« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »

子どもを生むということ

 職場の同僚が出産をしました。しかも双子ちゃんです。

 出産前後の危機的な状況は脱したようです。同僚のブログによると、母子ともに健康だということです。

 まずは、おめでとうございます。

 少子高齢化の時代にあって、子どもを生まない選択、法律上の結婚を選ばない自由が、ごく一般的な考え方になって来ました。

 もはや出生率などと言っても、これからの時代は、子どもの数が少なくなり、より大切にされる時代が来ることでしょう。豊かな経済社会を背景に、子どもはさらに「宝」とされるのが21世紀ではないでしょうか。

 一方で、子どもが巻き込まれる事件は後を絶たず、幼い命が失われることも頻繁に起きています。殺人、心中、通り魔、誘拐… もっと子どもを守ることを社会が真剣に考えなければ、このような事件は連鎖的に、今後も起きるのではないかと思います。

 それはともかくとして、新しい生命の誕生は、何ともうれしいことです。

 この子たちは、22世紀の世界を見ることでしょう。その時に、歴史として今の時代が恥ずかしいものでないように、大人はがんばらなくてはならないと思います。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

光化学スモッグ

 今日は、東京地方に光化学スモッグ注意報が出ました。

 おかげで保育園の子どもたちは、午後、外に出ることができませんでした。

 昭和40年代後半から50年代にかけて、光化学スモッグが社会問題化しましたが、今でもそれが続いているのかと思うと、東京の空はまだまだ汚れているのだなぁ、と思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

竹取物語

 今日は、東京地方で気温が30度を越え、今年初めての真夏日になったそうです。

 そんな暑い日に、子どもたちと外にでかけ、(それほど近くでもない)お寺の竹林から竹を切って運びました。

 もちろん、七夕の飾りに使うものです。

 大人が行って切って運べば、すごく簡単にすんでしまうことなのです。でも、子どもたちと一緒に運ぶことが、保育園では意味があるのです。

 私が担任する年長クラスの子どもには、「何とかみんなの力を貸してください」と頼んだら、全員が来てくれました。本当にありがとう!

 七夕は見方によっては地味な行事ですが、いろいろ飾りを作るのも楽しいですね。いつも雨が多いのですが、子どもたちのお願いが天までとどくことを祈っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

本当の国際貢献、真の人道支援…

 昨日紹介した「子どもたちの命」(岩波ブックレット)を読んでいて、草の根的な人道支援が持つ意味について考えました。

 著者の鎌田氏によれば、「いろいろな人たちが、いろいろな国と交流したり、支援したりして、つながっていること、あるいは理解をしあっていることが、この国のほんとうの安全を守るうえで大事だと思っています」と述べています。

 つまり、医療支援など本当に役に立つ支援や貢献をすることによって、支援を受けた国の子どもたちはそのことを決して忘れない。それが日本との信頼関係になり、国と国の友好関係につながるということなのです。

 これは、すごい地味なことかもしれませんが、日本が世界から敵国にならないための手段のひとつなのかもしれません。そう考えると、人のため、子どもたちのために行動することが、本当の意味での国際貢献、人道支援、そして日本のためにもなるのではないでしょうか。

 自衛隊で働いている方もたくさんいますし、現在の国際情勢から自衛隊派遣が国際貢献の方法として妥当と言えるのかもしれません。しかし、地味でも、カッコよくなくても、もっと多彩なやり方があってもいいのではないかと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもたちの命 ―チェルノブイリからイラクへ

「子どもたちの命
  チェルノブイリからイラクへ」

鎌田 實・佐藤 真紀 著

岩波ブックレットNo.677 2006年

子どもたちの命 ―チェルノブイリからイラクへ

 イラク戦争の最大の被害者はイラク国民、そして子どもたちです。

 本書は、イラクをはじめ、チェルノブイリなど世界各地の子どもたちに医療支援を続けている二人によって書かれました。私たちが知っているようで、実はまったくわかっていないことがたくさん書かれています。んそ

 イラク戦争は、独裁者サダム・フセインの打倒と大量破壊兵器の壊滅が目的でした。しかし、戦争のために多くのイラク国民、子どもたちが亡くなりました。今なおケガや病気で苦しんでいる子どもも大勢います。

 著者たちは、ただ平和を主張するのではなく、医療支援という行動を展開しています。主張だけでは、現実を知らない評論家に過ぎない、とにかく行動をしなければいけない、というのが著者の考え方です。

 私も、著者が活躍するJIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)にアクセスしてみました。自分で何ができるか考えてみたいと思います。

JIM-NET ホームページ

http://www.jim-net.net/

| | コメント (0) | トラックバック (1)

時代のスピードについていけない ―ベータや8ミリを何とかしたい

 私が使っている携帯電話は、かつて「Jフォン」と言いました。機種変更したとたんに「ボーダフォン」に変わりました。そして最近機種変更したら、こんどは「ソフトバンク」に… 別に何ら損をしているわけではありませんが、時代のスピードが速すぎるようです。

 最も被害を受けたのは、ビデオカメラです。長女が生まれ、ボーナスをはたいて買ったのが「ベータ」方式のビデオカメラ。後に消滅。

 二女が幼稚園の頃に買ったのは「8ミリビデオ」方式。後に消滅。

 三女の時は「デジタルビデオ」。これも近いうちになくなるでしょうね。ベータと8ミリで撮影したテープはすでに再生不能。

 DVDなどにダビングしてくれる業者さんがあるそうですが、どなたかご存知の方は教えてください。お願いします!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

はらっぱ

 今日は、京王・小田急線の永山駅からすぐのところにある、複合施設「ベルブ永山」の中にある、「はらっぱ」というお店をたずねました。

「はらっぱ」は、障碍を持った人が働く場所です。正直、とても地味ですが、いろいろな品物を取り扱っていて、のぞいてみるだけでも楽しいお店です。

 障碍者の働く環境は、まだまだ非常に未熟なのが現状です。品物の売り上げだけでは、十分な賃金をもらうこともできません。この実態をもっと多くの人々に知ってほしいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

沖縄・慰霊の日

 61年前の今日、1945年6月23日、太平洋戦争における沖縄戦が終わりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ワールドカップ、新たなる四年後をめざして

 サッカー・ワールドカップで、日本代表はブラジルに1-4で負けました。これで予選リーグ敗退が決まり、ジーコ・ジャパンは終わりになりました。

 さすが世界の壁は厚かったと思います。ブラジルの選手ひとりひとりのテクニックもはるかに日本選手を上回っていました。

 これから、2010年をめざして、あらたなる出発です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

カブトムシの幼虫いただく

 今日、看護師さんのご実家から、たくさんのカブトムシの幼虫が保育園へ送られて来ました。ご実家は福島県です。さっそく飼育用の容器を用意しました。さすが、田舎の幼虫は大型です。子どもたちと一緒に見て、びっくりしてしまいました。

 世の中は、昆虫ブームです。「ムシキング」というキャラクターが男の子たちの間で大人気のようです。そのため、ホームセンターなどに行くと、カブトムシやクワガタでけではなく、外国産のカブトムシなども高値で売られています。

 これらの外来種と呼ばれるものは、昆虫でも、動物でも、植物でも、いま日本の自然界では大変な問題となっています。本来、日本の生態系には存在しないものなので、日本産のものを駆逐してしまう危険があります。例としてタンポポがあります。春先に咲くタンポポは、そのほとんどが現在では「セイヨウタンポポ」という外来種で、日本産のタンポポは、絶滅の寸前となっています。

 ですから、外来種を購入することは、非常に危険であり、日本の自然に大きな影響を与えかねないことを知るべきでしょう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

紫陽花

紫陽花

保育園の前に咲いている紫陽花です。

今だけ「あじさい保育園」という名前でもいいなぁ、と思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

カブトムシ、二匹めが生まれる!?

カブトムシ、二匹めが生まれる?

 二匹めのカブトムシが、今朝水道の流し場で発見されました。幼虫の飼育ケースをふたを持ち上げて、脱出したものと思われます。すごい力業ですね。

 写真の下が最初に生まれたオスで、上が今回発見されたメスです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ボランティア・クラブ

 保育園には、年間を通して多くのボランティアさんが来園します。

 中学校で職場体験が授業の一環として定着したり、ボランティアの実績が受験の内申書に反映されることもあって、夏休みを中心に中学生もたくさんやって来ます。

 今日来園したのは、近くの小学校のボランティア・クラブの子どもたちでした。四年生から六年生までで、女の子がほとんどでした。クラブ活動なので、自分から希望したと思うので、それなりに積極的な子が多かったように見えました。

 保育士は今でも人気の高い職業のようなので、私たちもなるべく夢が壊れないように(笑)、楽しい経験をしてほしいと思っています。でも、いろいろな仕事を体験してみて、ゆっくりと考えてほしいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

国会が終わったら…

今日で通常国会が閉幕しました。新聞の政治欄は、9月の自民党総裁選挙一色です。
議員のセンセイ方、もっと他にやることはたくさんあるのではないでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父親保育

 今日は、保育園で「父親保育」が行われました。これは、保護者であるお父さんに一日保育士になってもらって、実際に保育をしていただくイベントです。

 普段、保育とはまったく縁のない仕事をされているお父さん方にとって、大勢の子どもたちの「先生」になるのは、それなりの楽しみがあるようです。毎年、たくさんのお父さんが参加しています。

 もちろん、まったく参加しないお父さんもいます。しかし、運動会など、他の行事には参加していただけるので、それはそれでよし、と思います。

 今年は少し印象的なことがありました。

 あるクラスに脳性マヒの子どもがいます。歩行はまだできません。かなりの部分での介護が必要になってきます。今年は、この子に専属のお父さん保育士が二名ついて、交代で保育をしました(普段は非常勤の女性保育士がついています)。

 この子どもとお父さんたちとのやりとりが、とても楽しく、勉強になりました。お父さん先生たちは、子どもの障碍について、ほとんど情報を知りません。しかし、とても初めて対面したとは思えないような感じで接していたのです。女性保育士がきめ細かい保育をするのに対し、お父さんのはその場まかせの出たとこ勝負という感じです。でも、子どもの方もそれが楽しくて、いい笑顔をしていました。今日私は、お父さん方から、子どもの接し方について、ひとつの方法を教えていただきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

特別支援教育士資格認定講座・指導実習合格

日本LD学会・特別支援教育士資格認定協会から封書が届きました。
5月3,4,5日に受講した、特別支援教育士資格認定講座・指導実習の合格通知および修了証を受け取りました。
これで講座はすべて終了しました。
来年始めの資格申請に向けて一歩前進しました。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

カブトムシ生まれる

カブトムシ生まれる

 クラスで飼育していた幼虫から、カブトムシが生まれました。

 昨年飼育していた成虫が生んだ卵を育て、生まれた幼虫を一年近くかけて飼育しました。したがって、保育園で「二世」となるカブトムシです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

すぎな愛育園

 昨日、八王子市台町にある知的障害児通園施設「すぎな愛育園」を訪問しました。市内の保育園、保健センターなどの職員が集まり、情報交換をする勉強会に出席するためでした。わずか一時間半の勉強会でしたが、中身の濃い交流となりました。

 すぎな愛育園は、八王子市内で唯一の幼児を対象とした知的障害児通園施設です。定員は45名ですが、常に入所待ちの子がいる状態です。都下最大の自治体である八王子市に、通園施設がひとつとは心細い限りです。

 また、八王子市の公私立認可保育園は、障碍児を入園の要件と認めていません。あくまで保護者が就労している、病気などの要件がなければ入園の対象とはならないのです。したがって、母親が家庭にいる場合、障碍を持った子どもは保育園に入ることができません。

 もともと、保育園は「保育に欠ける子ども」が入園の対象となっています。一般的には保護者が就労していて、日中子どもを家庭で養育できない場合、「保育に欠ける」ので保育園への入園対象となります。他には、保護者の病気、出産などがあります。

 それでは、障碍児というだけでは「保育に欠ける」と言わないのでしょうか?

 子どもに障碍がある場合、軽いとか重いということに関係なく、親は育てるのに大変な苦労をします。また、なぜ自分の子どもが障碍児なのか? と自問し、障碍児を生んだ自分を責め立てます。そのように保護者が精神的・肉体的にも不安定で、疲労している状態では、子どもを育てることは親だけでは不可能に近いと考えられます。したがって、障碍があることは「保育に欠ける」ことになると私は思います。

 保育園に入れなければ幼稚園へ、と考えますが、もともと人員的に余裕の無い幼稚園は障碍児の受け入れに消極的です。ですから、八王子市の場合、就学前の障碍児はすぎな愛育園へ行く道しかないのです。

 さまざまな障碍を持った子どもを受け入れるすぎな愛育園と職員の方々の尽力は大変なものだと察します。地域で子どもたちを支援していくためには、保育園・幼稚園が積極的に障碍児も受け入れていくこと、そしてそれを自治体・政府が支援することが求められると考えます。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

田植え

 今日は、年長組の子どもが田植えをしました。

 田舎のように田んぼがないので、プランターに植えます。それでも、毎年立派な稲穂が実りますが、都会育ちの雀に食べられてしまいます。何とかできないものかと思いつつ、ひとまず田植えを行いました。

 以前に「めだかのがっこう」というNPOのイベントで学んだ農法を参考にしています。

Photo_4

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地域の子育て支援

 今日は、保育園が主催している地域の子育て支援事業のひとつで、親子遊びを担当しました。保育士が交代で行うのですが、私が担当する場合は、だいたい造形遊びを行います。今日は絵の具を使って自由に絵を描く活動をしました。

 このような活動には、地域に住む親子がたくさん集まり、毎回予約が殺到します。保育園としては、担当の職員を置いて、毎月さまざまな活動を行っています。しかし、予算も場所も限られ、私たちも日常の保育の「片手間」に参加しているのが実情です。

 近年、多くの保育園・幼稚園で、このような子育て支援事業をやっていますが、このようなところに、政府・自治体からの財政支援をもっとつぎ込んでほしいと思います。欲を言えば、親子活動だけではなく、母親の育児相談などのケア事業をさらに充実させるべきではないかと思います。

 しかし、このような子育て支援事業が、昨今問題視されている少子高齢化現象を解決する手段になるとは、あまり思えません。少子化は解消されませんが、減り続ける出生率の歯止め程度の役割ははたせるのではないかと思います。それよりも、より良い育児の方向性を打ち出し、若い母親の生きがい感を育てる役目を担うのではないでしょうか。

 お母さんたちには、もっともっと地域に出てきて、育児を楽しんでほしいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人間関係を学ぶ子どもたち

 私が担任をしている年長組の子どもたちは、週一回「お手伝い保育」というのをやっています。これは、3グループに分かれて、0歳児、1歳児、2歳児の各クラスに入り、保育士の補助的な仕事をしながら、小さい子どもたちと過ごす活動です。ただ小さい子どもたちと遊ぶだけではなく、おやつの準備や後片づけ、着替えや外へでかける時のしたくなど、覚えること、やることはたくさんあります。したがって、お手伝い保育は、「小さい子のクラスに仕事をしに行く」という位置づけをしています。

 と言っても、まだまだ5歳、6歳の子どもたちですから、小さい子をそっちのけにして赤ちゃん用おもちゃで遊んでしまったりすることもあります。また、年少の子どもとのコンタクトがうまくとれない子もいます。下に兄弟がいる子は慣れていますが、ひとりっ子や末っ子は傾向的に小さい子が苦手な場合があります。

 でも、そんなことに関係なく、普段はやんちゃな子が赤ちゃんの世話を一生懸命やったり、いたずら坊主の男の子が「ぼくは○○ちゃんが大好きなんだ」と話してくれることもあります。

 この活動は、私が今の保育園に勤め始めるかなり以前から続いているものなので、本当の目的は何なのか、正直言ってよくわかりません。

 しかし、私なりに考えてみると、年長組の子どもたちが、さまざまな人間関係を学ぶ場であると思います。

 まず大人との関係で、担任の私ではない保育士、つまりそれぞれのクラスの保育士との関係があります。保育士も人間なので、みな個性があり、子どもとの接し方もさまざまです。例えば、事細かく子どもに指示を与える保育士もいれば、厳しい保育士もいます。経験年数の若い、優しい保育士もいれば、ベテランでおおらかな保育士もいます。多くの保育士と接することによって、「大人っていろいろな人がいるんだなぁ」と思うことが大切な学習になります。これが単数担任のクラスだと、一年間一人の大人と一日の大半の時間を過ごすことになるのです。これは小学校でも同じです。ですから、たくさんの大人との関係を持つことは人間としての発達の上で、とても重要だと思います。

 そして、小さい子どもたちとの関係があります。0歳や1歳、2歳の子どもは、まだ言葉の発達も十分ではないので、「ここに来なさい」と言っても誰も来ることはありません。言葉の指示など遠くとどかないのです。また、好き勝手に動き回ることが当たり前の世界なので、年長の子どもたちは接し方に苦労します。例えば、月齢が高くて口が達者な子どもほど、言葉で小さい子どもを動かそうとするので、最初は必ず失敗・挫折します。子ども同士が持つ感性で小さい子どもとうまくつながることができる子が、同じ世界と時間を共有することができます。今年度は、まだ始めて六回目くらいなので、一、二時間くらいの活動でも、年長の子どもたちは、とても疲れてしまいます。

 でも、こうして少しずつ他者との関係を築きながら、人を知るための学びをしていきます。それがひとりひとりの発達を促すのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

プロ野球もおもしろい!

 サッカー・ワールドカップは、日本時間の今夜、日本対オーストラリア戦が行われる予定で、マスコミも、職場も、子どもたちとの会話も、だんだんと盛り上がりを見せています。

 一方、国内では、プロ野球がセ・リーグとパ・リーグの交流戦が終盤を迎えています。こちらの方も、連日白熱した試合が展開され、とても楽しく観戦しています。

 特に、パシフィック・リーグの選手をテレビで観る機会が少ないので、交流戦は、昨年同様、新鮮さを感じます。余談ですが、日本ハムファイタースに私の伯父と同姓同名の選手がいて、昨日の対中日戦の中継で、初めて顔を見ることができました。

 サッカーと野球は、根本的に動き方が違うので、それぞれの良さがあり、安易な比較はできません。今夜のサッカーも楽しみですが、プロ野球もおもしろいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

何のための国会なのか

 報道によれば、国会は、9月で退陣を表明している小泉首相の強い意向で、会期の延長は行なわず、18日に閉幕します。

 教育基本法改正案、「共謀罪」創設のための組織犯罪処罰法改正案などの重要な課題は、先送りされる公算が高くなりました。さらに、今後、消費税の引き上げ、防衛庁の「防衛省格上げ」問題、そして憲法改正論議など、次々と政府与党は、右傾化政策、市民生活圧迫の政策を打ち出す構えでいます。

 小学生の時、社会科で国会のことを学んでから、いつも思うことですが、なぜ国会は一年中開かれないのでしょうか? 地方自治体の議会にしても、一年の中で休んでいる期間の方が長いような気がします。一般市民の年間の休みは、多くてもせいぜい90日程度でしょうか。しかし、国会・議会の実質的な審議も良く見積もって同じくらいのように思えます。

 大切な問題について、しっかりと議論を進めるためには、十分な時間をかける必要があると思うのは、小学生でも理解できることです。私たちは仕事で必要とあれば、日曜日でも祝日でも働くことがあります。しかし、国会や議会が日曜日に開かれた、ということは聞いたことがありません。

 国会終了後に小泉首相は、サミットなど外遊が予定されているようです。今や政治ショーと化し、何の成果も期待できないサミットなど無意味のような気がします。しかも、政治上の関係が悪化している韓国や中国との問題は棚上げ状態です。

 一般市民を馬鹿にしたような、政治家たちの姿勢にあきれ返るばかりです。政治的な策略ばかりに走るのではなく、本当に市民のために働く政治家はいないのでしょうか。

 すべて、なにもかも、9月以降の新政権に「丸投げ」しているように見えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

熱き戦いが始まる

 サッカーワールドカップ・ドイツ大会が始まりました。開幕戦のドイツ対コスタリカ戦を観ました。ミュンヘンからの歓声と興奮が、小さなテレビを通して伝わって来ました。

 日本代表を応援するのはもちろんですが、世界のトップチームによる最高レベルの試合を観ることができるのが、とてもうれしいですね。

 寝不足になるのは必至ですが…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チャーリー・ブラウン なぜなんだい?

「チャーリー・ブラウン なぜなんだい?
 ―ともだちが おもい病気になったとき―」

チャールズ・M・シュルツ 作

細谷 亮太 訳

岩崎書店 1991年

チャーリー・ブラウン なぜなんだい?

 15年前に日本で出版された「ピーナッツ」シリーズの絵本です。世界で最も広く読まれていたピーナッツ・シリーズ。そして、世界で最も人気があるキャラクターでもある、ビーグル犬のスヌーピー、チャーリー・ブラウン、ライナスなどが登場する絵本です。

 ストーリーは、ライナスの友だち、ジャニスが白血病にかかり入院・治療生活を送ることが中心になっています。白血病に対する偏見―例えば、患者に触れると白血病が伝染する、がさりげなく話の中に現れて来ます。

 ライナスは、なんとかジャニスの病気が治ることを祈り、そして周囲の偏見やねたみと闘います。化学療法の副作用で、ジャニスの髪の毛がすべて抜け落ちてしまったり、ジャニスの療養のおかげで放任されてしまったジャニスの姉妹の苦しさなども描かれています。

 本来、娯楽である四コマ漫画の世界が、こうした白血病という重いテーマを取り上げることは、当時としては非常にめずらしかったのではないかと思います。「死」と隣り合わせの病気は、子どもの日常では無縁であるはずの世界です。しかし、いつ、だれがこの病気に冒されてしまうか、私たちはまったくわかりません。それを子どもたちに、わかりやすいように伝えることができるのは、このような絵本があるからです。

 内容的には小学生が読むのに適していますが、幼児にじっくりと説明を加えながら読み聞かせることもできます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大阪・池田小学校児童殺害事件から五年

 大阪大学付属池田小学校で、侵入者による殺傷事件で児童8人が死亡、教師を含む15人が負傷した日から、今日で5年が経過しました。

 その事件の大きさと残虐さに、まだ記憶も新しく、あの日、報道を通して受けた衝撃が、昨日のことのように思い起こされます。

 犯人の元死刑囚は一審で控訴しなかったために、判決通り死刑が執行されました。いくら憎んでも足りないくらいですが、この死刑執行には一抹の疑問が残ります。

 それは、犯人がどのような心理状態で、なぜ犯行に及んだのか、完全に解明されないままで死刑にしたことは、はたして正しかったのだろうか、ということです。犯人の精神が病んでいたとしても、その病理、および心理を明らかにすることが、将来的な犯罪の防止に寄与するのではないかと思います。

 自分が殺害された遺族の立場に立たされれば、そのような悠長なことは言えないかもしれません。しかし、前例のない凶悪・残虐な事件だからこそ、真実の究明をもっと精細に行うべきではなかったのかと思います。

 犯人の死刑が執行されても、殺されてしまった子どもが帰って来るわけではありません。遺族の方々の無念と苦しみは、今もなお、さぞ辛いことだろうと思います。だからこそ、悲劇を二度とくり返さないための追求と方策が第三者の立場から行われるべきではないでしょうか。

 心理学の世界からは、まだ答えは出ていません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

死刑について考える

 報道によれば、連続幼女殺害事件の宮崎被告が、死刑についてのメッセージを発していたことがわかりました。その中で、宮崎は死刑に対する恐怖と、絞首刑の廃止について言及しています。

 さて、この時に死刑のことを考えてしまいます。

 死刑が最高刑として制度化されている国は、世界の中では少数で、122か国が、法律上または事実上、死刑を廃止しているそうです。

 死刑廃止の是非についての論議の時に、必ず持ち出されることが「死刑抑止論」です。死をもって罪を償う制度があるから凶悪犯罪の抑止になる。また、死刑が無くなれば何をやっても死ぬことはない、と考える人が出てくるので死刑は必要、という考え方ですが、現実にはどうでしょう。

 秋田県で小学一年生の男の子が惨殺された事件が連日報道されていますが、最も「死刑を望まれやすい」子どもに対する殺人事件は後を絶ちません。

 つまり、死刑制度は、まったく犯罪の抑止にはなっていないのです。しかし、もし自分の肉親が殺されたりしたら、犯人を死刑にしてやりたいと私も思うかもしれません。

 しかし、それは「憎しみの連鎖」でしかないと思います。

 また、「冤罪」という問題もあります。過去、特に第二次大戦敗戦時までは罪なき人々が大勢殺されました。戦後も、もしかしたら冤罪によって死刑にされてしまった人がいるかもしれないのです。

 一度、死刑が執行されてしまうと、もう後戻りはできなくなってしまいます。

 かつて、名優チャールズ・チャップリンが映画「独裁者」の中で、「一人を殺せば死刑になるが、多数を殺せば英雄になれる」という言葉を思い出します。

 死刑制度について、私たちはもう一度考えてみるべきではないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

保育参観

 今日は、私の勤務する保育園で、「保育参観」がありました。

 いわゆる学校の授業参観と同じようなものです。平日にもかかわらず、たくさんのお父さん、お母さん、あるいはおじいちゃん、おばあちゃんの姿も見られました。みなさん、ビデオカメラやデジタルカメラを片手に、熱心にお子さんのようすを観ていました。

 保育をする側である私たちは、普段通りと言っても非常に神経を使い、一日が終わって、クタクタになってしまいました。

 いつも気になるのは、仕事の都合などで参観に来れない保護者の子どもたちのことです。毎日長い時間、集団生活を送っている子どもたちにとって、昼間の保育中にお父さん、お母さんがいることじたい、大変な出来事です。ですから、甘えてお母さんから離れなかったり、ちょっとしたことで泣いてしがみついたりと、大騒ぎの一日でした。

 その中で、お父さん、お母さんが来れない子どもたちは、いつものとおり、何事もなく、落ち着いて過ごしていました。「どうして私の母さんは来ないの?」とたずねる子はひとりもいません。みんな状況をわかっていて、すべて承知の上で何も言わないのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

あしたや共働企画

 今日は多摩市諏訪の商店街にある「あしたや共働企画」というお店に行きました。

 ここは、NPO法人による運営で、さまざまな障碍を持った人が働いています。実は、私の娘が職場実習を「あしたや」でやらせていただくので、挨拶と事前の打ち合わせに行きました。養護学校からは、担任の先生と、就職担当の先生が一緒に参加していただきました。

 このお店のようすについては、後日に報告いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本自閉症スペクトラム学会 資格認定講座・第二日

 昨日に続いて、日本自閉症スペクトラム学会主催の講習会に参加しました。

 「自閉症スペクトラム」とは、自閉症とその周辺の症候群(アスペルガー症候群、高機能自閉症など)は、その症状の差が連続体になっていて、区別がつきにくいという考え方です。さらに、一般の人との違いもあいまいで、境界がはっきりしていない、ということです。

 ですから、潜在的にアスペルガー症候群の人が一般社会の中で普通に生活しているケースはたくさんあると推測されています。個性との違いが明確化されていないので、すべてのケースにあてはまるわけではありませんが、人づきあいが苦手だったり、相手の気持ちが理解できずに人間関係で失敗ばかりしている人の中には、アスペルガー症候群の人がいると考えられています。

 障碍というラベリングをするのは、日本の社会の場合、差別につながることがあるので慎重さが必要です。しかし、早い段階から、自閉症スペクトラムということがわかれば、それを援助・支援することで、社会生活を円滑に送ることができるのです。

 自閉症スペクトラムの人は、1000人中30~60人と言われています。幸せな生活が送れるように、社会全体で考えなければならない問題です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本自閉症スペクトラム学会 資格認定講座・第一日目

 今日は、日本自閉症スペクトラム学会主催の資格認定講座に参加しました。
会場は、武蔵野市にある武蔵野東学園です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サッカーにみるスポーツのナショナリズム

 サッカーのワールドカップ・ドイツ大会の開幕が間近に迫っています。

 多くの人が、日本代表の活躍を祈り、大会期間中は日本国内でも大いに盛り上がることでしょう。このような平和の祭典において、自分の国の代表チームを応援することは、たとえナショナリズムであっても素直に認められるものだと思います。この時だけは日の丸にも誇りを感じます。

 しかし、サッカーの試合をめぐっては、過去に戦争が起きたり、いわゆる「フーリガン」という過激な応援団の問題などが外国ではあるようです。また、テロリストによる卑劣な行為にも用心しなければなりません。

 せめてサッカーくらいは、何とか平和に行われてほしいと思うのは、万人の願いではないでしょうか。私たちは素晴らしいプレーであれば、たとえ敵方の選手であっても拍手を贈ります。たとえ外国の人から「甘い」と非難されても、自国を応援するだけではなく、各国の熱戦を観て楽しみたいと思います。それは、本当にサッカーを愛する、素晴らしいことではないでしょうか。

 と偉そうに言っても、私はサッカーにそれほど詳しいわけではありません。ワールドカップが始まれば、にわかサポーターに早変わりするだけです。それでも、夢を与えてくれる私たちの代表を応援しようではありませんか。素晴らしい試合を期待しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

養護学校の授業参観

 今日は、娘が通う養護学校・高等部の授業参観に行ってきました。

 娘は高校三年生です。養護学校高等部は、普通中学、身障学級、養護学校中等部などから進学して来た生徒が集まっています。したがって、いろいろな子がいて、ちょっとおもしろかったです。

 一時間目は出産の記録を写真で表した本を見ながらの学習でした。なかなかおもしろい写真絵本でしたが、生徒たちはいまひとつ実感が湧かないようでした。

 二時間目は国語でした。謙遜語などの学習でしたが、難しいことをやっているんだなぁ、と思いました。

 三、四時間目は美術でした。修学旅行の絵を描いたり、陶芸用の粘土を使っての造形活動を行ないました。この美術の時間が、子どもたちが一番生き生きと、のびのびとしていました。指導した先生の話によると、三年生になり美術の時間が少なくなり、将来の余暇としてのきっかけがつかめればいい、とおっしゃっていました。

 確かに、障碍のある子は余暇の使い方、休日の過ごし方が、あまり上手ではありません。何をしていいかわからないことが多いのです。また、やることがあっても、一日中ゲームをしたり、テレビを観たりと、単調な過ごし方になってしまいます。

 陶芸のようすを見ながら、私も、今度の休みの日には、娘と絵を描いてみようかなぁ、と思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »