2015年5月 4日 (月)

憲法を改正しなくても市民が徴兵されることがあることを知るべきだろう

昨日は憲法記念の日。ニュースは毎年同じように護憲派と改憲派の集会を取材していた。

護憲派の主な主張は「戦争放棄」をうたった第9条を核とした平和憲法の維持である。戦後70年間日本が戦争に加わることなく平和な日々を過ごせたのは、「戦争放棄」「国際紛争解決の手段としての軍備を持たない」第9条の存在があるからだ、というものだ。

改憲派の中心的な主張は「現在の憲法は戦後占領軍であったアメリカに押しつけられた」ものであり、「日本人の手で作ったものが本当の憲法だ」というものである。最近、政権政党が作った漫画には「日本人の手で憲法を創らないと戦後は終わらない」と書いてある。

その上で「国際貢献」を名目に、第9条の破棄、つまり自衛隊を正式な軍隊として承認し、世界各地で今も行われている戦争や紛争に参加できるようにするのが目的である。

他国と同じように国連軍に参加したい、というのが本音だろう。

しかし、かなり以前、確か「防衛庁」が「防衛省」に格上げになった時に書いたと思うが、過去の歴史を見る限り、「徴兵制度」は何も憲法を改正することなく実施するのは可能なのである。

徴兵制度は、ある条件(例えば満20歳になった心身健康な男子)を決めて、市民が強制的に軍隊に入ることである。当然、その時に戦争になったら参加しなければならない。

この徴兵制は、国会で審議する法律ではなく、閣議で「やりましょう」と決定した後、防衛省の「省令」によって発動する。つまり政権政党が勝手に発動することが可能なのである。

信じられないかもしれないが、過去の歴史を調べてみればわかる。

ただ、さすがに軍隊として認知されていない自衛隊に「徴自衛官」という制度は馴染まないかもしれないが、権力者がやろうと思えばできるものなのだ。

テレビの街頭インタビューで小さな赤ちゃんを抱いた若い母親が「国際貢献するために改憲は必要」と笑顔で答えるのを見てぞっとしてしまった。その前の別の母親は「この子が軍隊に入って人を殺すことをしてほしくない。改憲する人は自分は戦争に行かないから何でもできるのでは」と言っていたことと真逆だったことにショックだった。

憲法は制定されてから長い時を経て、確かに不備なところはあるだろう。したがってすべての条文を改正しない、新たな条項を加えない、というのはどうかと思う。

しかし、
第9条の放棄は人間の良心の放棄だと思う。

そこに日本人もアメリカ人もない。生命を持った人間の良心は人種も肌の色も関係ない。

どこの国が日本に侵略にやってくるのかわからないが、本気で戦力を整えるのであれば、「徴兵制度」「核戦力の配備」は必然である。
今の政権政党がそれをやろうとしていると思うことは考え過ぎであろうか。

2014年5月20日 (火)

集団的自衛権って…

一か月後の開催に迫ったサッカーのワールドカップなど、華やかな話題に事欠かないこの頃…
安部総理大臣が憲法の解釈変更に向けて動き出し、集団的自衛権の行使が現実のものとなって来た。

時代の流れからすれば、仕方のないことなのか?

それとも、当然のことなのか?

私の世代で、近代史に興味がある方なら、1960年代の改正日米安全保障条約において、米国との集団的自衛権は、はっきりと条約に明記されたことを知っているはずだ。

その時、日本は国土以外の地域での戦争に巻き込まれる可能性がある、とマスコミも、歴史の教科書も、学校の先生も危惧したのをはっきりと覚えている。

つまり、他国とアメリカの戦争に日本が加わることがありうることを今から50年以上も前に、わかっていたことなのだ。

その後の自民党政権が集団的自衛権の行使を否定して来たから、この問題は事実上の棚上げだった。

しかし、安部首相が行使する方向で舵を切ったことにより、より現実的なこととなった。

現実的と言えば、中国が脅威の対象に祭り上げられているが、30年前の1980年代には「ソ連脅威論」が世間を吹き荒れていた。当時の中曽根政権が対ソ防衛政策を行なった。その宣伝は今の対中国の比ではなかった。

しかし、ソ連(現ロシア)は、一発の銃弾も撃って来なかった。脅威の象徴であった弾道弾核ミサイルSS20は、日本はもちろんのこと、世界のどこにも発射されなかった。

その後、ソ連は解体、消滅した…

中国も、北朝鮮も、どの国も、日本に攻めて来る理由は現実的にはない。

しかし、人質になった日本人を救うため、拉致された日本人を取り戻すため、と言えば、誰でも賛成してしまうだろう…

脅威は、自国の中にいるのではないか!

2013年8月16日 (金)

1945年8月15日は歴史の通過点だったのか?

最近の日本と隣国との関係、感情的なもつれ、そして国際社会の情勢はまさに複雑怪奇としか言いようがありません。

今年も8月15日を迎えました。

1945年、昭和20年8月15日に、日本はアメリカ、イギリス、中国、オランダ、その他多くの外国との戦争に終止符を打ちました。

J20_7

陸海軍の壊滅的損害、全国各都市の無差別爆撃… 徹底的に打ちのめされた敗戦で、これは誰も否定できない事実です。

その後、日本は戦勝国に国土を占領され、新しい憲法のもと、再出発をしました。

近年、日本が行なった戦争はアジア諸国を侵略、占領したもので、これは略奪に等しい、という見方から、白人列強国からアジアの人民を解放するための正義の戦争だった、という論理まで、右も左もごちゃまぜになってさまざまなことが語られています。

右翼とか左翼という言葉は今でも存在しているのかどうかは私はわかりません。

しかし、現政権首相が改憲論者であり、自衛隊を国防軍に格上げして、交戦権や集団的自衛権を行使できるようにしようとしている考えは知っています。

つまり、あの時、太平洋で行われた戦争を否定するのではなく、再び戦争が起きるための準備を進めているのです。

日本人だけでも300万人もの人が死んだ時代。それを正当化しながら、軍備力による国威発揚が行われようとしています。

多くの人が亡くなり、悲しみ、二度とあのようなことはあってはならない、とたくさんの人々が願っていたにもかかわらず、国政選挙で大勝した現政権は、軍事力による平和維持=軍政国家を目指していると言っていいでしょう。

以前の記事にも書きましたが、軍隊の徴兵制度は政令または省令によって施行することができます。防衛省や内閣が国会の審議無しに国民を軍隊に徴用する制度を行なうことでできるのです。

なぜ、そうなってしまうのでしょうか?

誰もが、もう二度と苦しい、辛い戦争は嫌だ、と思っているのに…

その答えは「1945年8月15日は歴史の通過点に過ぎない」という論理が権力者側にはあるのだと思います。

つまり、その日は敗戦が決まった日、それまで戦争がんばってやっちゃったけど、たまたま敗けちゃっただけ。また国力を取り戻して今度はうまくやろうぜ… なのではないでしょうか。

通過点ですから、それまでのことを反省したりすることはありません。敗けて悔しいという思いはあるでしょうが、そこから違う道を模索する、ということもありません。また同じ道を進むのです。回帰とも言えるでしょうか。

なぜ同じ道を行き、軍備と強権で国家を支配し、他国に対抗しようとするのでしょうか?

それは他の国もまったく同じだからです。

各国は競って核兵器の開発・所有をめざしています。

アメリカにはいまだ9000発の核兵器が存在しています。

みんな同じ穴のムジナ… 人間に進歩はありません。

戦争に散って行った人はどのように見ているでしょうか。

2012年8月16日 (木)

「日本のいちばん長い日」

昭和20年8月15日。
終戦となったその日の正午。いわゆる「玉音放送」というのがラジオから流れたのは、知っている方が多いと思います。
天皇陛下御自ら終戦(敗戦)について国民に向かっての放送をしました。
当時、天皇陛下の声を聴くということは、国民にとって皆無で、ましてはラジオから流れるということは、それまでまったく無かったそうです。

「玉音放送」は天皇が直接マイクでお話しになるのではなく、あらかじめ録音したものを放送しました。

最終的に終戦が決定したのは前日の8月14日だったようです。

それを察知した陸軍近衛師団(天皇を守るための軍隊)の一部将校が戦争継続を主張してクーデターを起こそうとした事件は、最近ではマスコミでも語られることがなくなりました。

将校らは、近衛師団長を殺害し、ニセの命令書を作り、近衛師団の部隊を動員して宮城(皇居)や宮内庁を占拠しました。そして玉音版(天皇の声を録音したレコード盤)を探し出そうとしましたが、ついに見つけることができませんでした。

事態を知った陸軍東部軍が鎮圧し、クーデターは失敗に終わりました。
首謀の一部将校らは皇居前などで自決しました。

もし、万一クーデターが決行され、8月15日に玉音放送が流れることなく、戦争が継続されていたら、いったい日本はどうなっていたでしょう。

この終戦を決定した8月14日正午から玉音放送が流れる15日正午までの24時間を映画にしたのが「日本のいちばん長い日」です。

1967年公開ですが、当時の東宝映画トップ俳優が総動員されています。

事実に基づいた映画なので、とても迫力があります。
レンタルでも、ぜひお勧めの一本です。


2012年8月15日 (水)

韓国大統領の発言と真意

報道による韓国大統領の発言は以下のようであることがわかりました。

【ソウル澤田克己】竹島上陸や天皇訪韓を巡る李明博韓国大統領の発言の要旨は次の通り。

 (竹島上陸は)私が2、3年前から考えていたことだ。思いつきではない。深い配慮とこのような副作用がありうるという点を(検討した)。日本は今や、世界最高の国家ではないか。中国が大きくなったというが、内容的に見れば、科学技術、社会システムなど、いろいろな面で日本が(世界)第2の強国だ。日本が加害者と被害者の立場をきちんと理解できないでいるので、目を覚まさせようとしている。
 私はすべての国に国賓訪問したが、日本には(国賓としては)行っていない。日本の国会で、私が好きなように話をしていいというなら(国賓訪問を)するけれど。(天皇陛下も)韓国を訪問したがっているが、独立運動をして亡くなった方たちを訪ねて、心から謝罪するというのならいいのだが。「痛惜の念」だとか、こんな単語一つで来るというなら、来る必要はない。
 私は2年前に日本を訪問して、テレビ局で100人の若い学生たちと生放送で質疑応答をした。若い人が「大統領は未来志向で行くといって、過去より未来へ向けて進んでいくというのだけど、過去をすべて忘れるのか」と聞いてきた。私は、小学校の時にすぐに暴力をふるってきて私をひどい目にあわせる子供がいたという話をした。小学校を卒業して40年か50年たって、ある集まりにその人が来た。私がソウル市長だった時で、その人は私の名前を呼びながら懐かしがって私に近づいてきたのだけど、私の頭の中には「あいつは私をひどい目にあわせたやつだ」という考えが浮かんだ。その話をした。加害者は忘れられるけれど、被害者は忘れないで、単に許すだけだ。忘れはしない。日本の加害行為は許すことができるが、忘れはしないと言った。
 日本と多くのことで協力していかなければならない。だが、問いただすべきことは、問いたださねばならない。
(毎日新聞より)

正直のところ、正しいことを言っているようで、いじめと国家間の問題を混同しているようにも思いました。

最後の「問いただす」ことと、天皇陛下の謝罪も結びついてものではありません。

今までの日本政府の声明、皇族のお言葉が「心から謝罪」していない、と言っているようにもとらえられます。

ここであらためて確認しますが、私は日本の軍隊が目的はどうあれ、手段としてアジア各地で行なった行為は結果として侵略行為と言われても仕方がないことであり、深く謝罪することだと思います。

しかし、いつまでこのような状況が続くのでしょうか?

謝罪すれば、もっと謝れ。もっと謝れば、さらに謝れ…

日本人は極悪非道で散々悪いことをやってきた、というところで思考停止状態のままで良いのでしょうか?

わかりあえる日は来ないように思えてしまいます。

2011年8月 6日 (土)

広島原爆祈念の日を迎えて

夕凪の街 桜の国 [DVD]

―今日は66回目の広島原爆祈念の日ですね。

そうですね。今年はいつもの年よりも、さらに考えを深くさせる日となりました。

―それは、福島原発の事故があったからですか?

たくさんの人たちも、同じように考えていると思います。そして、今この瞬間にも、避難先で心身共に疲労困憊の人々が大勢いることを知っておかなければなりません。

―東日本大震災が起こるまでは、原発は「クリーンエネルギー」と呼ばれていましたね。

政府や電力会社の宣伝に乗せられて、私たちは洗脳されていたのだと、今さらながら思い返します。

―洗脳? …ですか。

そうです。私たちは思考が停止していました。被爆国であるからこそ、原子力とは一線を画して独自のエネルギーを開発すべきチャンスを昭和の高度成長時代とともに逃してしまったのです。

―今日の祈念式典で菅首相が「脱原発政策」を推進すると述べたようですが…

共産党なども街頭で「原発全廃」を訴えていました。でも、今となっては虚しいですね。

―原発に替わるエネルギーが無いからですか?

ここまで電力生産の主要が原発になってしまっています。太陽光や風力も原発にとってかわれるほどのパワーはないらしい。地熱や波力と言ったものも開発に時間がかかる…

―では、どうしたらいいのですか?

今言った通り、他の自然エネルギーは難しい。でも、これはもしかしたら政府や経済界の新たなる洗脳かもしれません。

―なぜですか?

大企業は金儲けしか考えていないからです。「原発に頼らない」と言っておきながら一方で原発輸出は奨励・続行しているのが何よりの証拠です。

―本当にどうすればいいのでしょうか?

私たちが独自の資料や情報を集めることが第一歩です。過ちを何度も繰り返しても懲りないのが人間です。そのことは、戦後の原発政策で明らかになったことです。

―福島原発の事故終息も見えて来ません…

農産物に続いて牛肉。さらに今度はコメ。今後は海の回遊魚も問題視されるでしょう。

―私たちの周りは放射線だらけですね。

だから、今一度知恵を集めて考えなければならないのです。

夕凪の街 桜の国

2008年8月15日 (金)

太平洋戦争終結の日

今日は終戦記念日です。今年で63年目を迎えました。

私の母は70代ですので、戦争の頃の記憶があります。しかし、人口の大半は「戦争を経験していない世代」になりました。

この戦争(広く第二次世界大戦と捉えると)の頃までは、勝者が敗者を裁くことが厳しく行われました。A級戦犯を始め、本来は生きて国の復興のために働かなければならない人たちが大勢、軍事裁判で殺されました。東京裁判を始めとする「戦犯」に対する強権発動は、徹底的に行なわれたのです。

(それ以降の戦争の歴史において、敗者が裁かれることがあったのかどうかはよくわかりませんが、つい最近ではイラク戦争においてフセイン大統領が死刑になったケースがあります)

さて、勝てば官軍、負ければ賊軍という構図は、そのまま人間の無恥、無知、愚かさを現わしています。

第二次世界大戦を招いたドイツのヒトラー総統率いるナチス党が生まれた原因は、第一次世界大戦の講和条約によってドイツに多額の賠償金が科せられ、経済不況を招いたため、というのが今では世界的な常識となっています。

したがって、第二次世界大戦以降は、賠償金という形ではなく、徹底した思想弾圧を行ないました。勝ったからなにをしてもいい。これがアメリカなどの常識かもしれませんが、その国の文化、思想に土足で入り込んだ結果、それは憎しみしか残りませんでした。

今なおイラクを始め、世界各地で起きている「自爆テロ」と呼ばれるゲリラ活動は、どうして続けられるのでしょうか。なぜ、死を恐れず、志願する若者や女性が後を絶たないのでしょうか。

もちろん、純粋な心を巧みに利用して、自爆テロに導いている邪悪な組織があるのでしょう。

しかし、その悪の結社も含めて、その誕生の遠因は先進国と呼ばれる西側諸国の無知な政策にあるのではないでしょうか。

そして、日本もかつて無知な蛮行を行ないました。その結果、多くの日本人が死んでいきました。アジアの人々も大変苦しみました。転じて平和な世の中になり、「戦争は、適度に人口の増加を調節する役割がある」と平気で教育関係の学会で発表してしまう若者がいて、それに対して誰も反論できないような時代になりました。

私はあと何年の身ですから平気ですが、子やその子たちの時代はどうなるのでしょうか。

「人間の死」が日常的のように語られ、それが作品として評価を受けているアニメ映画の宣伝などを見ると、心が重くなります。

今夜は、また平和を祈りましょう。

Sensou1_2 

写真に写っている5人の若者は撮影日の翌日に特攻隊として出撃して帰らぬ人となった。1945年、終戦直前のことである。

2008年8月 9日 (土)

長崎の鐘

今日は長崎原爆祈念日。

長崎には二度訪れたことがあります。

最初は高校3年生の時の修学旅行。この頃は、まだ先生たちが修学旅行で生徒に何かを学ばせようという気概がありました。長崎市内にバスが入り、当時19歳のガイドさんが涙を流しながら長崎の被爆について話してくれました。車内は静まりかえり、誰ひとりふざけたり、茶化したりする人はいませんでした。

あの頃は、見ることのなかった戦争への視線がまだ誰の心にもありました。

二度目は、前職の研修旅行でした。原爆資料館もリニューアルされ、悲惨な歴史を後世に残そうという努力が見られました。

前職の管理職が、「原爆の悲惨さを子どもたちに伝える必要はない。怖いというイメージや、被爆者の姿をお化けと同じように考えてしまうからだ」と言っていたのが印象的でした。

本当ですか?

怖いということをおしえることはいけないことなのでしょうか?

一般市民の街へ無差別に原子爆弾を投下したアメリカの市民は、政府の意図的な政策により原爆の悲惨な実態についてはほとんど知らないようです。「戦争を早期に終わらせるために原爆を使用した」という虚偽の説明にアメリカの市民は疑いを持たないようです。

そして日本の市民も…

原爆の歴史から目を背けることは、原子爆弾の存在を肯定することです。

「核兵器を持つことによって、我々は国際社会で一人前としての発言力を得た」などと言う国に対して、なぜ日本は黙っているのでしょうか。

*******

長崎と言えば、長崎医大で被爆した永井隆博士を思い出します。

そして、藤山一郎が唄った「長崎の鐘」。

長崎の鐘」
  作詩:サトー・ハチロー
  作曲:古関裕而
  歌 :藤山一郎

1)こよなく晴れた 青空を 悲しと思う せつなさよ
 うねりの波の 人の世に はかなく生きる 野の花よ
 なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る

2)召されて妻は 天国へ 別れて一人 旅立ちぬ
 かたみに残る ロザリオの 鎖に白き 我が涙
 なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る

3)つぶやく雨の ミサの音 たたえる風の 神の歌
 耀く胸の 十字架に ほほえむ海の 雲の色
 なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る

4)こころの罪を うちあけて 更け行く夜の 月すみぬ
 貧しき家の 柱にも 気高く白き マリア様
 なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る

(永井隆博士詩)
「新しき朝の光の さしそむる荒野にひびけ 長崎の鐘」

最後の一行は、病床を見舞った藤井氏に永井博士が贈った短歌を後に藤井氏が旋律をつけて歌の最後に挿入したそうです。昭和30年代に発売されたレコードには唄われているそうです。

*******

それにしても、アメリカはなぜ長崎を標的にしたのでしょうか?

歴史の資料によれば、第一目標は小倉市で、長崎は第二目標だったそうです。小倉市が雲で視認できなかったため長崎に変更された、となっています。

本当でしょうか。

貴重なプルトニュウム爆弾を投下するのに、雲があって見えないから変更した、というのは短絡的すぎるような気がします。

私は勝手な推測ですが、目標はあくまでも海軍の造船所など重要な施設があった長崎だったと思います。ところが長崎はキリスト教の街で、戦後、殉教の地として世界的に注目されるようになります。平和、反核運動の盛り上がり、反戦、反米の勢いに危機感を感じたアメリカ政府がねつ造したのではないでしょうか。

戦争当時からアメリカは心理戦を研究していました。京都や奈良を爆撃すれば、日本人の反感をかうことをよくわかっていました。戦後日本人の世論操作をするためには天皇家は存続させなければなりません。東京から遠く離れた広島や長崎が選ばれたのは、アメリカの心理戦略があったのです。

しかし、長崎はキリスト教の街でした。ここにアメリカの誤算がありました。そこで必死に「戦争を終わらせるためには仕方がなかった」宣伝をしたのです。

これは、あくまでの私の推測にしか過ぎません。

核兵器が削減されることはあっても、なくなることはおそらくないでしょう。

人間は愚かです。

今日一日、平和のために祈りましょう。

2008年8月 6日 (水)

63年目の原爆の日

昭和20年8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。

今日で63年目。

私は、まだ一度も広島を訪れたことがありません。

死ぬまでには、必ず行きたいところのひとつです。

想像を絶する地獄を経験した広島。ヒロシマ。ひろしま。

日本人として、忘れてはならないことです。

今朝、職場の朝会で原爆のことを話しました。

ちょっと白けた空気が流れ、

自分だけが違う世界にいるような気持ちになりました。

真実に説得力がない。

事実に背を向けることに異論を感じない。

この世界はどうなってしまうのでしょうか。

*********

今まで思いつくままにこのブログを書いてきましたが、

今月でひとくぎりをつけようと思っています。

心理学的な視点からのコメント、発達障碍についての意見などは、

新たに別のブログを立ち上げる予定です。

*********

ホームページで行なってきた無料メール相談は、

件数が増えて来たので、

新たに仕切りなおして再出発したいと思います。

ご意見、ご提案は、コメントいただければ幸いです。

2008年4月30日 (水)

オリンピックへの失望感

子どもの頃は、オリンピックに対する期待と高揚感があったことを覚えています。

最も古い記憶は、1964年の東京オリンピックでした。その後、1968年のメキシコ大会を経て、1972年にはドイツのミュンヘンで開催されました。

ミュンヘンオリンピックの当時、私は中学生でバレーボールをやっていました。日本の男子チームが全盛期を迎え、今では信じられないことですが、みごとに金メダルをとりました。準決勝の「ブルガリア戦の大逆転」などは、夜中までテレビの前にクギ付けになって観たものです。当時世界一速いと言われた森田選手のドライブサーブをまねしたり、嶋岡選手のサーブを研究したものです。

娯楽が少なかったと言えばそれまでですが、4年に一回のオリンピックは、スポーツ少年にとって、大きな祭典でした。

その後、1976年のモントリオール大会では、体操のコマネチ選手が活躍しました。

しかし、華やかな裏では、オリンピックは確実に政治と戦争によって崩壊への道を歩んでいたしのです。

72年のミュンヘン大会ではパレスチナゲリラによるイスラエル選手団の虐殺事件が起き、モントリオール大会では台湾の参加が中国の政治的圧力によって取り消され、80年のモスクワ大会はソビエトのアフガニスタン侵攻に抗議して、日本を含む西側諸国が参加をボイコットしました。その後もオリンピックと政治は深く根が絡み合って現在に至っています。

そして、今回の北京大会を前にして、チベット問題が世界から注目されています。聖火リレーへの抗議の妨害行動、それを阻む大警備陣、ナショナリズムまる出しの中国人たち。

オリンピックに政治を持ち込んではいけない、とよく言いますが、政治の方が勝手にどんどん踏み込んでしまっているのが事実です。

オリンピックを国威発揚の場とし、民衆のナショナリズムを喚起させ、外国の意見にはまったく耳を貸さない、という国の姿は、ナチスドイツによって開催された1936年のベルリンオリンピックを思い出させます。

もう、オリンピックに対する想いは虚しくなってしまいました。東京で再びオリンピックを開催する意味もないと思います。国と国が競うことは、マイナスばかりではないかもしれませんが、政治や戦争とセットになっている以上、もうやめた方がいいと思います。

愚かなオリンピックには興味がありません。むしろ、嫌悪感を覚えます。

より以前の記事一覧

フォト
無料ブログはココログ

最近のトラックバック