「父と暮らせば」

「父と暮らせば」

Peace_2

原作:井上ひさし

監督:黒木和雄

出演:宮沢 りえ/原田 芳雄/浅野 忠信

2004年 日本映画

広島に原爆が投下されてから三年。生き残った娘と、被曝して死んだ父親との交流と日常を描いた映画です。

Intro

自分だけが幸せになってはいけない、と芽生える愛をかたくなに否定しようとする娘。この世に戻ってきて、娘の恋愛を後押ししようとする父親。二人のほのぼのとした会話のやりとりと、原爆の悲惨さが対象的です。

Story2

自分だけが生き残ってしまった、という自虐的な思いは、何ともせつなく、悲しい影を引きずっています。数え切れない多くの人が原爆で亡くなり、またたくさんの人が生を背負って戦後の日本で生き続けました。

決して自分が悪いわけではないのに、一瞬のせん光の中で死んでしまった方がよかったと思ってしまうことは、戦争の愚かさだけでなく、人としての生きる苦しみを誰もが抱えていることをおしえてくれます。

Story1

多くの方に観ていただきたい作品です。

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9.11同時多発テロから6年

アメリカの同時多発テロから今日で6年。

この6年間は何だったのでしょうか。

終わりが見えないイラク、アフガニスタンの内戦状態。

毎日とびこんで来る「自爆テロ」のニュース。そのたびに、10人単位で尊い人の生命が奪われる。

劣化ウラン弾の後遺症に苦しむ子どもたち。迫り来る死の恐怖。

極限の状態から遠く離れた日本では、「国際貢献」という名のもとに、アメリカ軍の支援活動延長のための審議を「のん気」に始めようとしています。

国際紛争の解決の手段としての戦争がなくなることは、今の世界情勢からは考えられないことかもしれません。だから日本の憲法を改正して、自衛隊を正規の「自衛軍」にして、いつでも戦争ができるようにするべきだ、と考えている人が割とたくさんいるようです。

「人間の死」が、これほど軽くなってしまったのはなぜでしょうか。

たとえ人には「前世」があり、生まれ変わりがあったとしても、生命を軽く考えることには大反対です。戦争は人の生命を紙切れよりも軽くしてしまいます。そのことを今日考えてみました。

テロを終結させるための戦闘行為は無意味ではないか…

このことを一緒に考えてくれる方がいませんか。

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戦死者と戦没者

毎日新聞の8月23日付夕刊を読んでいて、「戦死者」と「戦没者」の違いがわかりました。

「戦死者」は、戦争においてみずからの意志で戦闘に参加して死亡した人のことを言うそうです。つまり、覚悟の死だということです。したがって、「英霊」という名のもとに、亡くなった後は「戦死者」として靖国神社に合祀されます。靖国神社は「戦死者」だけを慰霊する施設です。

「戦没者」は、心ならずも原子爆弾や空襲で死んだ人々のことで、戦闘員ではなく一般の市民が亡くなった場合に言います。戦闘員でも、輸送船とともに海の底へ消えた人たちは広い意味で「戦没者」になるそうです。「戦没者」は千鳥が淵戦没者墓苑で慰霊されています。

保守系の文化人や国会議員の方々は、戦没者より戦死者が格が上だと思っているそうです。みずから死を覚悟の上で戦った人は、「心ならずも死に追いやられた人―戦没者」よりも英雄であり、優れていると考えているそうです。

本当に、そう思いますか?

私は「卑怯者」と言われてもいいから、戦争になったら逃げる方でしょう。もちろん、家族や友人たちを守ることは忘れませんが、だからと言って戦闘者になって、勇敢に戦おうとは思いません。

「無駄死に」という言葉がありますが、戦闘で戦って死んだ人は意味のある死で、原爆で死んだ人は無駄死になのでしょうか。死に方にも格付けしたがる人の気持ちがわかりません。戦争によって死んだすべての人々は究極の悲劇であることに違いはありません。戦闘者だけを称える風習や考え方は、現代の社会の中にも割と多く見られます。私は非戦闘員の名誉を守りたいと思います。

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戦争を始めないために

暑い日が続いています。

今年も広島・長崎の原爆投下の日に続いて、終戦の日がやってきます。

広島における原爆投下後の庶民の生活を描いた映画「夕凪の街 桜の国」が上映されたり、テレビの特版ドラマで「はだしのゲン」が放映されたりと、最近は戦争の記憶を語り継ごうという意識が見られます。素直にとても大切なことだと思います。

はっきり言って、戦争などに行きたくない人がほとんどではないかと思います。

自分の家族が、自分の子どもが、戦争によって生命を落とすなど、絶対に反対だと考える人がほとんどではないかと思います。

しかし、現実には、ゆっくりと、眼に見えないように、社会は危険な方向へと向かっているように思われて仕方がありません。

職業として自衛隊を選ばれた方を非難するつもりはまったくありません。それなりの意志で国家を守る仕事を選択されたのでしょう。

でも、それほど国家というものは大切なのでしょうか。

先の大戦においても、国家を守る、という大義名分のために、どれだけ多くの生命が失われたことでしょう。日本人だけではなく、世界のたくさんの民族の生命が奪われました。

今こそ、もう一度、私たちは歴史に立つ人間として、戦争の永久阻止を後世に伝えなければならないのではないかと思います。

私が小学生の時、学校の先生方には戦中派が多く、担任の先生は特攻隊の生き残りでした。その先生方は、授業をつぶしてまで戦争の悲惨さを私たちに話して聴かせました。

戦争の悲惨さばかりを伝えることが良いことではない、と最近考えるようになりました。なぜなら私たちは、戦争の悲惨さを身をもって体験していないからです。戦争を体験された方からの伝承は大事なことです。体験者が高齢化で少なくなってきたことからも、それはきちんとやらなければならないと思います。

そして、私たちは戦後世代として、築き上げた文化や美しい地域社会を伝えることが大切だと思います。戦争はすべてを破壊します。今持っているひとりひとりの美しいものを壊さずに継承することも私たちの役割だと考えます。

時の首相は「美しい国」と言いますが、これは国家思想につながり、市民の意志・財産・生命は後回しにされ、戦争が始まれば真っ先に犠牲になります。間違わないようにしなければなりません。

私たちの言葉は弱く、つたないものです。しかし、志しを同じ人たちが手をつなぎ、少しでも大きな声をあげて行くことは大切だと思います。

(残念ながら、私は特定の政党・政治団体等には関係しておりません。かつて、ある政党に関わりを持って、大変に辛い思いをしたことがあります。したがって、政治からは距離を持っているのが私の姿勢です)

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戦争を忘れない日

  嬉しい?

  10年経ったけど
  原爆を落とした人はわたしを見て
  「やった! またひとり殺せた」
  とちゃんと思うてくれとる?

こうの史代原作「夕凪の街」のラスト近く、ヒロインの言葉です。

62年前の今日、広島に人類史上初めて原子爆弾が投下されました。ひとつの都市が一瞬にして壊滅し、たくさんの市民が亡くなり、今も後遺症に苦しむ人々が大勢います。国は被爆した人に対して原爆症の認定を事実上拒否しており、何ともやりきれない思いにさせられてしまいます。

東京は朝から太陽がさんさんと輝き、今日も暑い一日になりそうです。62年前の広島も同じだったのでしょうか。無差別に都市・市民を大量虐殺した原子爆弾の投下は、「戦争を早期に終結させるため」と一貫してその正当性を主張するアメリカ政府の言葉も虚しく聴こえるだけです。

それだけ人間は同じ人間に対して行なった残虐な行為を見て見ぬふりをし続けることができるのでしょうか。

このように原爆被害のことを書くと、必ず反論として日本軍による加害行為が言われます。戦争はどちららの人間も鬼にしてしまいます。どっちが悪いとか、聖戦とか、平和を守るための戦いだとか… 後からいくらでも付け足して言えることでしょう。

数年前から問題視されていますが、中学生や高校生に8月6日と9日は何の日か? と訊ねるとわからない子が圧倒的に多いそうです。学力向上とか、教育改革とか言う前に、私たちは子どもたちに歴史の中で何があったかを伝えるべきではないでしょうか。

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「東京大空襲」

「東京大空襲」

―昭和20年3月10日の記録―
早乙女 勝元 著

1971年1月初版発行

岩波新書
空爆という戦闘形態が、戦争の中では当たり前になっています。
東京大空襲では、わずか三時間に満たない空襲によって、8万から10万人の人々が亡くなりました。これは、広島・長崎の原爆被害に匹敵するものです。
日本もこの戦争では中国の重慶に無差別爆撃を行なっています。
加害者でもあり、被害者でもあります。
しかし、なぜ、このようなやり方が正当化されるのでしょうか。
同じような空爆は、イラク戦争でも日常化しています。
これが正しいことだと、私は思いません。
敵対国の一般市民を大量虐殺することは、認められないことです。
「1人を殺せば殺人者だか、100万人を殺せば英雄だ」
チャールズ・チャップリンの有名なセリフです。
一方的な殺戮は、いますぐにやめるべきです。

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ビキニ・デー

1954年3月1日、第五福竜丸はマーシャル諸島近海において操業中に、ビキニ環礁で行われたアメリカによる水爆実験に遭遇し、船体・船員・捕獲した魚類が放射性降下物(いわゆる死の灰)に被爆しました。実験当時、第五福竜丸はアメリカが設定した危険水域外で操業をしていました。

実験で使用された水爆は、広島型原爆の1000倍の威力を持っていました。この時に放射性降下物で被爆した船は数百隻、被爆者は2万人を越えると言われています。

第五福竜丸の船員23名全員が被爆しましたが、無線長の久保山愛吉さんが半年後に急性放射能症で死亡しました。

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「2・26事件」

「図説 2・26事件」


平塚 柾緒 著


太平洋戦争研究会 編


ふくろうの本


河出書房新社
2003年1月初版発行



1936年2月26日未明、二十数名の陸軍青年将校らが1500名の下士官兵を率いて、時の首相をはじめ、重臣らを襲撃、殺害しました。
歴史教科書にも登場する、2・26事件です。


武力による軍事クーデターは、他国の話のようですが、戦前の時代、日本でも起きていたのです。
このような事件が起きるには、複雑な時代背景があります。第一次世界大戦後の世界的な大恐慌による慢性的な不況は、失業者を大量に排出しました。天候不良による凶作は農村に壊滅的な打撃を与えました。娘を今で言う「風俗業」に売りに出すこともめずらしくありませんでした。
現代と違って、農村部の人口比率が高かったため、徴兵されて入隊した兵隊たちの多くは農村出身でした。これら、現代とは比較にならないほどの格差社会に不満を持つ青年将校(ほとんどが20代から30代前半)らが、「昭和維新」を叫んで決起したのは、それなりの理由があったからです。
しかし、武力で政府を鎮圧することには、結局失敗し、将校のほとんどは秘密裁判にかけられ死刑となりました。この事件をきっかけに、政治家は弱腰になり、軍部による政治介入は露骨になり、結局第二次世界大戦への道を進むことになるのです。

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「地球の静止する日」

「地球の静止する日」

監督:ロバート・ワイズ

製作:ジュリアン・ブラウスティン

脚本:エドマンド・H・ノース

音楽:バーナード・ハーマン

出演:マイケル・レニー/パトリシア・二ール/ビリー・グレイ/サム・ジャッフェ/ヒュー・マーロウ
1951年製作・公開

アメリカ映画

宇宙からの来訪者クラトゥは、全銀河系からの要請として、地球上の暴力的闘争・特に核兵器の使用について即時中止を勧告します。ワシントンに飛来したクラトゥは各国の代表者との会談を希望しますが、あえなく拒絶されてしまいます。彼は暴力には否定的ですが、強力な力を持っていることを示すため、30分間だけ地球の機能を停止させます。地球の静止する日です。しかし、このことが敵対行為として受けとめられ、クラトゥは軍隊によって射殺されてしまいます。彼とともに宇宙船から現れた銀色のロボット・ゴートは、クラトゥの遺体とともに、宇宙船の中へ消えて行きました…

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唐突に飛来した円盤型宇宙船は、地球を侵略する目的ではなく、平和の使者として現れました。しかし、思考能力が追いつかない人間の愚かさによって、平和のメッセージは踏みにじられてしまいます。

宇宙の視点から見れば、地球人類の科学技術も、思想も、すべてが幼く、愚かに映ります。人間と同じ姿をしたクラトゥが、何とかして地球人に平和を訴えようとする場面が中心になります。市民の生活に入り込み、少年から人間世界の情報を聴き出し、順応しようと努力します。リンカーン大統領の石像の前では、敬意の念を持ちます。

結局、クラトゥの努力は実ることはありませんでした。しかし、だからと言って、地球が全銀河の連合体から抹殺される、ということもありません。人々は、また日常に戻っていきます。

この映画は、人間の愚かさだけが浮き出される話です。

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「渚にて」

「渚にて」

製作・監督:スタンリー・クレイマー
脚本:ジョン・パクストン
原作:ネビル・シュート

音楽:アーネスト・ゴールド

出演:グレゴリー・ペック/エバ・ガードナー/フレッド・アステア/アンソニー・パーキンス/ドナ・アンダーソン
1959年製作・公開

アメリカ映画
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1964年、第3次世界大戦が勃発。核兵器の使用により、地球全土は放射能によって汚染されてしまいます。唯一、南半球のオーストラリア周辺の一部を除いて、人類は死滅してしまいました。本国に帰還できなくなったアメリカの原子力潜水艦は、メルボルンに入港します。しかし、その地にも死の灰が迫りつつありました。
潜水艦の艦長タワーズ(グレゴリー・ペック)を中心に、死が迫りつつある人々の葛藤を描いた映画です。
放射能によって死の街となったサンフランシスコ…
死の灰が到来する前に、劇薬の配布を待つ市民の列…
生まれたばかりの子どもを自分の手で命を奪うことに悩む若い夫婦…
結末がわかっていたはずの核戦争を引き起こしてしまった、人間の苦悩と後悔…
終末が近いことを知りつつ、渚でくつろぐ人々の悲しさが、あまりにもリアルに描かれています。
この映画が公開された1959年当時は、核兵器の軍拡競争がアメリカ・ソビエトの間で加速し、東西の冷戦状態が本格化した頃です。その数年後には、核戦争の一歩手前まで行った「キューバ危機」が起こりました。
東西冷戦の時代が終わり、核兵器による人類絶滅の危機は去ったかのように思われます。
しかし、依然として世界中には核兵器が存在し、軍隊が管理しているのです。そのことを忘れてはなりません。
この映画は、戦争とは何ら関係のない人々が、核戦争によって死んでいく姿を描くことによって、人類への警告、戦争の愚かさ、そして、人間の手によって作られる運命の恐ろしさを訴えています。
ぜひ、一度は観ていただきたい映画です。

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「日本のいちばん長い日」

Ichibannagaihi

「日本のいちばん長い日」

原作 半藤 一利

監督 岡本 喜八

出演 三船 敏郎、山村 聡、笠智衆、志村喬、黒沢年男 他

1967年 東宝作品

太平洋戦争終結時、日本がポツダム宣言の受諾を決定し、昭和20年8月15日正午に天皇による玉音放送が流れるまでの24時間を描いた大作です。

戦争継続・本土決戦を望む陸軍の一部将校たちによって、皇居が占拠されるなど、さまざまな歴史の裏側が描かれています。振り上げた拳を収めるには、想像を絶するほどの苦難が必要か、この映画は訴えています。

連合国によるポツダム宣言が発表されたのは、昭和20年7月でした。日本が受諾するまで約一ヶ月を要したのです。その間、広島・長崎には原子爆弾が投下され、ソビエトが不可侵条約を破って参戦しました。映画でも描かれていますが、8月15日終戦当日の深夜に飛び立った特攻隊もいました。戦争遂行を画策して、自決した若い将校もたくさんいました。

戦争で、300万人以上の兵士・民間人が死亡し、アジアの人はそれ以上に死にました。

この映画では、国が行なう戦争という行為を止める難しさが嫌というほどわかります。人々がいかに努力しても、動いている国家の機能を停止させるのは至難のことなのです。それは、ひとりひとりの人が持つ、思想・信条が手かせ足かせになっている場合もあるのです。教育基本法の改正で、統一思想を教育に持ち込もうとしている現代の日本は、そのまま暗黒の日本へ逆行しているようなものはないでしょうか。

本土決戦が行なわれれば、当時の日本人は大半が死傷したことでしょう。また上陸する連合国側にもたくさんの犠牲が出たことでしょう。しかし、それを最後まで望んでいた陸軍の将兵たちも、行為は許されるものではなく、思想は過激であったのですが、国体を思う心は純真でいたことこそ、人間の未熟さや恐ろしさを感じます。

現在に例えてみれば、イラク戦争は泥沼化して、それに加担した日本の大義など無に等しい状況です。それでもあえて、軍事力の強化とそれに頼る政治家たちの思想は、本当に恐ろしく、未熟すぎると思います。

この映画を時の政府・役人・政治家の人たちに観てほしいと思います。

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田中 キヲさん 死去

田中 キヲさん 死去

新聞報道によれば、長崎被爆報道写真「治療の順番を待つ母子」の被写体であった、田中キヲさんが9日夜、肺炎のため長崎市内の病院で死去されました。91歳でした。

この写真は、長崎市内で被爆した翌日、臨時救護所で生後4ヶ月の二男に授乳する姿として、私は強烈な印象を受けました。

赤ちゃんは撮影から約10日後に亡くなったそうです。

ご冥福をお祈りいたします。

合掌

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北朝鮮の核実験

 報道によれば、北朝鮮は、今日核実験を行なったそうです。

 また、「核クラブ」のメンバーが増えました。

 人間は、一度、核兵器によって滅んでみないと、平和の意味がわからないようです。核兵器を持つことが国際社会での地位を確保すると、本気で思い込んでいる国が、あといくつあるのでしょうか。核の保有国が増えることによって、人類の絶滅がまた一歩近づくことが、政治家はわからないのでしょうか。

 今日のニュースを見て、無力感しか感じませんでした。

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チャスラフスカを知っていますか?

チャスラフスカを知っていますか?

「ベラ・チャスラフスカ 最も美しく」

後藤 正治 著

2004年 文藝春秋 刊

2006年 文春文庫

 ベラ・チャスラフスカ。旧チェコスロバキアの体操選手。

 1964年、東京オリンピックにおいて、女子体操個人総合金メダリスト。当時、オリンピックの華として、外国人選手の中では圧倒的な人気を得た選手です。

 私もうっすらと記憶に残っていますが、子ども心に、とても美しい人だったということは覚えています。

Korubuto

 女子体操は、1972年ミュンヘン・オリンピックにおいて、個人総合のメダルは逃したものの、床体操で愛くるしい演技を見せ、一躍人気者となったオルガ・コルブト(旧ソ連)以降、低年齢化が進み、美よりも技を追求することになります。正確には、コルブトが登場する少し前に活躍していたニーナ・ドロノワ(ソ連)が当時12,3歳でナショナル・チームに入ったことが始まりだと思います。

Nadia

 そして、その頂点は、何といっても、1976年モントリオール・オリンピックで10点満点を次々と出したナディア・コマネチ(ルーマニア)でしょう。

 現在の女子体操は、オリンピックの出場資格に年齢制限が設けられ、再び美と技の調和をめざしているようです。

 かつての体操の女王、ベラ・チャスラフスカは、美しさと技のバランスがとれた、体操史上最高の選手だったと言えるでしょう。

 そして、彼女は東京大会から四年後、1968年のメキシコ・オリンピックにも出場して、再び女子個人総合で金メダルを獲得します。その年、ワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに侵入し、市民を弾圧する内乱が起きました。チャスラフスカは、抗議の意味を込めて、黒いユニホームを着て演技にのぞみました。

 彼女の人生は決して恵まれた、幸せばかりが続くものではありませんでした。

 メダルを争う体操選手の多くは、日本を除いては、旧ソ連、東欧諸国がほとんどです。1980年代後半から起きた社会主義国家体制の崩壊は、体操選手も含めて、数多くの人たちに波乱の人生を歩ませることになりました。

 ナディア・コマネチは、革命が起こる寸前に、森を歩き、国境を脱出し、アメリカへ亡命しました。

 国家財政の破綻によって、ナショナルチームのコーチなど、要職を追われた元選手もたくさんいたようです。

 そして、国家による統制に反発して、引退後は、長年貧しい生活を強いられてきたチャスラフスカは、国家体制の変革によって、再び表舞台に出ることになります。大統領顧問、チェコオリンピック委員会会長、そしてIOC委員…

 しかし、近年、ベラ・チャスラフスカは、家族の悲劇的な事件がもとで、重いうつ病になり、病院でひっそりとした生活を送っているそうです。私はこの事実を読んだ時、とてもショックでした。すでに60代になっている彼女ですが、私の中では、いつまでも美しいアスリートのままです。

 人の人生は、何が起きるかわかりません。

 しかし、ベラ・チャスラフスカのように、自分を信じて、自分から道を選んで進むことが、きっと正しいことなんだ、と心から思います。

 一日も早く、彼女が病を克服し、大好きだったという日本にも再び訪れることを願うばかりです。

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THE LONGEST DAY ―史上最大の作戦―

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「THE LONGEST DAY」

《邦題》「史上最大の作戦」

原作:コーネリアス・ライアン

製作総指揮:ダリル・F・ザナック

出演:ジョン・ウェイン、ロバート・ミッチャム、ロバート・ライアン、ヘンリー・フォンダ、リチャード・バートン、ピーター・ローフォード、クルト・ユルゲンス、他

1962年 20世紀フォックス映画

 第二次世界大戦の欧州戦線で大きな転換となった、連合軍によるノルマンディー上陸作戦を描いた戦争超大作です。出演する俳優の面々、広大な撮影シーンなど、ハリウッド超大作の名残とも言えるでしょう。

 私はこの映画を子どもの頃から何回も観て来ました。そのたびに思うことは、この作戦・戦争のために何と多くの人が死んだのだろう、ということです。

 戦争は始まってしまえば、終わりはなかなかやって来ません。どこかで決着がつくまで行なわれます。この映画では、フランスを始めとするヨーロッパ大陸のほとんどをドイツが占領しています。アメリカ・イギリス・フランス・カナダなどの連合軍は、反攻の一歩として、フランスのノルマンディー海岸に上陸作戦を敢行します。

 同時にフランスの奥深くに空挺部隊が潜入し、レジスタンス(フランスの地下組織)が妨害行動を起こします。このように、作戦はさまざまな場所で同時進行していきます。

 ノルマンディー上陸作戦は、連合国にとって誇りある作戦として歴史に刻まれています。同時に連合国・ドイツ双方に多くの死者を出しました。しかし、それは「フランス開放」という使命、悲願のもとに、「悲惨」ではなく、「名誉」にすり返られています。これが戦争の魔術なのだと言えるでしょう。

 戦争は同時にドラマを生み出します。この映画もそのひとつです。また、できるだけ歴史に忠実な映画もたくさんあります。この映画は、ドイツ側の人間模様も描かれ、その点では「史実的」な映画と言えるかもしれません。

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ホテル・ルワンダ

R 「ホテル・ルワンダ」

監督・脚本・製作 テリー・ジョージ

製作 A・キットマン・ホー

2004年 南アフリカ/イギリス/イタリア作品

出演 ドン・チードル、ソフィー・オコネドー、ニック・ノルティ、ホアキン・フェニックス

 舞台は1994年のルワンダ。長年続いていた民族間の争いが大虐殺に発展し、100日で100万人もの罪なき人々が惨殺される。世界中がこの悲劇を黙殺する中、四つ星ホテルに勤める支配人のポールは行き場のない人々をホテルにかくまいはじめる。彼はたったひとりで避難民たちの命を守り抜いた… 「ホテル・ルワンダ」は、家族を守ることだけを考えていた一人の父親が、1200人を救う英雄として飛翔する奇跡の過程を描いた実話である(映画のパンフレットより)

 多摩センターのパルテノン多摩で、「ホテル・ルワンダ」を観ました。

 平和に暮らしたい、という素朴な願いが踏みにじられる現実。

 民族の違いというだけで対立し、殺し合う惨劇。

 世界の先進国は、アフリカの小国の出来事として黙殺する。

 この歴史を知り、現実を知り、人間の愚かさを知る。

 この映画は多くの人に観てほしいと思いました。

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あの夏の日

あの夏の日

「あの夏の日」
葉 祥明 絵・文
英訳/長崎市
自由国民社
2000年

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外国の人とのつきあい

外国の人とのつきあい

 昨日の小泉首相の靖国神社参拝で、マスコミが賑わっています。

 賛否両論が入り乱れています。答えのない答えを求めて、果てしない議論が続いています。

 テレビや新聞の世論調査は、首相の靖国神社参拝賛成意見が反対を上回っていました。

 いろいろな分析ができるでしょうが、この国が全体として右傾化・保守化しているのは、間違いないようです。自分の殻の中に閉じこもるような、思考の硬さが感じられます。「他国に言われたからやめるというのはおかしい」というのが典型的でしょう。

 テレビの討論番組を見ていても、「靖国参拝に口を出すのは、アジアでも韓国と中国だけだ」と言う人もいました。本当でしょうか?

 私自身も含めて、外国の人とのつきあいが少ないと、それぞれの立場や考え方がわからず、結局殻の中に閉じこもって自分の意見を言うだけになってしまうのではないかと思います。

 政治にあまり期待できない以上、草の根、市民レベルでの外国との交流に、未来を期待したいと思いました。

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対馬丸 ―さようなら沖縄

「対馬丸 ~さようなら沖縄」

原作 大城 立裕(理論社 刊)

制作 対馬丸製作委員会

1982年作品Tsushimamaru アニメーション映画

 昭和19年、戦争はますます激しくなり、連合軍は沖縄に迫りつつありました。日本軍は沖縄が最後の決戦の場ととらえ、本土から軍隊を次々と送り込みました。

 一方で、沖縄から逃げ出す人も出始めました。また軍の方針で、子ども、一般人を九州や台湾に疎開させることになりました。そして、対馬丸もその疎開船のひとつだったのです。

 対馬丸(6754トン)は、1944(昭和19)年8月21日夕方、疎開学童、引率教員、一般疎開者、船員、砲兵隊員1788名を乗せ、同じように疎開者を乗せた和浦(かずうら)丸・暁空(ぎょうくう)丸と護衛艦の宇治(うじ)・蓮(はす)を含む計5隻の船団を組んで長崎を目指し出航しました。しかし翌22日夜10時過ぎ、鹿児島県・悪石島の北西10kmの地点を航行中、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け対馬丸は沈められてしまいます。建造から30年も経った老朽貨物船・対馬丸は航行速度が遅く、潜水艦の格好の標的だったのです。
ほとんどの乗船者は船倉に取り残されましたし、海に飛び込んだ人も台風の接近に伴う高波にのまれました。犠牲者数1418名(氏名判明者=2004年8月現在)。イカダにすがって漂流した人々は、付近の漁船や海軍の哨戒艇に救助されたほか、奄美大島まで流されるなどして生き延びたのです。(対馬丸記念館ホームページより)

 対馬丸の悲劇は、あまりにも有名な史実です。昨日紹介した「あゝひめゆりの塔」の中でも、対馬丸の悲劇が描かれていました。しかし、近年は忘れ去られてしまったような気がします。このように、非戦闘員であるたくさんの子どもや市民が何もわからないまま死んでしまった事実を後世に伝える必要があると思います。

 近代戦は、武器を持たない子どもを戦乱に巻き込むことが当たり前かのようになってしまいました。イラクも、レバノンも、まったく同じ状況です。

 少し前までは、この「対馬丸」を始め、「象のいない動物園」など、戦争による悲劇を伝えるための子ども向けアニメーションが製作されました。しかし、採算が取れないのか、最近はまったく見ることができなくなりました。

 この「対馬丸」も、かつて私は大勢の子どもを連れて、上映会へ連れて行ったことがあります。そのようなことも、遠い過去になってしまいました。

 今日、NHK教育テレビで、「対馬丸」が放映されました。

 対馬丸記念館が沖縄にあります。ぜひ訪れたいです。

 対馬丸記念館ホームページ

http://www.tsushimamaru.or.jp/index.html

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あゝひめゆりの塔

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「あゝひめゆりの塔」

1968年 日活作品

監督 舛田 利雄

出演 吉永 小百合、浜田 光夫、和泉 雅子、二谷 英明、乙羽 信子、渡 哲也 他

 昭和19年、太平洋戦争における米軍の反撃はさらに勢いを増し、当時戦争感の希薄だった沖縄も、陸海空にわたる米軍の巻き返しで激しい攻撃を受け始めていた。そんな中、沖縄師範女子部の与那嶺和子達は、一日の大半を陣地構築の作業に費やしていた。やがて、日本軍は連日の空爆に対して全島に非常戦時体制を敷き、女子学生は臨時看護婦として南風原陸軍病院に配置されることになった。昭和20年4月、ついに米軍は沖縄に無血上陸し、地上戦が激化。日本兵は後退を余儀なくされ、陸軍病院も南へと移動、それぞれが運命の覚悟を決めるときが訪れる…。
 太平洋戦争で唯一の地上戦を経験した沖縄で、"ひめゆり部隊"として戦火に散った少女達の姿を描いた悲劇。舛田利雄監督が事実に基づき、少女達のはかない青春譜を反戦的視点で叙情的に描き出している。 (DVDの説明より)

******

 戦争の悲惨さを伝え続けるという意味において、沖縄戦とひめゆり部隊の事実は、外すことはできません。私は沖縄に行ったことがありません。しかし、いつかひめゆり部隊全滅の地を訪れたいと思います。

 映画は、師範学校の生徒たちの日常が描かれた、のどかな前半部分と、激戦の中つぎつぎと仲間が倒れていく後半は、まさに天国と地獄です。運命の終盤、なぜひめゆり部隊の生徒たちは自らの命を絶たなければならなかったのか。その場にいない私たちにとっては、永遠に理解できないことかもしれません。

 しかし、一度戦争が始まれば、そこは狂気の世界であり、言いたい事も言えず、ただ軍の命令に従うほかないのでしょう。このことは、その後の歴史においても変わることがない悲劇です。

 10代の少女たちが、その短い人生を戦争という狂気に踏みにじられた事実を私たちはわすれてはいけません。

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西部戦線異状なし

西部戦線異状なし

「西部戦線異状なし」

1930年 ユニバーサル映画

原作 エリッヒ・マリア・レマルク

監督 ルイス・マイルストン

出演 リュー・エアーズ、ルイス・ウォルハイム 他

第三回アカデミー賞 作品賞・監督賞受賞

 レマルクの名作を映画化したもので、80年近く前に制作・上映された作品です。

 第一次大戦下のドイツ国内と戦場が舞台です。ドイツ軍兵士が街の中を行進し、戦場へ向かい、市民が歓声をあげて送り出す冒頭のシーンは、日本の戦時ニュースと錯覚するかのようです。

 学生のポールは、教授の扇動に誘われるまま、仲間の学生たちと軍隊に志願します。そして過酷な訓練を受け、戦場へと向かいます。そこでポールたちを待ち受けていたものは…

 敵味方にわかれての塹壕戦は、双方数多くの戦死者を出します。次々と兵士を殺す機関砲。突撃して終わることのない白兵戦。現代のハイテク戦争とはかなり違いますが、戦争の醜さ、恐ろしさがそこに展開されます。

 ひとり、またひとりと仲間が戦死し、ポールは何を考えたのでしょうか…

 この舞台となった戦争からわずか数十年後に、第二次世界大戦が勃発します。そして、現在のイラク内戦まで、人類史上戦争が無かった時代はありません。

 あと何人死んだら、人間は兵器を置くのでしょうか。そんなことを考えさせられる映画でした。

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プライベート・ライアン

プライベート・ライアン

「プライベート・ライアン」

1998年 パラマウント映画/ドリームワークス映画

監督 スティーブン・スピルバーグ

脚本 ロバート・ロダット

音楽 ジョン・ウィリアムス

主演 トム・ハンクス

 史上最大の作戦と言われたノルマンジー上陸作戦の激戦を戦い抜き、たったひとりの兵士を探すための任務についたミラー大尉(トム・ハンクス)とその小隊の物語です。

 戦場という極限な地獄で、戦いがいかに悲惨なものか、というスピルバーグ監督の思想が表れています。冒頭のオマハ海岸の上陸作戦は大激戦になったという記録がありますが、あまりにも惨い戦闘シーンが展開されます。

 数多い戦争映画の中で、製作者によっては、戦争に行くことが「男の姿」、もっと言えば「カッコイイ」というような表現があります。しかし、現実には銃撃されれば血が吹き出るし、爆弾が爆発すれば手足がふっ飛びます。そのリアルな表現が、かえって戦争の残虐さ、無残さを告発しています。

 ミラー大尉は、理不尽と思われる任務を最期まで遂行しようとします。しかし、それは戦争が終われば故郷に帰れる、というただひとつの思いが支えているに過ぎません。そこには、「国を守る」だとか「公のために命をかける」などというお題目はありません。

 部下のひとりが死ぬ間際に「ママ、ママ」と絶叫する場面は、すべての兵士の心をあらわしているかのようです(余談ですが、日本軍の特攻隊員が敵艦に突っ込む時、戦争を美化する映画では「天皇陛下万歳!」と言いますが、実際は「お母さーん!」と叫んで死んで行ったそうです)。

 戦争は、すべてを破壊し、人の命をいくらでも消し去ります。

 少しもカッコイイものではありません。

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広島・長崎 原子爆弾の記録

広島・長崎  原子爆弾の記録

「広島・長崎 原子爆弾の記録」

編集・発行 子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会 1978年

 この写真集はおよそ25年前に購入したので、今では発売されていないかもしれません。日本人のカメラマンによる被爆直後の広島・長崎の街の悲惨なようすがわかります。

 また、被爆した人が手当てを受けている場面、アメリカ軍の調査団によって撮影された写真など、歴史を知る上で貴重な記録写真集です。

 上の写真は、長崎で被爆の翌日に爆心地近くの避難所で撮影されました。支給されたおにぎりを持って、ぼう然と立ちつくす男の子。実は、この男の子の向かって右側に母親らしき人が写っています。その顔はぼろぼろの包帯で巻かれていました。

 ほとんどの写真はモノクロの上、放射線の影響か、白く感光しているものもあり、よくわかりにくい写真もあります。被爆した人の写真は、真っ黒に写っていますが、実際は赤く、血に染まっていたのかもしれません。男の子の写真は、写真集の表紙にもなりました。

 私は、この写真集を見るときは、自然と正座をしてしまいます。歴史のある一通過点の出来事にしか過ぎませんが、あまりにも大きなあやまち、あまりにも悲しい事実、そして忘れてはいけない原子爆弾の記録です。

 最初は、保育園の子どもたちに見せようと思って購入しましたが、ついに今まで一度も見せたことはありませんでした。見せたのは、自分の三人の子どもだけです。

 あまりにもひどい惨状がページをめくるたびに次々と現われ、正視にたえかねないものばかりなので、今まで私は見せるのをためらってしまいました。救護所に運ばれた、全身の皮膚がめくれ、焼け焦げ、虫の息になっている少女の写真は、イラクで建物のがれきの中から救い出された少女の遺体の写真を思い出させました。

 これからも、この写真集を見せるかどうするかは、まったくわかりません。

 しかし、日本人のみならず、世界の人々が、そして政治家も軍人も、この歴史の事実を正面から見てほしいと思います。核兵器の開発、核兵器の拡散は、もはや止められないところまで来ているのが現実です。でも、この写真集を見て、いかに人類文明は、間違った道を進んでいるのか、考えてほしいと思います。

 自由で民主的と自負するアメリカでは、広島・長崎の被爆の写真を見たことがない人が圧倒的だそうです。イラク戦争の報道もかなり規制されていると聞きます。こんなことでいいのか、という憤りを感じます。

 そして何よりも、広島・長崎の歴史を風化させないことが大切だと思います。日本人の子どもでも、原子爆弾投下の事実を知らないようです。やはり、こんなことでいいのか、と思います。

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どんなかんじかなあ

どんなかんじかなあ

「どんなかんじかなあ」

中山 千夏 文

和田 誠 絵

自由国民社 2005年

 相手のハンディキャップを本当に理解することは、とても難しいことです。わかっているようで、全然わからないこともたくさんあります。

 そして、ひとりひとりがみんな違うことも、本当に理解することは大変なことです。みんながわかりあえば、戦争も争いごとも起きないはずです。

 しかし、相手の気持ちがわからないから、相手の立場がわからないから、人は疑うことをしてしまいました。相手の思いを知ろうという努力を怠ったために、悲劇がくり返されることになってしまいました。

 目が見えないこと。耳が聞こえないこと。話すことができないこと。そして歩くことができないこと…

 みんなハンディキャップかもしれませんが、そのことを受け入れ、認め、理解して、そして共に生きることは、そんなに難しいことではないはずです。

 この絵本は、そんな「あたりまえ」で、「簡単なこと」をおしえてくれます。差別を知らない子どもたちに広く読んでほしいと思います。

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この子を残して

この子を残して

「この子を残して」

永井 隆 著 サン パウロ 1983年

 医師であった永井隆氏は、勤務先の長崎医科大学にいる時、原子爆弾によって被爆しました。妻の緑さんは自宅で即死。二人の子どもは疎開していて無事でした。昭和20年8月9日のことです。

 この本は、永井隆氏が放射線被曝によって病床にいる間に書かれたエッセイや絵を集めたものです。永井氏は、戦後も再婚することなく、一人で二人の子どもを育てました。

 この子を残して―この世をやがて私は去らねばならぬのか! …戦の火に母を奪われ、父の命はようやく取り止めたものの、それさえ間もなく失わねばならぬ運命をこの子は知っているのであろうか?

 昭和26年5月1日、享年43歳で永井氏は、この世を去りました。

 敬けんなクリスチャンである永井氏は、子どもたちを残して世を去ることだけが、ただひとつの悔いでした。この本には、原爆に対する恨みも、呪いも、ひと言さえ書かれていません。むしろ、原爆によるすべての破壊は、神が与えた試練であり、その事実を素直に受け入れよう、という姿勢が読み取れます。

 私にとっては、この悲惨な現実を正面から受け入れる、という心に驚き、感動しました。並の人間には、なかなかできないことだと思います。キリスト教が広く布教されている長崎の地での、悲しく、辛く、そして輝かしい人間の一生だと思います。

 この本の冒頭にある、廃墟となった浦上天主堂の悲しみの聖母像の前に立つ、二人の子どもの写真が、とても印象的でした。

「この子を残して」は、加藤剛、十朱幸代の主演によって映画にもなりました。

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61年目のヒロシマ、そして平和

 今日は、広島に原子爆弾が投下されてから61年目の日を迎えました。

 私も含め、戦後生まれが日本人の多くを占める中で、私たちはあらためて人類のあやまちを考える日でもあります。

 核兵器をめぐる国際情勢は、平和への願いとはかい離しています。インドのように、「核兵器を持つことが国際舞台での地位を確保するのだ」と胸を張って発言する時代です。そのような地球人類が、いつ、またあやまちを繰り返し、多くの人が死に、苦しむ時がやって来る危険性は限りなく現実的であるといわざるを得ません。

 私たちにできることは、平和を後世に向かって訴え続けることしかありません。草の根から、子どもたちに、戦争の恐ろしさ、核兵器の悲惨さ、そして人間の愚かさを伝えていかなければならないと思います。そのための努力を惜しんではいけません。

 平和はダサいもの、カッコ悪いもの、退屈なもの、かもしれません。しかし、戦争は狂気です。決してかっこいいものではありません。兵器は人の生命を奪うものです。正当化されるものではありません。

 自衛隊が戦地イラクへ派遣され、日本は軍事大国へと道を進んでいます。

 もっと大切な、別のことをやるべきではないでしょうか。

 昨日の報道によれば、広島・長崎で被爆し、被爆者手帳を持つ人は約26万人いるそうです。しかし、月額137000円の医療特別手当が支給される原爆症認定者は、約0.9%の2280人しかいません。これは、意図的に国家が認定申請を却下しているためです。各地で被爆者が認定をめぐっての訴訟を起こしています。

 被爆手帳を持っているのに、原爆症と認めない。誰が考えてもおかしな話です。

 冷戦時代の遺物である自衛隊の米軍製攻撃ヘリは一機100億円と言われています。なぜ、弱い立場の人たちにお金を使わないのでしょうか。なぜ兵器に湯水のようにお金を使うのでしょうか。

 国家・政府・与党がやっていることを私たちは真剣に見つめなければなりません。選挙で、いくら平和を叫んでも、現実はこの通りなのです。

 私たちは、平和のための真実を探しましょう。 

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ピカドンたけやぶ

ピカドンたけやぶ

「ピカドンたけやぶ」

はら みちを 作・絵

岩崎書店 1983年

 原子爆弾の投下によって被爆した人々が、竹やぶに避難して来ました。多くの人は、水や食料を求めながら、そこで死んでいきました。しかし、奇跡的に回復した子どももいました。

 この絵本は、広島に実在する竹やぶを題材にしたもので、原爆の恐ろしさを強く訴えています。

 私は、戦争や原爆をテーマにした絵本を数多く読んで来ましたが、保育園の子どもたちに読み聞かせをしたことは、あまりありません。

 純真無垢な子どもたちに、戦争の悲惨な絵や写真を見せても、理解ができないので、無意味などころか、間違った恐怖感を与えかねない、という批判を聞かされたことがあります(話されたのは、現在勤務する保育園の園長先生です)。

 本当にそうでしょうか?

 今回、私はこの「ピカドンたけやぶ」を子どもたちに読むにあたって、次のようなメッセージを子どもたちに伝えました。

 「先生たちは、いま大人だけど、絶対に戦争はやりません。だから、みんなが大人になった時も、戦争をしないでください。爆弾を落としてたくさんの人が死んだりすることをしないでください。人を殺すようなことをしないでください」

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憎しみと殺戮の連鎖 ―イスラエルの無差別爆撃

 イスラエル軍による、レバノン南部の都市カナへの空爆は、市民60人以上が死亡し、無差別な虐殺として国際世論からの批判が高まっています。罪のない子どもたちも多数死傷しています。

 国連安全保障理事会議長による非難声明も、まったくの無意味です。停戦協議も進まず、空爆が止まれば、今度は地上軍による攻撃が行われています。

 武器による攻撃の応酬、憎しみの連鎖、次々と死んでいく子どもたち…

 なぜも、ここまで、人間は愚かなことを繰り返すのでしょうか。

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 さて、地球の裏側、日本での反応はどうでしょうか?

 だいたい、イスラエルとか、レバノンがどこにあるのかもわからない人が多いのではないでしょうか。

 日本人の多くが(ジャーナリストも含めて)、中東地域のイスラエル、パレスチナ、レバノン、その他のアラブ諸国での関係、歴史、因果関係について、正しく説明できる人はいないのではないでしょうか。

 それほど事態は複雑だ、と言ってしまえばそれまでですが、イラク問題と同じように、「対岸の火事」程度にしか感じていないと思います。

 今日から8月。日本人にとっては、過去の悲惨な歴史を振り返る機会を持つ時間を設ける月ではないでしょうか。そして、世界から憎しみと殺戮が消滅するためにはどうすればいいのかを考える時ではないかと思います。

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陸上自衛隊、イラクから完全撤退 ―復興支援とは何なのか?

 陸上自衛隊の最後の部隊が日本に到着して、イラクからの撤退を終了しました。航空自衛隊は物資輸送の任務を現地で続行しています。

 戦争に加担することは、巨額の経済支出を無条件で認めることになります。いわば「無