように感じられます。7歳の感性と生命力に拍手を贈りたいと思います。

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学習発表会

学習発表会

保育園の近所にあるN小学校の学習発表会を観て来ました。ここでは、展覧会が開かれていました。一年生から六年生まで、たくさんの力作が展示されていました。

学習発表会

一年生は、いもほりの絵でした。なかなかダイナミックに描かれていますね。

学習発表会

さらに、粘土によるケーキが展示されていました。とてもおいしそうです。

つい一年前までは保育園の年長組だった子どもたちが、一年生になると、なかなかすごい作品を創るものだなぁ、と感心してしまいました。

さて、感動に水を差すような話をします。一年生のいもほりの絵と二年生のシャボン玉の絵は、「酒井式描画法」という絵画の指導法に基づいたものであることはひと目でわかりました。この指導法は、ダイナミックな絵画を描くことができるので、先生方の中ではなかなか人気があるようです。10年ほど前、別の小学校の展覧会を観に行った時も、同じようなシャボン玉の絵が展示されていました。

ポイントはここです。画用紙いっぱいに広がるダイナミックな絵を描けるかわりに、並べて展示すると、みな同じような絵になります。つまり絵に「個性」がないのです。10年前も、今日のシャボン玉も、まったくと言っていいほど「同じ絵」がたくさん並んでいるのです。

それでも、一年生のいもほりの絵は、ひとりひとりに違いが見られました。これは、7歳の「感性」があるからではないかと思います。感性が個性を生み出しているのではないでしょうか。

先生方の指導のご苦労は察するところがあります。それだけに子どもたちの作品にも努力の跡が見られます。

しかし、みんなで同じものを創るところに、いかに「個性」を表現するかは創造的な芸術教育の生命ではないかと思います。

他の学年で見られたコリントゲームや手作り粘土のお面などは楽しく観ることができました。

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知的障碍の子どもは増えている?

「増える知的障害の子ども」という見出しの記事が東京新聞11月13日朝刊に掲載されていました。

子どもの総数は減り続けているが、特別支援学級(特殊学級)や養護学校に通う知的障害の子どもは急増している。全国の養護学校は教室数不足に苦慮し、文部科学省は養護学校の新築・増築で補助金アップを計画する。急増の原因はよくわからない。(中略)

少子化で小・中・高校の普通学級の人数は最近10年間で24万人以上減少しているが、養護学校の児童・生徒数は25%増。特別支援学級でも56%も増加している。その結果、全児童・生徒に占める特別支援学級や養護学校に通う子どもの割合も0.85%から1.40%に増えた。

知的障害者対象の療育手帳の発給数(18歳未満)も、1997年の117378冊から2005年の173438冊と47%も増加している。

知的障害児ばかり増えているが、原因はよくわからない。ろう学校、盲学校では生徒数は微減。養護学校では肢体不自由児や病弱児はほぼ増減がない。(後略)

障碍を持った子どもが義務教育を受けるケースは、大きく分けて4つのケースがあります。

  1. 特別支援学校(養護学校)…義務教育では比較的障碍の程度が重い子どもが入学します。高等部では他に行く選択肢が少ないので、さまざまな子どもが在学しています。
  2. 特別支援学級(特殊学級・心身障碍児学級)…一般の小中学校の中にあり、普通学級での生活が難しい子どもが入学します。
  3. 通級指導学級…普通学級に在籍して、週に一回程度通って少人数で指導を受ける学級です。教室は一般の小中学校の中にあります。教科学習を通して言葉やコミュニケーションについての指導を受けます。
  4. 一般の普通学級

近隣の地域では、定員をはるかに越える生徒が通級学級に通い、新たに入室を希望する子どもが来年度にならないと入れない状態になっているようです。普通学級でも授業や学校生活にうまくなじめない、というケースが近年非常に多くなっている、という印象があります。

それでは、本当に知的障碍児は増えているのでしょうか?

わかりやすい事例として、漫画の「ちびまる子ちゃん」に見られるように、1970年代頃までの日本の学校には、いろいろな子どもが教室の中にいました。それが1980年代に養護学校が義務化されて以降、子どもを能力別で選別することが、ごく当たり前のように進められました。同時に小学校に入学する前に行われる「就学時健診」が、健康診断や疾病発見から「障碍児探し」へと大きくシフトしました。現在では、根拠が軽薄な知能検査をおこなうことも一般的になっています。

つまり、現代の学校教育は、子どもにとって生きにくい空間になっていることは間違いありません。おりこうさんや教師の指示に無抵抗で従う、学校生活に何の疑問も持たない子どもたちは別として、多くの子どもたちにとっては学校は差別化と格差社会になっているのです。

その本質を見つめることをしないで、障碍児が増えたと安易に言うのはおかしいと思います。

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いじめと不登校

特別支援教育士の資格更新研修で、学校カウンセリングの講習会に参加しました。
テーマは、いじめと不登校です。どちらも学校現場においては、長年に渡って深刻で大きな問題と言えるでしょう。
周知の通り、陰湿ないじめには、被害者の自死ということもあります。
また、不登校には発達障碍という問題が絡んでくるケースもあります。
一日の講習会では、あまり突っ込んだ話題にはなりませんでしたが、いろいろな事例に触れ、考えさせられる機会になりました。

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子どもとメディアの関係

日本臨床発達心理士会・第3回全国大会二日目の午後は、公開シンポジウムが開かれました。テーマは「生きにくさをかかえる人のための支援を考える」でした。

その中で、あるシンポジストが、ゲーム機器や携帯電話、テレビなどのメディアが子どもに与える影響について話しました。一日の中で、メディアに接する時間が一番長いのは、先進国では日本だそうです。

視力低下、集中力の欠如、ひきこもり、不登校、体力低下など、さまざまな問題が子どもを取り巻いていますが、その原因のひとつとしてメディアによる影響は無視できません。

すでに親世代が生まれた時からテレビが家庭の中にあり、テレビゲームやビデオを経験しているため、子どもにゲーム機器を与えることに何ら疑問を持たないことが深刻な状況を引き出していると警告していました。

ひきこもりと呼ばれる人も含めて、ネット中毒、ケータイ中毒という言葉が普通に使われるようになっています。夜遅くまで携帯やパソコンの明るい画面を見続けることは、人間の生活リズムを乱すことになります。同じように、深夜に明るいコンビニに行くことは、同じような弊害があるということを聞きました。

今、この瞬間にも、私たちはかつて経験したことがない事態を子どもに実体験してもらっているのです。少し前に「ゲーム脳」(これは根拠となる論理や証拠に問題があったために、各方面から批判されました)という言葉が流行しましたが、だんだん笑っている場合ではなくなって来たような感じがします。

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専門家としての資質

今日は、臨床発達心理士の資格更新研修会「子育て支援」の第二日目に参加しました。

午前中の講義に続いて、午後はグループディスカッションを行ないました。

私が入ったグループでは、肢体不自由児養護学校、ろう学校、児童相談所、児童療育センター、そして保育園とさまざまな職場の方が集まりました。

臨床発達心理士の専門性について話し合いを進めるうちに、ひとつの結論らしきものが見えて来ました。

それは専門家としての人間性、つまり専門家である前に人間である、ということです。

どんなに専門的に知識が豊富で優れていても、人間的に良い面を持ち合わせていなければ、専門家としての仕事はうまくできません。

一人の参加者は、まず職場の中で認めてもらうための努力をしている。例えば常に笑顔を絶やさないようにとか… と大まじめで語りました。

確かに保育士のように、国家資格で社会的にも認知された立場にいると、それにあぐらをかいているような方を時々見掛けます。

しかし、臨床発達心理士は、発達心理の専門家であっても、社会的に広く認められているわけではありません。保育園の職場にいても、発達の研修会で意見を求められることもありません。

だから、自分から子どもと、保護者と、保育士と同じ高さの目線に立ってかかわりを持とうと、私もがんばっています。

同じ課題で、仲間の方々が悪戦苦闘している話を聞いて、とても勇気をいただきました。
明日からの活力にしたいと思います。

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子育て支援

「子育て支援」というテーマで、臨床発達心理士の資格更新研修会に参加しました。

午前中は「子育て支援と少子化問題」がテーマの講義で、講師は恵泉女学園大学の大日向雅美先生でした。

午後は、カウンセリングの理論と実習でした。対立関係にある人の、それぞれの主張の裏にある、心の深いところにある思いに共感するカウンセリング技法は、とても興味深く、納得できる点が多い学習ができました。

実際のカウンセリングは、なかなか理論の通りには進まないものです。しかし、子育て支援の中で、子どもに対して、あるいは親に対して、私たちは経験だけで「指導」しようと半ば強引に引っ張って行こうとしてしまうことがあります。

自分の言動に反省するとともに、今日の学習を来週からの現場で生かしていきたいと思いました。

研修会は、明日も行なわれます。

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日本家族と子どもセラピスト学会

今日は、日本家族と子どもセラピスト学会の第2回大会に参加しました。

欧米並みのセラピストの養成をめざす学会で、昨年設立されました。

私は初めて参加しました。家族と子どもを取り巻く、様々な問題が提起され、とても勉強になりました。

保育・福祉関係である私は、ちょっと場違いな気持ちになりました。

精神分析療法に関するディスカッションでは、専門用語が飛び交い、よくわからないところもありました。

しかし、保育の世界も家族や子どもが相手の世界なので、セラピストとしての役割は必然なことだと思います。

例えば、卒園して小学生になった子どもたちと家族の方々が、学校のこと、生活のことなどで困ってしまった場合、その相談相手になりたいと私は思います。

これからも、しっかりと実践と学習を積み上げて行きたいです。

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小学校の運動会

今日は、小学校の運動会が行なわれたところが多かったのではないかと思います。

私の長女が小学生だった10年くらい前までは、「運動会は秋に開催」というのが常識でした。

しかし、最近では春に運動会を行なう小学校が多いようです。

小学校の運動会が地域の一大行事としての舞台から降りてしまい、「毎年やっていることだから、とにかく形だけでも整えてやりましょう」というのが、昨今の学校行事に見られる側面のひとつではないかと思います。

同じような状況というか、目に見えない病状は、保育園にも、幼稚園にもしっかりと根付いています…

それはともかく、保育園の卒園生がたくさん入学した地域の小学校でも、今日は運動会が行なわれました。

晴天に恵まれて、本当に良かったと思います。

1年生のダンスも、とても可愛らしかったですね。

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「新編 家族の練習問題」

「新編 家族の練習問題

―木陰の物語―」


団 士郎 著

2006年5月10日 初版発行

ゴマブックス株式会社


家族のあり方が社会的な問題になっています。
政府の教育再生会議は、親の子育てについて、「母乳で育てる」「赤ちゃんと目をあわせ子守唄を歌う」「食事の時はテレビを消す」「三世代の同居」などを「親学」というテーマで提言しようとしているようです。
とても当たり前かのようなことをわざわざ政府が国民に向かって言う必要があるのかどうか、家庭に政府が介入し過ぎている、という議論が起こるのも当然でしょう。与党内からも、「再生会議は、教育放談会議になっている」と言われるくらいです。
子どもの問題は家族の問題、これは誰も否定しないでしょう。
そして、家族の問題は社会の問題なのです。社会が子育てしやすい環境でなければ、家族がうまく機能しないのは必然的とも言えます。
まず社会の各種制度の整備が必要であって、親に健全な子育ての姿勢だけを押しつけるのは、反発が起きても不思議ではないでしょう。
「新編 家族の練習問題」の中には、親としての苦悩が、自分が親になって初めてわかる、というトピックスがあり、私は息苦しいほどの共感を覚えました。
自分が自分の親にしてきたこと。自分が親として子どもにしてきたこと。どれも矛盾と後悔と悔しさが入り混じっています。
家族の中で、例えば子どもの非行、父親の単身赴任、夫婦間の亀裂、虐待など、さまざまな問題が起きた時、家族というシステムを再生するのか、それともゆるやかに解体していくのか、千差万別のものであり、万人共通の法則などありません。
それをひとつの思想で括ってしまおう、という無茶なことをするのが時の政権であり、それに対して私たちは声をあげなければなりません。
家族はひとつのものであって、固有なもの、独立した個性をもったコミュニティであることを。

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障碍診断の難しさ

「現代のエスプリ 476

スベクトラムとしての軽度発達障害Ⅱ」

2007年2月発行

至文堂

子どもに障碍があるかどうか、という診断をするのは医師(原則的には児童精神科医)が行う仕事です。

しかし、昨今の「軽度発達障碍」というあいまいな概念が、まるで流行のように教育関係者やマスコミで言われるようになり、私は個人的には、「障碍」という概念がいっそうわからなくなりました。

「軽度発達障碍」という診断名は実際には存在しません。

知的な遅れをともなわない、学習障碍(LD)、広い意味での自閉症圏を意味する広汎性発達障碍、注意欠陥/多動性障碍(AD/HD)などが軽度発達障碍のカテゴリーに入るとされています。ただ、これに知的に障碍がある子ども、あるいは境界とよばれる子どもたちを含めるかどうか、専門家でも議論が分かれるところです。

また、例えば広汎性発達障碍については、最近私の周囲で何人もの子どもがこの障碍名を診断としてつけられて来ました。この障碍の概念もあいまいなことは、子どもを観察していて実感するところです。「障碍の専門家が診断すれば、誰でも広汎性発達障碍と言われてしまうなぁ」と思うことはとても多いのです。

専門書を読んでも、諸説が並記されているだけで、ますますわからなくなります。

現状では、まず子どもの行動をよく観察して、その子どもの状態を知ることが大切だと思います。知能検査も大切ですが、発達を個体の成長と位置づけている諸検査は、あくまでも子どもを知る上での一部分にすぎないことを認識すべきだと思います。

子どもが発達する過程において、養育者(親)との関係、保育士との関係、兄弟の関係など、さまざまな人間関係を無視することはできません。いろいろな人との関わりから、子どもは発達するものだからです。どんなに優秀な子どもでも、一人で成長することはできません。

じっくり、じっくり、子どもとかかわっていきましょう。

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「いじめ」を考える

「いじめ問題と どう向き合うか」

尾木 直樹 著

岩波ブックレット№695 

2007年3月7日 発行

最近の「いじめ問題」について、わかりやすく解説された本です。

「いじめは加害者が100%悪い、たとえ被害者に問題はあったとしても、個人の人権は尊重されなければならない」という尾木氏の主張が本書の中で貫かれています。

近年の思春期(小学生高学年から高校生あたり)におけるいじめ問題は、被害者が時には加害者になったり、携帯電話の普及によりメールによる攻撃が頻繁に行われるなど、大人からは見えにくい実態があります。

いじめが原因による自殺の事実を隠蔽する文部科学省・教育委員会・学校関係者たちの姿勢は、市民だけでなく、子どもたちからも強い不信と絶望感を抱かせています。文科省大臣宛に子どもたちからの自殺予告の手紙が次々と送られたケースがこれを裏づけています。

組織としての管理体制が強化されつつあり、「教育再生会議」でも教師に対する過大な要求が高くなり、息苦しさが高まりつつある学校社会がいじめの根本的な原因のひとつであり、解決するのはかなり困難と言えるでしょう。例えば、いじめの根絶のために「いじめ件数半減」「不登校ゼロ」などと、すぐに数値的な目標が上から押しつけられているのが現状です。これが教師の人間としての感性とゆとりを奪い、逆にいじめを助長してしまうこともあるのです。

また、親の立場からの「いじめ」の予兆を見つけるための努力が求められます。いじめられている子どもは、必ず何かしらの兆候を示し、自殺も事前にサインが出ていると言われています。それを見逃さないための親の目が求められます。何でも学校の責任にして、糾弾するだけでは何の解決にもなりません。

また、私が保育園の保護者の方々と話していて一番気になることは、「小学校に入ったらいじめられないか心配です」と言う方は圧倒的に多いのですが、「いじめの加害者にならないか心配です」と言う方は皆無ということです。いじめの現実は、ひとり子が被害者にも加害者にもなる可能性が高く、昔のように非行に走る子だけが加害者という時代ではありません。いじめられないために加害者側に加わったり、傍観してしまう子はたくさんいるのです。そのことを私たちはもっと自覚しないといけないでしょう。

尾木氏があげる「いじめをする時期の加害者イメージ」として

  • わがまま
  • 自分がない
  • すぐにむかつく
  • かっこつけたがる
  • リーダー
  • 目立ちたがりや
  • 先生や上級生にうけがよい
  • 言葉が達者
  • 無責任で積極的
  • 明るい

この中で「リーダー」や「先生や上級生にうけがよい」「明るい」などは、一般的に良いイメージであり、いじめの加害者とは無縁のように思われるかもしれません。しかし、私が保育園の子どもたちの関係を見ていても、どの子どもでもいじめる側に加担してしまう可能性は否定できません。

反対にいじめを受けることを防止する方法は、ほとんどないと言っていいでしょう。何が原因でいじめが始まるか、誰にもわからないことなのです。したがって、いじめられる子どもを励ましたり、元気づけることよりも、いじめる子を生み出さない生活環境が絶対的に必要なのです。

いじめはなくすことはできない。これだけは言いたくないところです。

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「Whale Rider」

「Whale Rider」

邦題「クジラの島の少女」

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監督・製作:ニキ・カーロ

製作:ティム・サンダーズ/ジョン・バーネット/フランク・ヒューブナー

原作:ウィティ・イヒマエラ「ザ・ホエール・ライダー」

キャスト

パイケア:ケイシャ・キャッスル=ヒューズ

コロ:ラウィリ・パラテーン

フラワーズ:ヴィッキー・ホートン

ポロランギ:クリフ・カーティス 他

2002年製作・公開

ニュージーランド・ドイツ映画

ニュージーランドに住むマオリ族。彼らはクジラに乗ってやってきた勇者伝説を信じ、男を族長として長年にわたって伝統を引き継いで来ました。望まれない「女」として生まれたパイケアは、その孤独と闘いながらやがて奇跡を起こす少女へと成長して行きます。

一族に伝わる伝説と伝統。それを厳格に守ろうとする祖父。反発して島から去る父親。優しく理解ある祖母。父親を愛しながらも、祖父の元に残り、一族の伝統に自らを投げ入れようとする少女・パイケア。彼女は、伝説の勇者「ホエールライダー」の魂を受け継ぐ者として、クジラを導く不思議な運命に立ち向かい、ニュージーランドの海と大地に奇跡を起こしていきます。

圧倒的な大自然の中で、文明の波に飲み込まれていく先住民族の現状を描きながら、家族の絆とは何か? を問いかけるものでもあります。伝統と家族の狭間で懸命に生きるパイケアがとても愛らしく、優しい少女として描かれています。

ニュージーランド版「風の谷のナウシカ」という評判もあります。しかし、日々日常の生活が淡々と描かれているこの作品は、過大な期待を持たずに、ゆったりとした気分で観るのが良いのではないかと思います。

ラストは明るい未来を予感させる島の人々の姿が描かれ、さわやかな気分にさせてくれます。これも全編で活躍するパイケア―ケイシャ・キャッスル=ヒューズの素朴で可愛らしい演技にもよるでしょう。

感動の一作です。

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「Melody」

「Melody」

邦題「小さな恋のメロディ」

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原作・脚本:アラン・パーカー

製作:デビット・パットナム

監督:ピーター・サスチスキー

音楽:ピージーズ、クロスピー・チティルス・ナッシュ&ヤング

キャスト:マーク・レスター/トレイシー・ハイド/ジャック・ワイルド/他

1970年製作、1971年公開

イギリス映画

******

パブリックスクールに通う11歳の少年と少女の恋の物語。

ピージーズの歌が全編にわたって流れ、とりわけテーマ曲の「Melody Fair」はあまりにも有名です。

メロディは映画のタイトルであると同時にトレイシー・ハイド演じるヒロインの名前でもあります。

私がこの映画を初めて観たのは中学生の時でした。

好きだから一緒にいたい、愛しているから結婚したい。

このテーマは思春期の心に甘く、強く響きました。いまあらためて観ても、コミカルで子どもたちの茶目っ気ぶりが新鮮に感じられます。

それにしても、当時はとても可愛らしく見えたマーク・レスターやトレイシー・ハイドが、いまの美的感覚ではそれほどでもないように見えるのは、時代の流れでしょうか。でも、メロディは素朴でどこにでもいるような女の子で、私は大好きでした。

イギリスやアメリカでは評価されず、日本で大ヒットしたのは、間違いなくマーク・レスターの人気によるものだと思います。

ラストの、子どもたちだけによる結婚式。他愛もないようですが、当時はあこがれたものでした。そして追いかけてきた先生たちをやっつけてしまうところは痛快です。

トロッコを押して、線路をどこまでも進んでいく2人のエンディングは忘れられません。

この映画は青春の1ページです。

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特別支援教育報告会

八王子市教育委員会主催による「特別支援教育報告会」が八王子市芸術文化会館・いちょうホールで開催されました。

これは2007年度4月から実施される特別支援教育について、今までの取り組みと、これからの見通しについて、学校関係者および保護者、市民に報告するための会でした。

実際には、セレモニー的なイメージが強く、本当にこれからの学校教育に変化があるのか、よくわかりにくい内容でした。

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「フンガくん」

「フンガくん」


国松 エリカ 作

小学館

1996年11月

元気のいい子ブタのフンガくん。

フンガくんは、泣いたり、だだをこねたり、へそをまげたり、あばれたりと毎度おおさわぎです。

見方によっては、フンガくんはADHD(注意欠陥多動性障害)かもしれません。

それは、毎回フンガくんがおおさわぎをした後は、そばにいるはずだったお母さんとかならずはぐれてしまうからです。

そして、最後には、なんで自分がおおさわぎをしていたのか、フンガくんは忘れてしまいます。

お話のこのオチが楽しいですね。

しかし、フンガくんにレッテルを貼ることが、私の真意ではありません。

とても大切なことは、おおさわぎをしてどんなに迷惑をかけても、それを受け入れてくれる地域と社会が、この絵本の中にはあるのです。

これは映画「男はつらいよ」の世界にも通じていることですね。
フーテンの寅さんが実際にいたら、周りの人はたまったものではありません。何だかんだと言って、その寅さんを受け入れる「寅屋」の人々の人情に、私たちは忘れてしまった何かを感じ、求めるのです。
いまの社会は、それだけのゆとりとおおらかさがあるでしょうか。

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軽度発達障碍とは…

軽度発達障碍とは…

「現代のエスプリ 474

スペクトラムとしての軽度発達障害Ⅰ」

編集 石川 元

2006年12月

至文堂

近年、「軽度発達障害」という言葉がよく聞かれます。専門家によってその定義はさまざまですが、大枠で捉えると、「知的な遅れを伴わない」「広汎性発達障碍(自閉症、アスペルガー障碍など)」「学習障碍(LD)」「注意力欠陥多動症候群(ADHD)」などの障碍を言うようです。

そこで私は前々から疑問に思っていたことがあります。

「軽度発達障害」が「知的な遅れを伴わない」のであれば、以前に「軽度の発達障碍」と言われた、軽度の知的障碍、あるいは境界域にいる子どもたちは何と表現すればいいのでしょうか。

学校教育で行われる「特別支援教育」が、軽度発達障害の子どもたちを対象とするのであれば、一般学級にも、障碍児学級にも存在する「軽度の知的障碍」の子どもたちは、支援の対象からはずれることになります。

「軽度の知的障碍」と言っても、さまざまな状態・ケースがあり、「単に知能が遅れている状態」と括ることはできません。軽度発達障害と診断される子どもたちの中にも、知的に遅れている子どもは存在します。

つまり、子どもを能力や発達で線引きすることはできないのです。これは当たり前のことですが、非常に重要なことです。

ここで、「スベクトラム」という概念が重視されます。「スベクトラム」とは連続性を意味します。障碍の程度は、すべてスベクトラムであり、一般学級に在籍する子どもたちにつながっているのです。

現在、最も一般的に使われるのは「自閉症スベクトラム」という考え方です。重い自閉症の人から、程度の差はあれどの人も持ち合わせる「日常生活の中でのこだわり」まで、自閉症という症状はスベクトラムと言えるのです。

同じように、障碍と呼ばれる症状は、知的能力も含めてスベクトラムなのではないかと思います。

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「マドレーヌのクリスマス」

「マドレーヌのクリスマス」

「マドレーヌのクリスマス」

ルドウィッヒ・ベーメルマンス 作・絵

江國 香織 訳

2000年11月

BL出版

クリスマスもの絵本の中でも、意外と知られていない作品です。

クリスマスの夜、学校の先生や生徒はみんな風邪をひいて寝込んでしまいます。ひとり元気なマドレーヌだけが掃除や食事の準備をひとりでこなしていました。そこに現れた「じゅうたんしょうにん」が…

サンタクロースを思わせるような人物とマドレーヌのやりとりがとてもおもしろいですね。

また、「じゅうたんしょうにん」の魔法で、子どもたちが自分の家に帰る、というくだりは、現代の子どもには少し理解できないかもしれません。

クリスマスは、楽しい絵本がいちばんですね。

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「マドレーヌといたずらっこ」

「マドレーヌといたずらっこ」

「マドレーヌといたずらっこ」

ルドウィッヒ・ベーメルマンス 作・絵

瀬田 貞二 訳

1973年5月

福音館書店

マドレーヌが住む寄宿舎学校の隣に、スペイン大使の一家が引っ越して来ます。大使の息子ペピートは、いたずらっ子でマドレーヌたちの悩みのたねとなります。

その後の「マドレーヌ」シリーズで、マドレーヌとともに行動することが多くなる「ペピート」が登場する絵本です。

ペピートは、いたずら好きで、動物を虐待し、人々を困らせます。今の時代であれば、ADHD(注意欠陥多動症候群)と診断されてしまうでしょう(笑)。

そのペピートをマドレーヌは嫌いますが、しだいに二人は仲良しになっていきます。二人とも、寂しい境遇にいたことが大きかったのではないでしょうか。ペピートがマドレーヌに少しずつ心を開いていくことによって、いたずらは減り、やがてみんなは理解し合うことができるようになります。

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「マドレーヌといぬ」

「マドレーヌといぬ」

「マドレーヌといぬ」

ルドウィッヒ・ベーメルマンス 作・絵

瀬田 貞二 訳

1973年5月

福音館書店

もう古典に近い「マドレーヌ」シリーズの本は、子どもたちに大人気な絵本のひとつです。

ひとつひとつの絵の中に、パリのさまざまな風景が描かれているところが私は大好きです。

縁があって、10年ほど前にフランスを旅行したことがありました。パリにも数日間滞在したので、「マドレーヌ」の絵本の中に登場するパリの建物は、ほとんど知っています。

子どもたちに、この絵本を読む時はに、必ずパリの建物のエピソードなどをつけ加えて話をすることにしています。

この「マドレーヌといぬ」は、セーヌ川に落ちたマドレーヌを救った名犬ジュヌビエープが登場するもので、シリーズ中最も知られ、人気が高い絵本です。

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「子どもの目が輝くとき」

「子どもの目が輝くとき」

「子どもの目が輝くとき」

和久 洋三 著

玉川大学出版部

2003年12月

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「保育を支える発達心理学」

「保育を支える発達心理学」

「保育を支える発達心理学

関係発達保育論入門」

鯨岡 峻/鯨岡 和子 著

ミネルヴァ書房

2001年3月

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「保育白書 2006年版」

「保育白書 2006年版」

「保育白書 2006年版」

全国保育団体連絡会・保育研究所 編

発行 ちいさいなかま社

発売 ひとなる書房

2006年8月

 ☆特集・「認定こども園」って何?

 ☆小特集・公立保育所の民営化

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「徹底して子どもの側に立つ保育」

「徹底して子どもの側に立つ保育」

「徹底して子どもの側に立つ保育」

清水 玲子 著

ひばりの実践を研究する会 編

ひとなる書房

2006年8月

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「障害児の親から健常児の親へ」

「障害児の親から健常児の親へ」

「障害児の親から健常児の親へ

統合保育が当たり前の世の中になることを願って」

石井 利香 編

協力・淵野辺保育園

朱鷺書房

2000年11月

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「子どもの障害をどう受容するか」

「子どもの障害をどう受容するか」

「子どもの障害をどう受容するか

家族支援と援助者の役割」

中田 洋二郎 著

大月書店 子育てと健康シリーズ

2002年8月

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「障害は個性か」

「障害は個性か」

「障害は個性か」

新しい障害観と「特別支援教育」をめぐって

茂木 俊彦 著

2003年10月

大月書店

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『「こころ」はだれが壊すのか』

『「こころ」はだれが壊すのか』

『「こころ」はだれが壊すのか』

滝川 一廣 著

聞き手・編:佐藤 幹夫

洋泉社 新書y

2003年2月

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