
「ベラ・チャスラフスカ 最も美しく」
後藤 正治 著
2004年 文藝春秋 刊
2006年 文春文庫
ベラ・チャスラフスカ。旧チェコスロバキアの体操選手。
1964年、東京オリンピックにおいて、女子体操個人総合金メダリスト。当時、オリンピックの華として、外国人選手の中では圧倒的な人気を得た選手です。
私もうっすらと記憶に残っていますが、子ども心に、とても美しい人だったということは覚えています。
女子体操は、1972年ミュンヘン・オリンピックにおいて、個人総合のメダルは逃したものの、床体操で愛くるしい演技を見せ、一躍人気者となったオルガ・コルブト(旧ソ連)以降、低年齢化が進み、美よりも技を追求することになります。正確には、コルブトが登場する少し前に活躍していたニーナ・ドロノワ(ソ連)が当時12,3歳でナショナル・チームに入ったことが始まりだと思います。
そして、その頂点は、何といっても、1976年モントリオール・オリンピックで10点満点を次々と出したナディア・コマネチ(ルーマニア)でしょう。
現在の女子体操は、オリンピックの出場資格に年齢制限が設けられ、再び美と技の調和をめざしているようです。
かつての体操の女王、ベラ・チャスラフスカは、美しさと技のバランスがとれた、体操史上最高の選手だったと言えるでしょう。
そして、彼女は東京大会から四年後、1968年のメキシコ・オリンピックにも出場して、再び女子個人総合で金メダルを獲得します。その年、ワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに侵入し、市民を弾圧する内乱が起きました。チャスラフスカは、抗議の意味を込めて、黒いユニホームを着て演技にのぞみました。
彼女の人生は決して恵まれた、幸せばかりが続くものではありませんでした。
メダルを争う体操選手の多くは、日本を除いては、旧ソ連、東欧諸国がほとんどです。1980年代後半から起きた社会主義国家体制の崩壊は、体操選手も含めて、数多くの人たちに波乱の人生を歩ませることになりました。
ナディア・コマネチは、革命が起こる寸前に、森を歩き、国境を脱出し、アメリカへ亡命しました。
国家財政の破綻によって、ナショナルチームのコーチなど、要職を追われた元選手もたくさんいたようです。
そして、国家による統制に反発して、引退後は、長年貧しい生活を強いられてきたチャスラフスカは、国家体制の変革によって、再び表舞台に出ることになります。大統領顧問、チェコオリンピック委員会会長、そしてIOC委員…
しかし、近年、ベラ・チャスラフスカは、家族の悲劇的な事件がもとで、重いうつ病になり、病院でひっそりとした生活を送っているそうです。私はこの事実を読んだ時、とてもショックでした。すでに60代になっている彼女ですが、私の中では、いつまでも美しいアスリートのままです。
人の人生は、何が起きるかわかりません。
しかし、ベラ・チャスラフスカのように、自分を信じて、自分から道を選んで進むことが、きっと正しいことなんだ、と心から思います。
一日も早く、彼女が病を克服し、大好きだったという日本にも再び訪れることを願うばかりです。