2007年8月11日 (土)

「イエスの生涯」

「イエスの生涯」
「イエスの生涯」

エルネスト・ルナン 著

忽那 錦吾/上村 くにこ 訳

2000年8月20日初版

人文書院 発行

著者のルナンは19世紀のフランスの学者です。この書は今から140年程前に書かれました。

とても読みやすい文章で、イエスの生い立ちからていねいに描かれていて、深い感銘を受けた一冊となりました。

フランスでは現在でも何百刷と読み継がれている名著だそうです。作者のルナンは初期キリスト教の歴史を膨大な書物に書き、本書はその第一巻になります。

この著作が日本では一般の出版社から刊行されたことは注目されることでしょう。つまり、キリスト教専門の出版社からではない、ということです。キリスト教関係の方に直接聴いてみた訳ではありませんが、信者の方にとっては、この書籍はもしかしたら無視するものなのかもしれません。

「イエスの生涯」というタイトルですが、聖書に書かれたことがすべてここに表されているわけではありません。まず、イエスが起こしたとされる奇跡の数々―湖の上を歩いたり、死者を甦らせたり、というエピソードはまったく書かれていません。また、物語の最後はイエスの処刑で終わっており、その後の「復活」は描かれていません。できるだけ生のイエスに迫ろうとしているルナンの意気込みがうかがわれます。しかし、このあたりは、信者の方にとっては許せないのかもしれません。

訳者の解説によれば、作者のルナンはイエスとキリスト教を大変愛していたそうです。

この書物は、イエスを身近に感じるものとして、私はとても素晴らしい本だと思います。数々の挿絵も感銘を受けました。読み終えていっそうキリスト教に関心を持つことができたと思います。今は続編を読み始めました。

2007年4月22日 (日)

「POWER FOR LIVING」


「POWER FOR LIVING」



ジェイミー・バッキンガム 著



アーサー S.デモス財団 発行



2007年1月1日 刊行

シンガー・ソングライターの久米小百合さん(かつて「異邦人」を歌った久保田早紀さん)や、本田路津子さんのメッセージは、本当に心を洗われる気持ちになります。

2007年4月21日 (土)

「ナザレのイエスは神の子か?」

「ナザレのイエスは神の子か?」

リー・ストロベル 著

峯岸 麻子 訳

いのちのことば社

2004年3月15日 初版発行

シカゴ・トリビューン紙の記者であった著者は、妻がクリスチャンになったことをきっかけに、キリスト教の本陣であるイエスについて、徹底的に調べようとします。元々宗教に対して懐疑的であり、自分の目で見たものしか信用しない根っからのジャーナリストである著者は、アメリカで著名な神学者、哲学者など13人の専門家にインタビューをしたのが、本書の中核になっています。

著者が投げつけた疑問点は、おおよそ次のとおりです。

  1. 聖書に書かれている福音書の著者たちを信用することができるか。
  2. 福音書は、綿密な調査にもその真実性を失わないか。
  3. 福音書は、長い歴史の中で正確に伝承されたものか。
  4. 福音書以外にイエスに関する有力な証拠はあるのか。
  5. 考古学は福音書の内容を証明できるか。
  6. 歴史上のイエスと福音書に登場するイエスとは同一人物か。
  7. イエスは自分が神の子だと確信していたのか。
  8. 自分を神の子だというイエスは心理学的に正常な精神の持ち主だったのか。
  9. イエスは神の属性をすべて兼ね備えていたか。
  10. イエスと預言された「救い主」とは一致するのか。
  11. イエスは死んだふりをしただけで、復活はでっち上げではないのか。
  12. イエスの遺体は、本当に墓から消えたのか。
  13. 十字架による死後、復活したイエスを目撃した人はいるのか。
  14. イエスの復活を裏づける証拠は存在するのか。

これらの疑問に専門家たちは明快かつ納得ができる答えをしていきます。ここでその内容を書くことはできませんが、非常にわかりやすく、読んでさわやかな気持ちになるくらい、おもしろいインタビューが続きます。そして著者は、インタビューの後に、ひとつひとつの疑問とその答えを綿密に考察していきます。

そして著者、リー・ストロベル氏は、懐疑主義を棄て、現在では洗礼を受けクリスチャンになりました。これだけの事実が明らかになれば、それは自然な成り行きなのではないかと思います。

******

この一冊の本によって、私はキリスト教が非常に身近なものとして感じられ、素直に神の存在を信じるようになりました。と言っても、教会に通っているわけではなく、その点ではいい加減としかいいようがありませんが…

私が今まで宗教に対して疑問を持っていたのは、ある特定な宗教が政治活動と結びついていて選挙のたびに身近でない人から手紙が来たり、訪問を受けたりしたことがあるからです。また、社会的な弱者に近づき、入信を勧めたり、物品を買わせたり、お布施のようなものを納めさせたり、ということが経験的に事実としてあるからでした。

キリスト教についても、さまざまな宗派があり、教会組織があり、どこがどう違うのか、今でもよくわかりません。もちろん、怪しいと思われるものもあり、ぜひ礼拝に参列してお話を聴いてみたいと思うものもあります。

この本を読むきっかけになったのは「パワー・フォー・リビング」という本を読んだことに始まります。その後、私は現在もキリスト教に関する書籍を読み続けています。このブログでも紹介していきたいと思います。

私は、いま素直な気持ちで、神の存在を信じ、毎日、神に祈っています。

それは、私自身だけでなく、私を取り巻く人々、家族、出会った人々(例えば保育園を卒園した子どもたち)、みんなが愛にみちあふれ、幸せになれるよう、毎日祈り続けています。

2006年12月24日 (日)

クリスマス礼拝

今日はクリスマス・イブです。

一年ぶりに教会を訪れ、クリスマス礼拝に参加さてせいただきました。

昨年のクリスマスに、友人のMさんから誘われ、初めてその教会に行きました。それから一年後の今日、またクリスマス・イブに行くのは、何だかクリスマスの時だけで申し訳ない気持ちもありました。

昨年の時も感じたことですが、ひとつの教えの下に、男女身分の違いなく、さまざまな方々が集まり、祈り、お祝いすることは、とても素晴らしいことだと思います。また、それを受け入れている教会の寛容さにも感心してしまいました。

今日も、昨年以上の感動を味わうことができました。

賛美歌もまったく知らないのですが、そのメロディーの美しさに感激しました。

私自身は、信仰の道を歩むほど人間ができていないので(何しろ一年に一回、教会に行くのがやっとなので…)、もう少し時間をかけて、自分の内面を見つめる意味で、教会の礼拝に参加できれば、うれしく思います。また、そのような人間でも受け入れていただける、教会のおおらかさ、クリスチャンのMさんの温かさに感謝しております。

キリスト教については、最近の「ダビンチ・コード」など、いろいろな意味で社会から注目を集めているように思います。私は純粋な気持ちでキリスト教の勉強をしてみたいと思います。

メリー・クリスマス!

2006年8月 7日 (月)

この子を残して

この子を残して

「この子を残して」

永井 隆 著 サン パウロ 1983年

 医師であった永井隆氏は、勤務先の長崎医科大学にいる時、原子爆弾によって被爆しました。妻の緑さんは自宅で即死。二人の子どもは疎開していて無事でした。昭和20年8月9日のことです。

 この本は、永井隆氏が放射線被曝によって病床にいる間に書かれたエッセイや絵を集めたものです。永井氏は、戦後も再婚することなく、一人で二人の子どもを育てました。

 この子を残して―この世をやがて私は去らねばならぬのか! …戦の火に母を奪われ、父の命はようやく取り止めたものの、それさえ間もなく失わねばならぬ運命をこの子は知っているのであろうか?

 昭和26年5月1日、享年43歳で永井氏は、この世を去りました。

 敬けんなクリスチャンである永井氏は、子どもたちを残して世を去ることだけが、ただひとつの悔いでした。この本には、原爆に対する恨みも、呪いも、ひと言さえ書かれていません。むしろ、原爆によるすべての破壊は、神が与えた試練であり、その事実を素直に受け入れよう、という姿勢が読み取れます。

 私にとっては、この悲惨な現実を正面から受け入れる、という心に驚き、感動しました。並の人間には、なかなかできないことだと思います。キリスト教が広く布教されている長崎の地での、悲しく、辛く、そして輝かしい人間の一生だと思います。

 この本の冒頭にある、廃墟となった浦上天主堂の悲しみの聖母像の前に立つ、二人の子どもの写真が、とても印象的でした。

「この子を残して」は、加藤剛、十朱幸代の主演によって映画にもなりました。

2006年2月 3日 (金)

アートバイブル ―その2・旧約聖書②―

「アートバイブル」 日本聖書教会

23.ottobreさんがコメントで教えてくれましたが、宗教画というのは、単に芸術家の作品としてだけではなく、教会に訪れた人々が文字を読めなくても、そこに飾られた絵を観て、聖書の教えを理解するという役割もあるそうです。

それにしても、旧約聖書の中の「士師記」などは、戦いの記述が多く、人々ははるか昔から戦争に明け暮れていたような印象を受けまてしまいます。

「士師記」の中で、サムソンという怪力の戦士が出てくる話があります。「アートバイブル」の中にも、サムソンの絵画はいくつも登場します。ドレ「サムソン、千人を殺す」という絵画などは、地の果てまで兵士で埋め尽くされた凄まじい戦闘の絵です。

その中で、デューラー「素手で獅子を引き裂くサムソン」という絵を観て、ちょっと驚いてしまいました。それは、襲ってきた一頭の若い獅子をサムソンが素手でその口を掴み、引き裂こうとしている絵画です。

私が驚いたのは、このデューラーの絵画と、占いで使うタロット・カードの11番目のカード、「力(FORCE)」の絵とそっくりだ、ということです。タロット・カードの方は、女性が獅子を手なづけようとして、その口をつかんでいるという絵です。

この両者には、何か関係があるのでしょうか?

私はタロットの専門家ではないので、詳しいことはわかりません。でも、タロットの歴史は古く起源がはっきりしないことからも、旧約聖書と何かつながりがあるのかもしれません。

そう考えるとおもしろいですね。誰か知っていることがあったら、ぜひ教えてください。

2006年2月 1日 (水)

アートバイブル ―その1・旧約聖書―

「アートバイブル」 日本聖書協会

昨年のクリスマスに教会を訪れる機会がありました。それ以来、キリスト教についての関心が高まり、書店で一冊の本を見つけました。

「アートバイブル」 ―聖書に関連した数多くの世界の名画とともに、聖書の言葉が書かれた本です。なかなか厚みがある本ですが、ミケランジェロ、レンブラント、ルーベンスなど名画を観るだけでも世界の美術館めぐりをしているようで楽しいです。

正直な話、宗教画というのは、画家が自分のイメージだけで描いたものだと思い込んでいましたが、実際は聖書の話にもとづいていたのです。そのことすら知らなかった無知の私ですから、この本の一ページを開くたびに、新たな世界を見つけだす感じでした。

本の前半が旧約聖書に関する絵画と話です。話は私のような素人でもわかるようにダイジェストになっています。

******

実は、私は四十数年前、キリスト教の幼稚園に通っていました。幼稚園はその後廃園になってしまいましたが、園児だった頃、園長先生だった牧師さんから聴いた話を今でもわずかに覚えていました。

そのひとつが、創世記の中の、アブラハムが息子のイサクを神に捧げる、という話です。アブラハムは神の命により息子のイサクのいのちをささげようとしました。まさに刃で息子を刺そうとする瞬間に、アブラハムは神の声によって止められます。神はアブラハムの信仰心を試しただけで、躊躇せずひとり息子を差し出そうとしたアブラハムの行為に、神は祝福を与える、というものでした。

牧師さんがどうしてその話をしたのかはわかりませんが、子ども心に、アブラハムは大変だったなぁ、と思ったことを何となく覚えています。そして、いのちをかけて試されることで、神様を畏れたものでした。

旧約聖書はユダヤ教のものでキリスト教とは関係ない、などと思い込んでいました。またまた無知をさらけ出す私ですが、へたな小説よりよほど熱中する読み物です。

「アートバイブル」の後半は、新約聖書、いよいよキリストの登場となります。

2006年1月11日 (水)

理想のコミュニティをもとめて

昨年のクリスマス、大学で知り合いになったMさんにキリスト教の教会に誘われました。

今まであまり宗教というものに接する機会がなかったので、見るもの、聴くもの、すべてが新鮮でした。(いちばんびっくりしたのは「洗礼」の儀式でした)

当然のことですが、クリスマスは教会において年間一大イベントです。

礼拝堂の中は、入りきれないほどの人でいっぱいでした。

子ども、若者、男性、女性、お年寄り、障碍者、とさまざまな人が集まっていました。社会や身分の壁を乗り越えて、ひとつの教え(宗教)に集うことに、私は素直に感動しました。

これはひとつのコミュニティと言えるでしょう。

無宗教である私は、糸が切れた凧のような状態なのかもしれません。礼拝する人々が地に根をおろした、誇りある姿に見えました。

信じる、信じないの問題ではなく、これから宗教を学んでいきたいと思いました。

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