連鎖
なぜ、こうも若い命が次々と失われていくのでしょうか。
みずから命を絶つ連鎖が止まりません。
若い中学生ばかりでなく、今日は高校の校長先生の自死のニュースがとびこんできました。
そして毎日のようにアナウンスされる人身事故…
なんとかならないのでしょうか。
みずから命を絶つことは、もうやめましょう!!
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
なぜ、こうも若い命が次々と失われていくのでしょうか。
みずから命を絶つ連鎖が止まりません。
若い中学生ばかりでなく、今日は高校の校長先生の自死のニュースがとびこんできました。
そして毎日のようにアナウンスされる人身事故…
なんとかならないのでしょうか。
みずから命を絶つことは、もうやめましょう!!
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
新聞報道によれば、千葉県の市立中学校で、一人の教師が自殺をしました。遺族が自殺の原因は、校長によるパワーハラスメントだとして、公務災害の認定を求めるそうです。
パワーハラスメント(パワハラ)は、会社などで職権などのパワーを背景にし、本来の業務の範疇を超えて、継続的に、人格と尊厳を傷つける言動を行い、就労者の働く環境を悪化させる、あるいは雇用不安を与えること、というように定義されています。
一般的には上司から部下に対して、権力を振りかざして人格攻撃を行なうことですが、専門的な知識を振りかざして、部下から上司へ、あるいは後輩から先輩へ行なわれる場合もあります。
私自身も、以前にパワハラで悩み、精神的苦痛を受けたことがあります。その当時上司であった女性から、仕事でミスをすればもちろん、報告の仕方、言葉の使い方、態度など事細かなことまで、毎日怒鳴られる日々が続きました。そして残業・休日出勤を強要され、拒否するとまた怒鳴られました。女性の上司が男性の部下に対して怒る場合、周囲は部下の男性に非があるとみられがちです。
私をかばってくれる人は一人もいませんでした。私は精神的不安から精神科を受診しました。ところがその上司は精神科にまで押しかけ、症状や治療内容など個人情報を聞き出そうとしました。
結局、私はその職場を辞めることになり、現在の保育園に就職しました。上司は、現在某大学の教授になり、教材会社が主催する保育士研修の講師などもやっています。
ここで思うことは、自分が正しいと信じて考えたり行動したり発言することは、本当に正しいかどうか、自問自答することが大切だということです。私を恫喝した上司は、それまでも数多くの部下を同じように脅迫して追い込み、退職させています。彼女はそれが正しい行動だと信じているのでしょう。
しかし、正しいことかどうかは、自分だけではわからないものだと思います。正しいと信じてやったことが人を死に追い込んでしまっては、悲劇以外の何者でもありません。
そして、人に対しては激情をぶつけるのではなく、いつでも冷静になりたいと、私自身心にとめておきたいと思います。
| 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (1)

「日本LD学会 LD・ADHD等 関連用語集【第2版】」
日本LD学会 編
2006年9月30日 発行
専門的な職業と言われる中でも、小学校の教師と、幼稚園の教諭、さらに保育園の保育士は、ある特定の分野のみならず、マルチ的な知識と技量を持つことが求められます。
保育士は、生後1ヵ月の赤ちゃんから、就学前の6歳の子どもまで、保育をするための技術が必要ですが、実は並大抵なものではありません。
ところが、保育士になるには、わずか二年間の短大・専門学校に通うだけで資格が収得することができます。かつて昭和40年代に保育士が大量に不足して、それを補うために制定された国家試験制度がいまだに存在していて、三ヶ月程度の学習で資格を得ることも可能です。
また、近年「気になる子」という言われ方で、学習障碍やADHD(注意欠陥多動症候群)、高機能自閉症などの子どもがクローズアップされてきました。これらの子どもたちに対する保育の方策は、現時点においては、ほとんどないと言っていいでしょう。
障碍の専門家は数多くいるのですが、それぞれ言っていることが微妙に違っているために、保育現場では混乱が起きています。それは、障碍の専門家と言っても、学習障碍の専門家、自閉症の専門家… というように、専門家にも、それぞれの得意分野があるのです。
私は、障碍児保育において、保育士が専門家から指導を受けるだけでなく、自らが障碍についての学習を行ない、専門的知識を身につけるべきだと思います。この分野は生きた「子ども」が相手なので、日々新しい指導法や考え方が生まれては消えていきます。保育士自身が障碍について、もっと学習すべきだと私は考えます。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)
最近、マスコミでいじめに関する報道が多くみられます。いじめが原因で自殺した少年、少女たち。学校・教育委員会側のいじめ否定、事実の隠蔽体質。さらに教師による生徒へのいじめの事実…
次々と明るみにでることは、陰湿で希望も夢も打ち砕かれるものばかりです。
精神科医師の門 眞一郎氏によれば、「学校教師という職業は、基本的には学校は楽しかったという経験を持っている人が選ぶ職業であろう」と言っています。さらに「いじめっ子ではあったかもしれないが、いじめられっ子ではなかったのではないか」と言い切っています。
つまり学校の先生は、学校は楽しいところ、という前提条件(しかも無条件!)のもとに教育を行なっているのです。これは、教師や保育士がよく錯覚することですが、大人自身が楽しければ、子どもたちも楽しいと思い込んでしまうことがあります。教師だけが熱く盛り上がっていて、生徒が冷めているということがあるのではないでしょうか。
いじめが原因で、学校がつまらない、学校へ行きたくない、という生徒、子どもの気持ちを先生をはじめ、大人たちが理解できないのは、しかたがないのかもしれません。
いじめの芽は、すでに幼児の時代に現れています。
多くの保育士は、現場でそれを感じているはずです。
いじめは、学校や教師だけの問題ではなく、広く社会の病気だと思います。私は保育士なので、保育現場の立場から、このいじめを考えていきたいと思います。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (2)
プロ野球日本シリーズは、パ・リーグの北海道日本ハムファイターズが中日ドラゴンズを破り、優勝・日本一になりました。
日本ハムの優勝は、44年前、1962年の東映フライヤーズ以来二度目になります。
私は、セ・リーグよりはパ・リーグの方が好き、という程度で、日本ハムのファンというわけではありません。個人的には、ソフトバンクホークスが好きです。
昨年の優勝は千葉ロッテマリーンズでバレンタイン監督。そして今年は日本ハムのヒルマン監督。二年続けて日本一の監督が外国人というのは、偶然ではないと思います。
他球団の選手、監督、フロントは、このことを考えてみるべきでしょう。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日は、長女の誕生日です。
MARIちゃん、お誕生日おめでとう!
長女は、今日で22歳になりました。
長いようで、過ぎてしまえば、あっという間ですね。あのちっちゃかった女の子も、いまでは大学四年生。就職活動などで大変なようですが、のんびり、あせらず、がんばってほしいと思います。
自分も歳をとりましたね(笑)。
偶然ですが、今日、二女が歯科でインプラントの手術を受けました。
先月始めに学校で転倒して、前歯を2本失ってしまったからです。
今日は、インプラントという人口歯根を埋め込む手術でした。新しい歯ができるまでには、さらに何ヶ月もかかるようです。治療は、まだまだこれからです。
三時間以上かかった手術でしたが、よくがんばりました。
めまぐるしい一日でした。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)
今日も、日本自閉症スペクトラム学会主催の資格認定講習会に参加しました。
最近、自閉症の青年が主人公のドラマがスタートしているようです。
しかし、まだまだ自閉症に対する一般の理解は低いと思います。何よりも、障碍を持つ人・子どもとかかわるのは「面倒だ」と思う人が多すぎるのではないでしょうか。これは、明らかに教育の問題でもあります。「美しい国」も悪くありませんが、「やさしい人」を育成する教育が求められると思います。
今日の講義では、障碍児・者の歯科治療を行っている歯科医師の先生のお話が圧巻でした。歯科の診察室は、どんな人にとっても恐怖を感じることでしょう。状況の認識が難しい自閉症の人にとって、その恐怖は何千倍にもふくらみます。その自閉症者・児をいかに落ち着かせて歯科の治療を行うのか。もちろん拘束などしません。
治療現場のビデオを観ながら、これは教育・保育現場でも応用できるものだと思いました。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日は、日本自閉症スペクトラム学会主催・資格認定講習会に参加しました。
この講習会を続けて参加していると、学会認定の「自閉症スペクトラム支援士」という資格が習得することができます。
ただし、今のところは資格習得は急がす、じっくりと自閉症に関する最新の情報を勉強したいと思います。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
就学時健診の季節です。
就学時健診とは、来年小学校に入学する子どもが、健康診断などを受けることです。
もともとは内科、歯科、耳鼻科等の医療診断が中心のものでした。しかし、近年において就学時健診は別の意味合いを持つようになりました。
それは、「障害児探し」です。
障碍を持った子どもは、一般の子どもとは区別して、特別な教室・教育を用意することが正しいと思い込んでいる教育委員会、行政当局、役人、教師などの意向が反映されているのです。
身体障碍、知的障碍はもちろん、落ち着きのない多動傾向のある子どもなど、健診時に学校・教師たちは細かく子どもを観察しています。
このように差別的な行為が当たり前のこととして行われていることに、反対している人たちもたくさんいます。
学校側の立場に立ってみれば、どんな子どもが入学して来るのか事前に知りたい、という心情はわからないわけではありません。しかし、現実は障害のある子どもを探し出して、個別に就学指導をおこない、心身障害児学級や養護学校へ入学させようとする、というひとつの道筋が出来上がって流れているのです。
特別支援教育という新しい制度が始まり、軽度発達障碍のある子どもは普通学級で対応する、という建前ができあがりつつあります。しかし、現場の先生たちはどう考えているのか、まったく見えて来ないのが現状です。
就学時健診がいつまで「弱者探し」の機能を持ち続けるのか。社会から差別が消える日が来るのでしょうか。このことを学校に問いかけたいと思います。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)

「完全・増補版 円谷英二の映像世界」 その2
円谷英二氏の特撮映画の原点は、戦前に公開されたアメリカ映画「キングコング」だそうです。ニューヨークのエンパイア・ステートビルによじ登り、飛行機を追い払うキングコングは、確か人形のアニメーションだったと記憶しています。
日本の特撮映画(アニメーション映画も含めて)の製作者が最も苦労したことは、制作費の問題だったのではないかと思います。イギリスのテレビ映画である、「サンダーバード」や「謎の円盤UFO」などは、素人目に見ても、贅沢に金を使って撮影しているな、ということがわかります。一方、日本の方は、特撮映画自体への芸術文化としての価値が低いという土壌があります。制作費が高騰すれば、即製作・放映打ち切りになってしまいます。
それでも、円谷氏が今でも「特撮の神様」として絶賛されるのは、後に紹介する「ハワイ・マレー沖海戦」(昭和17年制作・公開)などで、卓越した特撮技術を映画で表現した功績があるからです。もちろん、「ゴジラ」をはじめとする怪獣映画も、氏の名声を高めることになりました。
現在のウルトラマンなどを観ていると、明らかに子どもだけか、せいぜいその親だけをターゲットにしているので、小手先のごまかしだけが映像にも、ストーリーの展開にも見られます。CGの多様化によって確かに多彩な映像を創り出すことに成功したかもしれませんが、円谷映画の迫力、奥の深さには足元にも及びません。
大人にも十分な鑑賞ができ、子どもの心をつかむ特撮映画は、過去の円谷作品に数多く見られます。その文化的財産を消滅させてはならないと思います。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

今日、保育園で、いもほり遠足に行きました。

なかなか、大きなおいもが掘れましたね。

これから、来月にかけて、おいもクッキングが展開されます。
| 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (1)

「完全・増補版 円谷英二の映像世界」
竹内 博・山本 眞吾 編
2001年 実業之日本社
特撮という独自の世界において、その巨匠あるいは神様と言われた、円谷英二監督の作品の紹介、評論等を集めた貴重な書籍です。
私たち40代から50代にかけて、映画を観たことがある人ならば、円谷英二氏の名前を知らない人はいないと言っていいでしょう。昭和40年代までの東宝映画系の特撮は、ほとんど円谷氏の手によって制作されました。
特撮というのは、実際の世界では起こりえないような想像を絶する現象、あるいは現実のものであっても映画撮影上、不可能な事実を可能にする撮影技術のことを言います。
前者は、円谷氏の代表的な作品である「ゴジラ」(昭和29年)を始めとする、いわゆる怪獣が登場する映画があります。テレビの「ウルトラマン」も含まれます。後者は、戦争映画などの艦隊や航空機の映像があります。いずれも、ミニチュアを使ったり、怪獣は着ぐるみを使ったりします。
円谷氏は68歳で逝去されましたが、2001年の生誕100年を記念して、この書籍が刊行されました。
今では特撮はコンピューター・グラフィックが主流になり、そのリアルさは現実と変わりがない感覚で観ることができます。しかし、ミニチュアや合成撮影を使った特撮が、より現実的に見えるのは、私だけでしょうか。
私たちの感覚では、円谷英二監督=怪獣映画、というイメージがありますが、氏の作品リストを見てみると、戦前から昭和40年代にかけて、数多くの映画作品の特撮を手がけており、怪獣ものは、ごく一部であることがわかります。
例えば、クレイジーキャッツが主演する喜劇映画、戦争映画、以前に紹介した「妖星ゴラス」などのSF映画など、多方面にわたっています。
幸いに、代表的な作品はDVDとして観ることができます。このブログでも紹介していきたいと思います。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日は、私が勤務する保育園で、運動会が行なわれました。
いろいろなことがありましたが、とりあえずは、無事に終了しました。
年長組の担任を持っていると、「またひとつ、終わってしまった…」という喪失感にも近いような気持ちになってしまいます。
でも、子どもたちは、明日に向かって一歩ずつ成長しているのですね。
今日は、それを実感として味わいました。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
明後日、14日に保育園の運動会が行なわれます。
運動会で、私は「マウササイズ」という体操を子どもたちと一緒におこなう予定です。
「ミッキーマウス」がおこなう「エクササイズ」なので、「マウササイズ」です。「イッツ・ア・スモールワールド」「ミッキーマウス・マーチ」をはじめ、ディズニーの代表的な音楽がメドレーで次々と流れます。
実は、この「マウササイズ」のCDが発売されたのは、24年前の1982年です。
私は、24年前から、人生の節目のたびに、この「マウササイズ」をやって来ました。
もしかしたら、明後日が最後の「マウササイズ」になるかもしれません。
「マウササイズ」は約7分間、身体を動かし続ける、なかなかハードな体操です。
でも、子どもたちは、とても楽しく参加してくれます。
明後日は、大いに「マウササイズ」を楽しみたいと思います。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)

「東京オリンピック」
総監督 市川 崑
製作 東京オリンピック映画協会
東宝映画 1965年
DVD版 2004年
長編記録映画というものは、この「東京オリンピック」くらいまでが盛況を極めた感じがします。同じオリンピックの映画でも、東京から8年後のドイツ・ミュンヘンオリンピックでは、「時よとまれ、君は美しい」というタイトルで、記録というよりは芸術的な表現に大きく転換した映画になっている印象があります。
いまあらためて「東京オリンピック」を観てみると、いろいろな発見があります。
マラソンの背景に広がる昭和39年の東京の風景が、とても新鮮な感じがしておもしろいですね。
大阪で開かれた日本万国博覧会(1970年)とともに、日本の高度経済成長の象徴にもたとえる東京オリンピックは、現代では味わえない高揚感がありました。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
42年前の今日、1964年10月10日、第18回オリンピック・東京大会が開会しました。
当時、私は五歳でしたが、東京オリンピックの記憶が鮮明に残っています。
開会式。自衛隊のジェット機が空中を旋回し、オリンピックのシンボルである五輪を描いたこと。
女子バレーボール日本代表チームが、宿敵・ソ連に決勝で勝ち、見事に金メダルを獲得したこと。ちなみに、あまり知られていませんが、男子バレーボールの日本代表チームも強豪・チェコスロバキヤに勝つなどして、3位の銅メダルを獲得しているのです。
陸上競技では、マラソンのアベベ選手の圧倒的な強さ。円谷選手の大健闘(見事に3位入賞を果たしますが、円谷選手は後に周囲の期待に押しつぶされる形で自殺してしまいます)。100メートル優勝のヘイズなど、現在の選手環境に適していれば、さらに記録を更新すること間違いなしの選手がたくさんいました。
そして、東京オリンピックの花と呼ばれた、体操のベラ・チャスラフスカ(当時のチェコスロバキヤ)。とてもきれいだった印象があります。
テレビが急速に普及していった昭和30年代後半の時代。私たちはテレビのオリンピック中継に釘付けでした。そしてあっという間に閉会式が来てしまいました。日本選手ばかりを応援するような「プチ・ナショナリズム」もありましたが、強い外国の選手にも、賞賛の拍手をおくりました。
東京オリンピックは、私の幼児期でいちばん印象深い出来事です。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
報道によれば、北朝鮮は、今日核実験を行なったそうです。
また、「核クラブ」のメンバーが増えました。
人間は、一度、核兵器によって滅んでみないと、平和の意味がわからないようです。核兵器を持つことが国際社会での地位を確保すると、本気で思い込んでいる国が、あといくつあるのでしょうか。核の保有国が増えることによって、人類の絶滅がまた一歩近づくことが、政治家はわからないのでしょうか。
今日のニュースを見て、無力感しか感じませんでした。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
運動会のシーズンです。
私も、今日はある保育園の運動会を見に行きました。
そもそも、運動会とはなんであるのでしょうか?
その歴史はよくわかりません。しかし、日本独特の行事であるのは、なんとなく推測できます。精神と肉体の鍛錬でしょうか…
私が勤務する保育園の運動会は、来週の土曜日、14日に行なわれます。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
私が勤務する保育園の、保護者有志で作るホームページがあります。その掲示板で、保育園で販売する行事の写真の値段が話題になったようです。
保護者の書き込みには、「値段が高すぎないか」「値段が高いから、買いたくてもたくさん買えない」「保育園が写真屋から手数料を取っているのでは」などなど。写真の値段をめぐって、さまざまな批判の意見がとびかったそうです。
もちろん、保育園は公的機関なので、写真屋さんから手数料などはいただきません。保育園は、写真の掲示と、保護者から代金を預かるだけで、そのまま写真屋さんへ渡ります。
問題なのは、スナップ写真が一枚150円、集合写真が600円くらいの代金が、高いかどうか、ということです。
写真は芸術だと思います。プロが撮影するからです。その芸術作品を買う、ということを考えれば、代金が高いとか安いという話は出ないはずです。もちろん、プロの作品でも駄作であれば、それは納得がいかない話かもしれません。しかし、私は、保育園の写真を撮っていただくN氏の腕は確かだと思っています。
園児が何百人もいる、ある幼稚園では、行事の時に保護者によるカメラ、ビデオの撮影はいっさい禁止。プロが撮影・制作した写真、ビデオを高額で販売しているケースもあります。そのようなところに比べれば、わたしのいる保育園の写真屋さんは、かなり親身な方ではないかと思います。
安ければいい、というのは、愛する子どもたちが写っている写真に限れば、あてはまらないような気がします。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
しばらく前のことですが、同級生から「きもい」と言われたりなど、いじめにあって教室で自殺した少女がいました。学校側はいじめの事実を把握できず、まったく対応できないようでした。
少し前に、私が担任する子どものひとりが「友だちから『きもい』と言われる。保育園に行きたくない」と親に訴えた、ということがありました。
私はそのことを聴いてから、すぐにいじめられた本人から、誰が言ったのかを聴きました。相手の名前を聴いて、いじめをするような子ではないが、軽い気持ちで言いそうだな、と思いました。
翌日、すぐにクラス全員を集めて、言葉の暴力について話しました。
子どもたちは、まだ5歳か6歳です。
しかし、今までの経験から、このくらいの年齢から、いじめの根っこは伸び始めます。子どもは、大人が考えるほど深刻な意味もわからず、平気で相手を傷つけます。「きもい」の意味も十分にわからないまま、からかい半分で言います。
だから子どもは許されるのではなく、言葉の持つ重い意味を教えるのは大人の責任と役割だと思います。よく、年上の兄弟がいると言葉使いが悪くなる、という話を聞きますが、まったく根拠のない、大人の責任放棄だと思います。
言葉がいかに美しいか。言葉がいかに醜いか。
そして、言葉は平和にもなり、愛にもなり、そして暴力にもなる。
このことを大人はしっかりと子どもに伝えていかなくてはなりません。それが大人として、親として、保育士としての重大な責任だと思います。
いじめは一度はなくなるでしょう。でも、その根っこを完全に取り去ることは、とても難しいことです。天使のような子どもたちが、いじめをする側、される側になってしまう可能性は否定できません。
子どもの心の成長を私たちはしっかりと見守る必要があります。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


保育園の保護者で、中国の方から中秋の名月を前に、月餅をいただきました。
いろいろな形があり、味もいろいろあることを初めて知りました。何しろ「中華街」と呼ばれるところにも行ったことがありませんので…
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

「夜回り先生」
水谷 修 著
2004年 サンクチュアリ出版
夜回り先生、水谷修先生のことは、すでにテレビのドキュメンタリー番組などで、かなりの知名度があり、知っている方もたくさんいらっしゃると思います。
私はこの本を初めて読んだ時に、とてもショックを受けました。
そして、この現実が遠い世界の話ではなく、自分の子どもにも、受け持っている子どもにも起こりうる可能性があることを強く感じました。
水谷先生は、私と同じ世代です。ひとりの子どもも見逃すことなく助けようとする、その姿勢に深く敬服します。「一人や二人を救ったところで焼け石に水にすぎない」というのが、普通の人の感覚ではないでしょうか。何もしないで言葉だけの教育者が多い世の中が間違っていると私は思います。
新しい内閣が出発して、教育問題を政策課題としてあげているようです。しかし、水谷先生が立ち向かう、社会に食い物にされてしまった子どもたちのことを少しでも考えているのでしょうか。法律を変えることばかりに熱心になり、現実の世界を見る眼を失っていないでしょうか。
わが身の保身ばかり考える人には、私はなりたくありません。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (1)
最近のコメント