« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »

オリンピックへの失望感

子どもの頃は、オリンピックに対する期待と高揚感があったことを覚えています。

最も古い記憶は、1964年の東京オリンピックでした。その後、1968年のメキシコ大会を経て、1972年にはドイツのミュンヘンで開催されました。

ミュンヘンオリンピックの当時、私は中学生でバレーボールをやっていました。日本の男子チームが全盛期を迎え、今では信じられないことですが、みごとに金メダルをとりました。準決勝の「ブルガリア戦の大逆転」などは、夜中までテレビの前にクギ付けになって観たものです。当時世界一速いと言われた森田選手のドライブサーブをまねしたり、嶋岡選手のサーブを研究したものです。

娯楽が少なかったと言えばそれまでですが、4年に一回のオリンピックは、スポーツ少年にとって、大きな祭典でした。

その後、1976年のモントリオール大会では、体操のコマネチ選手が活躍しました。

しかし、華やかな裏では、オリンピックは確実に政治と戦争によって崩壊への道を歩んでいたしのです。

72年のミュンヘン大会ではパレスチナゲリラによるイスラエル選手団の虐殺事件が起き、モントリオール大会では台湾の参加が中国の政治的圧力によって取り消され、80年のモスクワ大会はソビエトのアフガニスタン侵攻に抗議して、日本を含む西側諸国が参加をボイコットしました。その後もオリンピックと政治は深く根が絡み合って現在に至っています。

そして、今回の北京大会を前にして、チベット問題が世界から注目されています。聖火リレーへの抗議の妨害行動、それを阻む大警備陣、ナショナリズムまる出しの中国人たち。

オリンピックに政治を持ち込んではいけない、とよく言いますが、政治の方が勝手にどんどん踏み込んでしまっているのが事実です。

オリンピックを国威発揚の場とし、民衆のナショナリズムを喚起させ、外国の意見にはまったく耳を貸さない、という国の姿は、ナチスドイツによって開催された1936年のベルリンオリンピックを思い出させます。

もう、オリンピックに対する想いは虚しくなってしまいました。東京で再びオリンピックを開催する意味もないと思います。国と国が競うことは、マイナスばかりではないかもしれませんが、政治や戦争とセットになっている以上、もうやめた方がいいと思います。

愚かなオリンピックには興味がありません。むしろ、嫌悪感を覚えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

死刑は本当に必要なのか…

母子殺害事件の被告に死刑の判決が出たことにより、マスコミでさまざまな論調が流れています。

この事件の争点は、犯行当時未成年だった被告に極刑である死刑は妥当か、ということと、若い母親と幼い子どもを殺害した、という残虐性に対する死刑の意味ではないかと思います。

死刑を認める人の最大の主張は、犯罪の抑止力としての死刑を挙げます。また、殺人という罪を犯した者は、死をもって償わなければならない、という意見もあります。この事件の遺族も同様のことを記者会見で述べています。

一方、死刑廃止の主張は、死刑が犯罪の抑止にならないどころか、事件の真実を隠ぺいしてしまうと言います。確かに、小学校で生徒を多数死傷させた被告は、事件の真相や心の内側をまったく明かさないままに、世論の支持を受ける形で死刑になりました。

私も、もし最愛の家族が殺されるようなことがあれば、犯人は死刑にすべきだ、と声高々に言うかもしれません。

しかし、一時の感情だけで、極悪非道の人であっても、死刑という合法的に生命を奪い取ることは、はたして正しいことなのでしょうか。

論点から外れてしまうかもしれませんが、日本の刑事罰の場合、死刑の次に軽いのが終身刑ですが、実際には終身刑になった人が仮出所という形で社会に戻る場合があるようです。これが、死刑という足かせを外せない理由かもしれません。つまり、無期懲役と判決が出ても、本当の意味での終身刑ではないのです。

肉親を殺された遺族にとって、犯人が社会に帰って来るのは、感情的にも許せないでしょう。社会一般の人々にとっても、殺人を犯した人が10年や20年程度で刑務所を出て、社会復帰することに疑問を持つと思います。

死刑ではなく、生涯生き続ける中で罪を償う方法はないのでしょうか。「目には目を」「殺人には死刑を」という出口がない迷路の中をいつまでもさまよい続けることに、私たちはそろそろ考え直す時が来たのではないでしょうか。

本当の意味で、犯罪を抑止するには、厳罰化ではなく、犯罪を起こさせない社会の構築ではないかと思います。特に教育、心理学や心理療法に取り組む人は、それを考え実行する必要があるのではないかと思います。何もしないで、最初から諦めるのは終わりにしたい気持ちでいっぱいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

T.Rくんへ

T.Rくん、8さいのおたんじょうびおめでとうございます。

いまでも、ドラゴンボールをみていますか。

いまでも、ベジータがすきですか。

つよい人にあこがれることは、とてもいいことだとおもいます。

そして、Rくんがもっている、

やさしさもたいせつにしてください。

また、キャンプにさそってください。

こんどは、わたしも川にはいりたいです。

おとうさん、おかあさん、おねえさんによろしく。

また、おあいできる日をたのしみにしています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

こぐま会25周年記念

こぐま会25周年記念
13年ほど前のことですが、当時勤めていた幼児教育実践研究所「こぐま会」の創立25周年記念パーテイーに招待されました。

懐かしいスタッフとも感動の再会をしました。

Dsc00601

私の隣にいる方は、最初に勤務していた多摩市の保育園でお世話させていただいたA子さんです。すっかりきれいな女性になっていて、再会した時は、ドキドキしてしまいました。今は都内の某有名美術館に勤めているそうです。

こぐま会は、有名私立・国立小学校の受験教室として、その方面では大変有名になりました。三省堂を始め、全国の大型書店で教材を販売し、毎年たくさんの子どもを有名校へ送り出しています。

私は、こぐま会の教育システムが受験教育だけに使われるのではなく、将来は障碍児の療育にも応用されることを期待しています。実際、私は「IEPのびのび教室」(多摩市永山)の指導員をしていた時には、障碍のある子どもたちに、こぐま会のペーパー教材や絵カードを多数使って指導をしていました。

多くの子どもたちのために、このような教育資産が使われることを祈っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二女の誕生日

今日は二女の誕生日です。

私と1日違い。今日で20歳になります。

いよいよ成人の仲間入りですね。

「コラボいなぎ」という就労支援施設で働き始めて2年目を迎えました。やっと仕事のペースにも何とか慣れて来たようです。

まだまだディズニー・リゾートに行きたいお歳ですが、そこが娘としては可愛いですね。

知的障碍というハンディキャップを背負って、これから歩む道は決して平たんなものではありません。私が元気に働ける間は何とかできても、親が死んだ後のことを考えると、胸が苦しくなります。

現在の日本の社会構造は、障碍者や高齢者などの弱者はどんどん追いつめられて、崖っぷちまで来ています。障害者自立支援法などにより、経済力がある人だけが人間としての生活を保障されている社会の中で、障碍者の親としては、将来がとても不安になります。

でも、YURIEさん。

辛いことや悲しいことばかりが世の中ではないと、私は信じています。

あと何年一緒に暮らせるかわからないけど、あなたのために私は一生懸命がんばって働きます。

あなたは、あなたの人生を送ってください。

そして、楽しむ時は、おもいっきり楽しんでください。

20歳の誕生日、おめでとうございます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

49歳最初の日

当たり前のことながら、49歳最初の日を迎えました。

40代最後の一年が始まりましたね。

子どもの頃は、40歳、50歳なんてはるか雲の彼方で想像もつきませんでした。でも、実際にその歳になってみると、あまり変わり映えはしません。

確かに肉体は衰える一方ですが。最近は眼もかすれて来たし。中学の同級生の中には、すでに他界した方もいます。そんなことを考えると、先がどうなるのか、わかりません。

しかし、気持ちは18歳や20歳の頃とあまり変わらないつもりです。気力も若い頃よりは充実している感じがします。

それも、今は責任ある立場で社会にいるからでしょうか。

とにかく、つぶれないこと。これが今、いちばん大切にしていることです。

卒園した2年生のみんなにも、また会いたいので、健康を維持することが第一ですね。

48歳で、こども環境管理士の資格を修得したので、また、この1年がんばるための新たな目標を立てたいと思います(後日発表…)。

ここまで何とか生きて来られたことに、深く感謝したいと思います。

そして、これからも、自分の力を自覚しながらがんばりたいと思います。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

48歳最後の夜

気がついたら、今日は48歳最後の日でした。
当たり前のことですが、明日は49歳になります。

シュタイナー教育で有名なルドルフ・シュタイナーによれば、人間は生まれてから7年ごとに大きな節目を迎えるそうです。ということは、私は明日で人生7度目の節目の年になるようです。

振り返れば、7年前は、幼稚園に勤務していて、当時の副園長から激しいパワーハラスメントの攻撃を受けました。心身ともに疲れはててしまい、うつ病になり、自殺の願望すら目の前をよぎったくらいです。

その後、新たな出会い(せいがの森保育園)があり、私は保育園の世界へ戻り、今に至っています。

さらにその7年前は、独立して個人塾の経営に乗り出し、みごとに失敗した頃です。経済的には一番苦しかった時期でした。思い出に残るエピソードは、ファミレスに家族で行った時、子どもはハンバーグを食べ、私は水だけでした。まるで昔流行った「一杯のかけそば」みたいですね。

さらに、その7年前は公務員を辞めた頃です。そのまた7年前は二女が生まれた頃です。

こうして考えてみると、私もいろいろな歴史があったことになります。

「人に歴史あり」とはよく言ったものです。
今夜は、48歳最後の夜。
さて、何をしましょうか…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

こども環境管理士

Kankyou_3   

日本生態系協会認定の「こども環境管理士1級」に合格し、認定証が送られて来ました。

こども環境管理士は、昨年度に第1回の試験が行われました。日本生態系協会と言えば、何と言っても「ビオトープ管理士」で有名ですが、こちらの方は3回受験して、3回とも落ちてしまいました。

こども環境管理士の1次試験(筆記)も、ビオトープ管理士並みのかなり高度な問題が多く出題されました。地球温暖化、ゴミ処理、リサイクル、などの環境問題を始め、自然生態系に関するもの、花や鳥の名前など、幅広い範囲に渡って問われました。

私がこの資格試験を受けることにしたのは、子どもたちに正しい環境教育をしたい、というのがいちばんの動機でした。環境を大切にすることを子どもたちに伝えるには、自然環境を守ろうという心を育てなければなりません。そのためには、自然の良さ、楽しさ、おもしろさを子どもたちが実感しなければ、それを大切にしようという気持ちにはなりません。

保育園の中で、自然の楽しさを子どもたちに体験的な学習をしてほしいのです。

地球環境問題は、世界全体の課題であり、私たちがこれに正面から向き合わなければ、明日の子どもたちの世界は暗いものとなってしまうでしょう。

アースディが近づいていますが、環境問題に取り組んでいるという人は、(申し訳ありませんが)「お祭り気分」が主で、現実の姿や正しい知識を回避している方が少なくありません。運動を盛り上げるためにお祭り的な要素は確かに必要ですが、それだけでは単にゴミと二酸化炭素を排出しているだけにすぎません。

例えばゴミ処分場で、生ゴミを焼却する時に、効率よく燃やすために重油を使っているという事実があります。重油を使うくらいならペットボトルを一緒に燃やした方が余計な油を消費せずにすむ、と主張する人もいます。

また、スーパーのレジ袋は最近では悪の根源のように言われますが、元々は廃油から作っているのでコストは非常に低いそうです。それと比べて、自治体が作る有料のゴミ袋は純製油から作るのでコストが高くなり、何のための有料化なのかわからなくなります。

また、世界に目を向けても、独裁者と大量破壊兵器撲滅を大義名分に、イラクの人々を多数死傷させ、劣化ウラン弾による放射能汚染を実行した元イギリス首相が、今になって地球環境問題解決のために演説しても、それは偽善でしかありません(その元首相をスタジオに招いて笑顔いっぱいのトークショーを行った日本のテレビ局と有名キャスターのお人好しさには、はっきり言って閉口です)。

子どもたちの明日を考えるために、真の環境問題を見つめ、本当の解決は何か、を考えることが、この資格の意味だと思います。

これからも、子どもたちと、そして若い保育士たちと、自然環境の大切さを考えて実践していきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

障碍は個性なのか

前職である、せいがの森保育園のホームページから、統括園長の主宰する組織のHPへ行き、さらに支援企業の「カグヤ」のHPを見ていました。

その中で、八王子市南大沢にある、特定非営利法人CEセンターの野田弘一氏が紹介されていました。野田氏は巡回相談、スーパーバイザー、障碍児の指導など幅広い活動を展開しています。せいがの森保育園においても心理相談員として、保護者・職員の力強い味方になっています。

その野田氏のコメント。

「障碍は個性です」

専門家と呼ばれる方から、よく聴かれる言葉です。

つまり、障碍を特別なもの、劣ったもの、差別するもの、排除するもの、などと捉えるのではなく、その子どもの個性として考えることによって、バリアフリーな社会を築こう、という思想があるのではないかと思います。

そのような考え方に私は異論ありません。

また、個性という意味を考える上で、次のような言い方もできます。

自転車に乗れないのは、もしかしたらその人の運動調節機能に障碍があるのかもしれません。しかし、自転車に乗れない人のことを「障碍者」とは呼びません。

つまり、読み書きや、社会性など、生きていく上でハンディキャップがたまたま障碍になってしまっただけであって、障碍はその人が持つ個性なのです。

しかし、障碍者の父親として、この「障碍は個性」という言葉には、正直引っかかるものがあります。

障碍児・者が世の中で生きていくのは、大変な障壁を数限りなく乗り越えていかなければなりません。これは重いとか軽いとか、障碍の程度によって変わることはありません。かつて「軽度発達障碍」と言われた学習障碍の子どもも、学校で地獄のような苦労をして来たのです。

そのひとりひとりの生きざま、苦渋、人と同じようにできないくやしさ、自分に対する情けなさ、やり場のない怒り、誰にも向けられない憎しみ。これらを生まれた瞬間から背負い続けているのです。

それらを「個性です」のひと言で片づけられるのでしょうか。

障碍児・者の立場に立てば、あるいは親の気持ちに寄り添ってみれば、きれいごとですまされるものではありません。

しかし、専門家の立場に立てば、きれいごとを言わざるを得ない現実があります。野田先生のように、ひとりで何百人のケースを持っていると、ひとりの子ども・家庭に深くかかわる余裕がありません。どこかで線を引いて、どこかで冷めた視点を持たないと、ビジネスとしては成り立たないのです。

私は、臨床発達心理士になった時から、障碍のあるなしにかかわらず、SOSを発信する子ども、親、家族には、最大限寄り添い、支援したいと考えて来ました。それは、どのようにクライアントを受容するか、ということでもあります。

きれいごとはやめましょう。

生身の人を私は受け入れていきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

K.Yさんへ

Yさん、おたんじょうび おめでとうございます。birthday

Yさんは、8さいになりましたね。

4月からは、しょうがく2年生。またひとつ、おねえさんになりましたね。

しょうがっこうは、たのしいですか?

がくどうクラブでは、どんなことをしているのですか?

べんきょうは、なにがすきですか?

また、いろいろおはなしを きかせてくださいね。

Yさんは、お友だちをとてもたいせつにしていますね。

たくさんのお友だちと、いっぱいあそんでください。

まえにいただいた、もえぎのむらのしゃしん、

とてもたいせつにしています。

Yさんは、カメラでしゃしんをとるのが、とてもじょうずだとおもいます。

カメラガールになれますね。

Yさん、

また、どこかで おあいできる日をたのしみにしています。

元気でいてください。

今日は、おたんじょうび おめでとうございます。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

ハローワーク

仕事の関係でハローワークへ行きました。

かつては「職安」と呼ばれていましたが、今ではイメージが一新された感じがします。

でも、大雨の今日のような日でも、求人票のコーナーやパソコンの前は、真剣な眼差しの人であふれ返っていました。世の中は、まだまだ仕事を求める人がたくさんいて、不景気なのだと実感しました。

かつて私も恵比寿にある幼児教室の講師を退職した後に、6か月間失業手当の受給と求職のためにハローワークへ通いました。

仕事を探しに行く、というのはやはり気持ちが沈んでしまいがちになります。

私は、今振り返れば、あのハローワークに通っていた6か月間が今までの人生の中で、最もどん底でした。

求人が何千、何万件とあっても、自分に合った仕事を探すのは、なかなか難しいと思います。それは、求人をする側に立っても強く感じることです。

時代は変わって、障碍者、高齢者、ニート、などさまざまな方々への対策がハローワークでも行われていることを知りました。さまざまな支援策を雇う側もうまく利用しながら、雇用の拡大を模索できればいいなぁ、と思いました。

実際は、そんな甘いものではありませんが…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

君が代斉唱

小学校の入学式に参列しました。

当然ですが、最初に「君が代」斉唱がありました。

私は、正直に言って、君が代を聴いたり、日の丸を見ると心がジーンとします。でも、それは、オリンピックで日本代表選手が金メダルを獲得した表彰式など、ごく限られた場面に過ぎません。

学校の入学式や卒業式では、何の感動もありません。

この差は、いったい何なのでしょうか?

それは、自ら湧き上がる感激なのか、それとも外部から強要されているか、という違いだと思います。

君が代も、日の丸も、道徳も、愛国心も、自分の内から湧き上がるものがなくてはならないのです。

上からの強要は、まったく意味がありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新しいブログを始めました

すでに書き込みを始めていますが、新しいブログを開設しました。

「かいじゅう先生の園長日記」です。

http://kokoronomori.tea-nifty.com/kaizyusensei/

上をクリックしていただければ見ることができます。

私の新しい仕事と職場を紹介しています。

どうぞよろしくお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ポ二ーテール

ポ二ーテール
N先生からいただいた、「ポ二ーテール」という木です。

とても、かわいらしいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新園スタート!!

新園スタート!!

今日から4月です。
新しいスタートです。
私も新たなる第一歩を踏み出しました。

前職である、せいがの森保育園の職員の皆様より、とてもすてきな祝電をいただきました。

ありがとうございます!

また、新宿せいが保育園のN先生より、ポ二ーテールという素敵な鑑賞植物をいただきました。

ありがとうございます。

多くの方々から、たくさんのご好意をいただき、私は幸せです。
がんばれるパワーがわいてきました。

今日は早番から遅番までの勤務で、土曜日を含めてしばらくは忙しい仕事が続きます。
でも、今日の喜びを忘れずにがんばりたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »