セミの幼虫

園庭で、セミの幼虫を見つけました。
幼虫のぬけがらはよく見つけますが、幼虫そのものは都会ではなかなか見ることはできません。
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園庭で、セミの幼虫を見つけました。
幼虫のぬけがらはよく見つけますが、幼虫そのものは都会ではなかなか見ることはできません。
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新聞報道によれば、大阪市にある淀川キリスト教病院で、治る見込みがない重い病気で死期が迫った赤ちゃんについて「あと一、二時間以内」と判断した時点で、両親の希望を受け、すべての延命治療を中止していました。その数は、昨年までの七年間で八人。親が赤ちゃんを抱っこして安らかな最期を迎えられるようにするためで、同病院では「看取(みと)りの医療」と考えています。
これまであまり注目されることがない、新生児の終末期医療の在り方を問いかけるものとして、この問題は十分に考える必要があると思います。
新生児の重い病気としては、無脳症などの致死的奇形や脳室内出血などがあるそうです。
胎児期・新生児期の赤ちゃんは、本人の意思を確認することができません。したがって、その生死も含めて、医療の選択の決断を下すのは両親です。
しかし、すべての決断を両親にゆだねるのは問題があるかもしれません。両親の意向は、時には自身の都合の良い解釈になってしまうこともあります。また、倫理という問題もあります。
例えば、命を救うことができても、重い障碍が残ってしまう場合は、どうするのでしょうか。生まれてくる子が、これから育つ子どもが障碍がある、という問題は、両親に十字架を背負わせること、と考えることもできます。
どの選択が正しいのかは、まったくわかりません。
しかし、この病院のように、小さな子どもがベットに固定され、チューブや管を差し込まれたまま終末の時を迎えるよりは、家族の手によって抱かれ、包まれるようにして最期を迎えることを選択できることは、赤ちゃんにとっても、家族にとっても幸せなのではないかと思います。
診断があいまいだったり、治療が間違っていた、などというのは論外です。また、助かる命を親の都合で消してしまうことも許されることではありません。
しかし、真実の苦しみは当事者にしかわからないことなのです。
同病院では、治療方針が看護師やソーシャルワーカーも含む医療チームで論議し、両親とも話し合いで決定しているそうです。今後も、十分に論議を重ねて、本当に命を大切にする医療が行なわれてほしいと思います。
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東京は、朝から良い天気です。梅雨明け、本格的な夏の到来を感じさせます。
今日は、立川、八王子、そして下町・隅田川で花火大会が開かれるようです。
花火、と言えば、先日ある本で、山下清氏の絵画を観ました。山下清氏は、その眼で見た風景を絵画として再現する能力に優れていた、と言われています。すべての作品を観たわけではありませんが、貼り絵によって表現された花火大会の絵画はすばらしい作品だと思います。
花火は、なぜか私たちを引きつけるものがあります。夜空に広がる打ち上げ花火から、手元で光る線香花火まで、見ている私たちは情緒的な感情が湧き出て来ます。
日常の忙しさを理由に、なかなか花火大会を見る機会がありませんが、子どもが小さかった時に、近所の公園でよく花火をしたことがあります。また花火をしてみたいですね。
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千葉県・幕張メッセで開催されている「世界の巨大恐竜博2006」に行きました。全長約33メートルの「スーパーサウルス」の化石には圧倒されてしまいました。
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今日は、久しぶりに職場の同期で会食をしました。 同期と言っても、みな私よりはるかに年下の人たちばかりです。
しかし、これも何かの縁と言っていいでしょう。生まれも育ちも違う人々が、単に同じ職場だったということだけで出会いがあり、そして交流が続いています。
私は若い頃には、人と人のつながり、というものにまったく無頓着でした。ですから、過去出会った多くの人は、現在ではつながりがありません。今になって後悔していることですが、出会った人との運命、そしてつながりを大切にするべきだと思います。
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東京都立南大沢学園養護学校主催の第一回合同研修会に参加しました。
講師は、東京学芸大学教授の太田昌孝氏でした。「大田ステージ」という独自の自閉症療育プログラムを考案された方です。
テーマは「自閉症や近縁の障害の理解と対応」でした。
このような研修に参加して、最近思うことは、障碍の概要や診断、教育・保育の方針などは細かく解説されるのですが、障碍児の内面、つまり心の問題を取り上げることはほとんどありません。
障碍児にかかわらず、子どもと接していると、子どもの心の問題に必ず突き当たります。子どもも人間なのですから、その心理、心の問題は避けて通ることはできません。
しかし、従来の障碍児教育・保育を始め、一般の保育においても、子ども自身の心の問題は、意外と軽視されているように思います。子どもが障碍児であっても、自閉症であっても、心は存在するのです。そして無視することはできない問題なのです。
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陸上自衛隊の最後の部隊が日本に到着して、イラクからの撤退を終了しました。航空自衛隊は物資輸送の任務を現地で続行しています。
戦争に加担することは、巨額の経済支出を無条件で認めることになります。いわば「無謀な公共事業」と言えるかもしれません。
今回の自衛隊派遣は、戦後、戦争地域に入った最初の事例になってしまいました。現在のイラク情勢を見れば、テロと暴動の繰り返しで、内戦状態になっていることは、中学生でもわかることです。
そこへ行って、自衛隊はどんなことをしたのでしょうか? ニュースや新聞でもよくわからない部分です。
そもそも、最新兵器の実験場かのように、イラク市街を無差別攻撃して、多数の市民・子どもを殺戮しておいて、その後に入り込み、復興支援とはまったく意味がわかりません。最初から破壊と殺人を行わなければ、復興などということはなかったからです。
自衛隊の方々、日本政府の偉い方々は、ひとりの死者もなく撤退できたことに、喜びと誇りを持っていることでしょう。もちろん、日本人の自衛隊員の命も大切です。しかし、同じくらい大切なイラクの人の命もあるのです。
たくさんの子どもが劣化ウランなどの影響で苦しんでいる実態を私たちはほとんど知りません。
知る努力をしなければ、情報は入ってこないのです。
支援のしかたをもっと考えるべきでしょう。
いま、自分が動きださなければならないと感じています。
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夕涼み会を始め、保育園のさまざまな行事には、卒園した小学一年生も招待されます。わずか数ヶ月ぶりの再会ですが、ひとりひとりの成長には驚くものがあります。
しかし、私の勤務する保育園では、招待するのは一年生までです。在園児に弟妹がいれば、もっと大きくなっても保育園に来ることはありますが、ほとんどの子は一年生までて、その後は縁が切れてしまいます。
私が以前に勤務していた東京・多摩市の幼稚園では、小学六年生までの同窓会がありました。
私は、もっと中学生になっても、高校生になっても、参加者が一ケタになっても、保育園での集いを開くべきではないかと思います。保育園が主催者になり、保護者の方々にも企画に参加していただいて、同窓会を開くことには意味があると思います。
人生には、いろいろなことがあります。子どもが保育園、小学校、中学校、高校と成長する過程において、それぞれの家庭の中でも、さまざまな出来事があります。時には、家族の解体、ということも今の時代ではめずらしくありません。その時、力になってくれるのは「昔の仲間」ではないでしょうか。
家族が年月を重ね、大小の山を越え、谷を渡りながら成長していく姿を保育園というフィールドが支えていくことが、これからの保育園としてのあり方なのではないかと思います。
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このブログは7月21日に書きました。原因はわかりませんが、その後23日になって削除されていることがわかりました。もう一度書くことにします。
21日に、所用で東京・浅草を訪ねました。
浅草は、私の故郷です。生まれてから約21年間、浅草で過ごしました。
それから、さらに四半世紀が過ぎて、浅草の街並みもずいぶんと変わりました。
私が子どもの頃は、全体が怪しい感じのする街でした。今もそれなりに怪しいのですが…
インターネット・カフェとか、大きなカラオケ店もありますが、一歩裏道に入ると、そこは、もう昭和と変わらない世界です。
懐かしくて周りをキョロキョロ見ながら歩いていると、客引きのお兄さんに声をかけられてしまいました(笑)。
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今日は、私の勤務する保育園で夕涼み会が開かれました。
雨も降ることがなく、予定通りの進行ができました。
このような夏祭りは、庶民の素朴な風物詩と言えるのではないかと思います。その意味では、あまりあれこれ理屈をつけるのではなく、とにかく夏の夕暮れを楽しむのがよいのではないかと思います。
なぜ盆踊りを踊るのか、などと考え始めたら、踊ることなどできませんから。
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1969年の今日、アメリカの宇宙船・アポロ11号が宇宙船として人類初の月面着陸をしました。そして、アームストロング船長が記念すべき月面での第一歩をしるし、オルドリン飛行士がそれに続きました。
私は、その時小学校四年生でした。夏休みに入るその夜、アポロ11号の月着陸船が月へ向かって降下していくようすをモノ クロ・テレビで観ていました。実際にはテレビの画面でライブ中継されるのは、翌日の月面での第一歩なのですが、ヒューストンの宇宙センターと月着陸船との通信の様子を聴いているだけでも、とても緊迫した気持ちになったのを覚えています。
翌1970年、大阪で開かれた万国博覧会のアメリカ館で、月の石が展示されました。何時間も並んで、ごま粒のようなきらきら輝く石を観ました。月の石は、その後、東京・上野の国立科学博物館でも展示されたと記憶しています。
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私の勤務する保育園では、今週の土曜日に夕涼み会があります。
多くの幼稚園・保育園では、この時期、同じような行事を行っているのではないかと思います。
私の保育園では、夕方四時から七時頃まで、盆踊りを踊ったり、ゲームコーナー、体験コーナー、製作コーナーなどのミニ・イベントを開いたりします。また、軽食を家族で楽しんでもらう企画もあります。夏の夕暮れのひとときを保育園の行事で楽しみ、思い出をつくる機会でもあると思います。
そのための準備として、職員が毎日遅くまで保育園に残ってがんばっています。
いろいろな企画があると思いますが、全国の保育園・幼稚園だけでなく、地域や商店街主催の夏祭りも、この時期行われます。昔からのお祭りもあるでしょうし、地域おこしのために、住民が一から立ち上げたお祭りもあります。
このような楽しい「伝統」は、これからも継承されていくことでしょう。
太鼓をたたいたり、踊ったり…
決して強要されることなく、自ら楽しむお祭りは大好きです。
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スペースシャトル・ディスカバリーが日本時間の17日夜、無事に帰還しました。
今回のミッションでは、2003年のコロンビア事故での教訓を生かし、安全装置などの実験と訓練が行われました。
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北朝鮮のミサイル問題は、国連安全保障理事会が全会一致で中止を要求しました。今後は、北朝鮮が六カ国協議に再度参加するかどうかが焦点になるでしょう。
一連の報道の中で、政府・与党の中から、自衛行為として、相手国の地上ミサイル基地を攻撃することを真剣に検討すべきだ、という意見が複数出たことについて、強い不快感を持ちました。
防衛という視点から見れば、相手国から発射されたミサイルをすべて迎撃することは不可能に近いそうです。また迎撃してもその破片が地上に降り注ぎ、被害が出る可能性があるようです。したがって、ミサイルが発射される前に、その兆候が見られた場合、基地自体を攻撃してミサイルをたたくことは防衛の範囲内だという論理です。
なぜ、このように戦争を始めることに熱心なのでしょうか。
戦争になれば、どんなに攻撃しても、必ず報復攻撃を受け、たくさんの犠牲がでることは必至なことです。
日露戦争、第一次世界大戦、そして太平洋戦争、さらに現在も続くイラク戦争、そしてイスラエルとパレスチナの紛争など、歴史の事実が証明するとおり、戦争を始めるのはやさしくても、終わらせることは非常に難しいことなのです。
歴史に「もし」はタブーですが、太平洋戦争において、もし日本政府が躊躇することなく、10日早くポツダム宣言を受諾していれば、広島・長崎の原子爆弾投下、それに続くソ連参戦はなかったのです。
戦争に対する真摯な反省、自己批判がいまだにないことから、日本はまた軍事国家への道を「誰も気がつかないまま」進んでいるように思えます。
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サッカー・ワールドカップの決勝戦で、フランスのジダン選手の「頭突き」問題が世界の注目を集めました。相手のイタリアの選手が差別的な言葉を投げかけたのが発端だったとも言われています。
もちろん、差別はよくないことです。自国のフランス国内では、ジダン選手に同情の声が集まっているようです。では、スポーツの場において暴力は許されることなのでしょうか?
先日も大相撲名古屋場所でロシア出身の露鵬が記者を殴って三日間の出場停止になりました。プロスポーツ選手としてのモラルが低下していると言わざるを得ません。
私が小学生の頃、プロ野球のラジオ中継は、球状内の観客の声援をひろっていました。ところが、あまりにも汚いヤジが多くて、その後やめてしまったようです。
スポーツをやる選手も、観る側も、それなりの礼儀があっておかしくないと思うのですが、現実はかなり違うようです。怒りやすい相手に対してわざと汚い言葉を吐き、乱暴させて退場に追い込む。これもサッカーでは当たり前に行なわれているそうです。
今回のジダン選手の一件は、スポーツに対する興味を失いかけるとともに、いかに人間が愚かであり、下等な生き物であるかを証明したものだと思います。
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今日は土曜日の勤務でした。土曜日は登園する子どもが少ないので、合同保育となります。普段は年長児クラスの担任ですが、今日はすべての年齢の子どもたちを保育しなければなりません。
保育士になって本当に良かったと思うことは、小さい子どもと一緒に過ごすことができるからです。自分の子どもはどんどん大きくなって、今では成人になりました。ですから、もう抱っこしたり、一緒に遊ぶことは、もちろんありません。
親が錯覚することは、子どもはいつか大きくなって大人になり、旅立つということです。子どもが小さいうちは、そのことを理解するのが難しいものです。子どもが小さい時に、十分に愛してあげられなかった親が、「子離れ」ができないのだ、と言う人がいます。しかし、それは違うと私は思います。
子どもをたくさんたくさん愛しても、子どもはいつか大人として旅立ちます。その哀しさは親でなければわかりません。また、その時が来ないと理解できないものだと思います。親にとって、子どもはいつまでも愛する子どもなのです。
保育園では、いつも小さい子どもたちが集まって来ます。ひとりひとりに十分な愛情をかけてあげることができます。赤ちゃんのにおいを楽しみ、子どもの汗を感じ取ることができます。
体力的にしんどい年齢になってきましたが、私は保育士になってよかったと思います。
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今日は、以前に勤務していた幼稚園のお泊まり保育に招かれています。
寝る前に、パソコンとプロジェクターを使って、ホールの天井に星空を投影します。その星空を見せて、プラネタリウムのようなことをするためです。
年長児が相手なので、あまり難しい話はできません。太陽系の惑星、織り姫星、彦星、夏の大三角、星座などを話す予定です。適度に難しい方が、子どもは見聞きしながら自然と眠りについてしまうでしょう。
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子どもたちに昔話の紙芝居を読んでいました。
悪い魔物が子どもをさらうお話ですが、最後は子どもによってかまどの中に押し込められて、魔物は死んでしまうというものでした。
古今東西、悪者が最後は死んでしまうお話は数多くあります。日本では、やまんばが出てくるお話をよく聴きます。ただし、地方によって話の結末が変わるものもあるようです。私が知っているものでは、「うりこひめとあまのじゃく」が、必ずしもハッピーエンドで終わらないものもあります。
しかし、「おおかみと11ぴきのこやぎ」や「赤ずきんちゃん」のように、悪者が最後は死んでしまう、それも正義によって意図的に殺害されてしまうお話が圧倒的ではないでしょうか。
これは、悪い事をしたものには死が待っている、という教訓のようにも取ることができます。
では、悪いことをしたものは死んで当たり前なのでしょうか?
少し大げさかもしれませんが、これは死刑の論理につながると思います。
「死に至らしめた者には死を持って報いなければならない」
これを私たちは気がつかないまま、子どもたちに伝え、子どもたちは疑いも持たないまま、心に刻んでいくのです。
死の連鎖。終わらない復しゅう。
最近、凶悪事件の裁判記事を読んでいて、死刑が本当に正しいことなのか。昔話のエピソードと合わせて考えてみると、ますますわからなくなりました。死刑を望む被害者の遺族。その気持ちは痛いほど察しますが、はたして死刑によって、気持ちが治まるのでしょうか…
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サッカー・ワールドカップは決勝戦でイタリアが勝ち、世界一の頂点に立ちました。
日本代表は、一次リーグで敗退しました。決勝トーナメントに進んだチームの試合を見ていると、日本との差がいろいろと感じられるところがありました。
積極的なストライカーの不在、ディフェンスやゴールキーパーの技能の差、体格や体力の違い、90分間走りまわるスタミナの不足… 数え上げたらきりがないかもしれません。
しかし、今最も大切なのは、自己反省、きちんと総括をするべきなのではないでしょうか。すでに、国内のマスコミは新監督のオシム氏の話題一色です。どんなに素晴らしい監督を迎えても、選手や協会が、今回の結果をきちんと正面から見つめる必要があると思います。
中田選手は引退を表明しました。見方によっては、中田選手は日本代表に見切りをつけたのです。日本のサッカーを捨てたと言われてもしかたがないでしょう。それを「ご苦労さまでした」で終わらせていいのでしょうか。
もっと、自己をふりかえり、反省すべきことは反省して、世界との差を「世界との違い」に発展させることがいちばん大切なことだと思います。
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保育園では、明日から一泊二日の日程で、お泊まり保育が行われます。姉妹園と合同で、四歳児・五歳児の子どもたち約80人ほどが保育園で宿泊をします。
今年は私の勤務する保育園がホストになり、姉妹園を迎え入れることになります。年長組の担任である私は、年中組保育士と一緒に、連日準備に追われています。
キャンプファイヤー、ナイトハイク、花火大会など、野外でのイベントも多いので、天気が心配です。何とか雨だけは降らないでほしいと思います。
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北朝鮮によるミサイルの連続発射が、各方面に波紋を広げています。
厚いベールに包まれた独裁国家による暴走、などと言われていますが、歴史を振り返ってみれば、私たちの住む日本も、第二次世界大戦へ向かう道のりは、暴走だったように思われます。
国家の経済力があまりにも違い過ぎるアメリカばかりか、イギリス、中国、オランダなどと戦争を始めたのは「国家の暴走」だったのではないでしょうか。国外から見れば「何を考えているのかよくわからない」と、当時の日本のことを不思議がっていたかもしれません。
転じて、当時の日本国内は、教育・社会のすみずみまで軍国主義が浸透し、国民は何の疑問も持たないまま、戦争への道を突き進みました。
現在の北朝鮮と、戦前の日本がまったく同じというわけではありませんが、国家というものは、往々にして暴走しやすいのではないでしょうか。イラク戦争を始めたアメリカも、私は無謀な選択だったと思います。開戦前後は圧倒的な国民の支持を得ていたことは事実なのです。
国内問題にしろ、海外にしろ、私たち一般市民が国家権力の行き過ぎた狂気とも言える行為を止めることは不可能なのでしょうか。
冷静になること。言動に真の責任を持つこと。これらを政治家、官僚に求めたいと思います。
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プロ野球・ソフトバンクホークスの王貞治監督が緊急の記者会見を行い、手術のため入院することを明らかにしました。胃に腫瘍があり、摘出手術を受ける必要があるそうです。
「名選手必ずしも名監督とはならない」と言いますが、王監督も幾多の苦難を乗り越え、現在のソフトバンクを常勝球団に育てあげました。
私たちの世代は、王貞治と言えば、世界に誇るホームランバッターとして、時代の英雄であり、憧れのまとでした。
王監督が早く回復し、またソフトバンクを、そして日本代表の監督として活躍されることをお祈りします。
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今日は、保育園でプール開きがありました。
梅雨まだ明けずとも、夏本番を迎えたという感じですね。これから8月いっぱい、プール遊びが展開されます。
私は小学校一年生まで水が怖くて、プールは大嫌いだったのですが、今はスイミングクラブに行っている子も多くて、水遊びが大好きな子がたくさんいます。それでも保育園は水泳を教えることはしませんので、十分に水に慣れ親しみたいと思います。
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仕事から帰宅したら、テレビのニュース速報で、サッカーの中田英寿選手の現役引退を報じていました。
プロサッカーの選手として、日本代表の中心的人物として、中田選手は日本人に深く影響を与えてきた人物だと思います。その意味では、日本人の英雄と言われてもいいのではないかと思います。
その英雄が求めた夢は何だったのでしょうか。
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2日付東京新聞によれば、大阪市の私立幼稚園で、年長児の園児約120人に、教育勅語を暗唱させているそうです。
教育勅語とは、明治天皇によって1890年に発布されたもので、国民道徳の根源や教育の基本理念を明示したものです。父母への孝行、夫婦の和、義勇奉公など12の道徳項目が記されています。時代の流れで、昭和の軍国主義教育と深い結びつきを持つようになり、戦後国会によって排除されました。
しかし、自民党内などには、教育基本法の改正問題とからめて、教育勅語の復活を求める声もあり、人によって、とらえ方はさまざまと言っていいでしょう。
幼稚園側は、「幼児期から愛国心、公共心、道徳心をはぐくむためにも教育勅語の精神が必要と確信している」と述べています。園児は毎日担任の指導で教育勅語を暗唱。保護者にも「今こそ教育勅語の精神が必要」と園長の所感と口語の訳文が配布されているそうです。
私はこの記事を読んで、幼児教育の思想の貧困さを感じました。
子どもに何かを教えたい、例えば伝統を伝えたい、という気持ちは大人の中にあるのはごく普通のことだと思います。また、子どもを取り巻くさまざまな問題が噴出している現代社会において、信用できるのは「お金」だけ、という心の貧しさがあることも事実です。
しかし、だからと言って、「愛国心」「教育勅語」に走るのは、あまりにも安直な考え方であり、日本人特有の均等性に欠ける極端さが露呈してしまったように思います。
幼児教育の世界にも、数々の思想家・実践家がいて、多くの宝物が残されています。例えばモンテッソーリ教育の提唱者、マリア・モンテッソーリの平和に対する思想は、現代教育に欠けてしまった考え方です。これは、愛国心大賛成者がよく唱える「公の精神」よりもはるかに広い、人類融和の精神とも言えるでしょう。
子ども、特に幼児は大人から貪欲に知識を吸収します。大人が「これは大切なことなんだ」と言えば、子どもは疑いなく学びます。その素直さにつけこんだ大人の貧困なる精神に失望しました。
同時に、これはただ批判するのではなく、正しい幼児教育は何なのかをみんなで考える必要があるのではないかと思いました。
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今夜行われたプロ野球、巨人対阪神は4―2で、巨人が勝ちました。
巨人の連敗は10でストップしました。
子どもの頃からの巨人ファンですが、子どもの時は、「他のチームのことをよく知らない」ということと「偉大なるON(王貞治選手、長嶋茂雄選手)がいた」ということがすべてでした。
近年、アメリカのメジャーを目指す選手が多くなり、日本のプロ野球も曲がり角に来ました。それでも巨人を中心に球界は動いていると言ってもいいでしょう。
とにかく、巨人が強くないと、巨人ファンも、アンチ巨人ファンも野球がおもしろくないと感じるようです。今日から10連勝ですね。
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報道によれば、政府・与党は、幼児教育の無償化について検討することになりました。これは、幼稚園・保育園のすべての三歳から五歳児が対象になります。本当に実現すれば、保護者であるお父さん・お母さんにとっては朗報となるでしょう。
しかし、この手の報道には必ずと言っていいほど、無償化にするための財源をどうするのか、まったく触れていません。つまり、話題として無償化を検討する、と発表しても、本当に実現するかどうかは、ほとんど未知数なのです。もっと言うならば、与党に本気で実現する気があるのかどうか、懐疑的にならざるを得ません。
また、無償化が少子化対策のため、と言いますが、これが少子化の歯止めになるとは、あまり期待できません。私が以前から述べていることですが、子どもの教育費が家計を圧迫するのは、幼児期ではなく、小学生以上、特に高校・大学なのです。
少子化を解決するために財政支出をするのであれば、無利子・無返済の奨学金制度を充実したり、高校生・大学生の扶養控除を拡大するなどの措置を考えてほしいと思います。
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