2月1日の参院予算委員会で、小泉純一郎首相は小泉改革に伴う社会格差の広がりを指摘された点について、「格差が出ることは別に悪いこととは思わない。チャンスをつかむ機会をたくさん提供することが大事だ」と発言しました。
今、日本の国民は一握りの上流社会と、大多数の下流社会に二極化している、という指摘もあります。
勝ち組、負け組など、格づけすることが大好きなのでしょうか?
東京新聞3日付けの記事の中で、教育評論家の尾木直樹氏は格差を認める風潮が教育現場に悪影響を及ぼしている、として次のように述べています。
「(市場原理の競争に基づいた)新自由主義が社会に浸透してくるにつれ、勉強のできる子もできない子も一緒に授業を受ける教育は『悪しき平等主義』という雰囲気が高まり、かつては差別といわれた習熟度別授業が急速に公立小中学校に導入されていった。しかし、『ゆっくり』クラスでは簡単な授業しかしていないので、子どもたちの学力は向上していない。実態はまやかしにすぎなかった」
小泉首相は「負け組になっても再度挑戦して勝ち組になれる社会にしたい」とも言いました。しかし、尾木氏はこうした視点の落とし穴について述べています。
「義務教育で落ちこぼれ、その格差が習熟度別授業で固定化されてしまったら、再挑戦なんてできなくなってしまう。こんな教育が10年続いたら、国がつぶれてしまう」
実は私の勤務する保育園でも、保育方針のひとつとして「習熟度別の保育指導」というのを行なっています。折り紙ひとつでも、できる子は難しいものを折る、できない子はやさしい折り方でやる。―私は現場で保育をしながら、本当にこれでいいのか、ということをいつも考えています。
保育の場では、ただの折り紙で済まされるかもしれません。しかし、教育の現場・授業では、算数を中心に三グループくらいに分かれた習熟度別授業がごく一般的に行なわれているようです。
私は、下の娘が小学生だった時に、習熟度別授業について担任の先生に文章で次のように質問をしました。
習熟度別のクラスはどのようにして分けるのですか? 成績やテストの点数などで決めるのであれば、その明確な基準を公表してください。
子どもの希望でクラス分けをするのであれば、もし、ある子どもが実力以上のクラスを選んだ場合など、その子どものレベルに合わない選択をした場合は、先生はどのように指導するのですか?
レベルが下のクラスの子どもが、上のクラスの子どもから差別されたり、いじめられたりすることはないのですか?
レベルが下のクラスの子どもたちが、将来的に平均、あるいはそれ以上の学力を習得する機会、指導は行なわれるのですか?
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小学校の先生からの回答は、一言もありませんでした。当時は先生方も試行錯誤をしているのだろうと思って、それ以上追及することはしませんでした。
しかし、いま現実の保育現場で、自分自身が園の保育方針に基づいて習熟度別指導をしていると、これは子どもの立場からのもの、というよりは、「教えやすいという大人の側の論理」ではないかと思うことがあります。折り方が上手でない子どもには、簡単な折り方だけやっていれば保育者は楽なのです。
そして、習熟度別指導は、尾木氏が指摘するように下のグループの子どもは、いつまでも下のグループという危険をはらんでいます。学力の低い子どもがわけのわからないレベルの高い授業を漫然と受けることは確かに問題です。したがって、グループ分けは、一時的な試行としては必要かもしれません。しかし、一度分けられてしまうと、そのままになってしまうのが現状ではないでしょうか。
現在の習熟度別指導は、強者からの視点の論理に過ぎません。
指導というものが、上からの視点で行なわれる以上、悪気ない差別がこれからも続くのでしょう。これ以上発言すると私は今の保育園からスケープゴートされるかもしれません。しかし、多様な、そして子どもの心を考えた保育・指導というものをこれからも、わたしひとりでも、考えていきたいと思います。