Yさんからのてがみ

Yさんからのてがみ
2年生になったYさんから、おてがみをいただきました。
Yさん、いつもどうもありがとうございます。

わたしは、きょう、せいがの森ほいくえんへ行きました。
みんな、わたしのことをおぼえていてくれて、ひさしぶりにあそびました。

あとになって、2年生になったYさんたちみんなにも、あいたくなってしまいました。

また、いつか、みんなであそびましょうね!

Yさんのおてがみでは、さんすうのべんきょうが、むずかしいそうですね。
かけざんもはじまったのでしょうか。
おぼえることがたくさんあるかもしれませんが、1ど、おぼえてしまえばおもしろくなるとおもいます。

じぶんのペースで、むりをしないで、ゆっくりとがんばってください。

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「明日への遺言」

「明日への遺言」という映画を観ました。

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第二次世界大戦後、名古屋の住宅地一帯を無差別爆撃を実行したアメリカ軍搭乗員処刑の罪に問われ、戦犯裁判にかけられた元東海軍司令官・岡田資中将。空爆は軍事施設に限定した国際条約に違反した無差別爆撃を行なったアメリカ軍搭乗員はジュネーブ条約に規定された捕虜ではなく、戦犯であるという主張を一貫として行ない、法廷闘争を法による闘い―「法戦」と名づけ立ち向かう岡田資中将。

部下を守り、すべての責任は命令を下した自分にあるとする岡田氏の潔い姿は、次第にアメリカの検察官や裁判官をはじめ、法廷内、収容所内にいる人々の心を動かしていきます。

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そして、言い渡された判決。

死と向き合い、若い部下を思い、家族の行く末を思い、そして生命をかけて責任を果たした岡田資中将。

その日、立ち会った僧侶が「お別れです」と言葉をかけたのに対し、「なあに、ちょっととなりまで行ってくる気分ですよ」と言って処刑場へ消えた…

ほとんどのシーンが法廷での場面で、主演の藤田まことの迫真の演技が光りました。弁護士役のロバート・レッサー、検察官役のリチャード・ニールもいい味を出しています。

さまざまな偽装問題が毎日のように報道される現代。怒鳴るように言い訳する人々。自分さえ良ければいい、自分だけを大切にする、という風潮が強い世の中。家族の愛情に支えられ、一旦自分が背負った責任は最後まで果たそうとした岡田中将のような人は、現代社会にはいないように思います。

決して過去の話というだけで片づけるのではなく、私たちは社会に生きる以上、何かしらの責任があることを自覚する必要があるのではないでしょうか。

大人として、父として、母として、企業人として、社会人として…

岡田中将が単なる意地だけで主張していたのではなく、自ら信仰する仏教の教えに従い、お経を唱え、座禅を組み、瞑想をしながら自分の気持ちの糸を張り続けた姿には、学ぶものが多いと思います。

自分の主張だけをすればいい、というのが世の中の流れのようですが、私は重荷から逃げ回ることよりも、与えられた責任を最後までまっとうすることを選びたいと思います。

今、責任ある仕事をする上で、岡田中将の気持ちに少しでも近づきたいと思いました。

若い人たちにも観てほしい映画です。

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「犬と私の10の約束」

「犬と私の10の約束」という映画を観ました。

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人が犬と一緒に暮らす時の約束を「犬の気持ちからのお願い」という形で「犬の10戒」というのがあるそうです。それを紹介するサイトは世界に100万以上あるそうです。

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  1. わたしと気長につきあってください。
  2. わたしを信じてください。それだけでわたしは幸せです。
  3. わたしにも心があることを忘れないでください。
  4. 言うことを聞かない時は、理由があります。
  5. わたしにたくさん話しかけてください。人の言葉は話せないけど、わかっています。
  6. わたしをたたかないで。本気になったらわたしの方が強いことを忘れないでください。
  7. わたしが年をとっても、仲良くしてください。
  8. あなたには学校もあるし友だちもいます。でも、わたしには、あなたしかいません。
  9. わたしは10年くらいしか生きられません。だから、できるだけわたしと一緒にいてください。
  10. わたしが死ぬとき、お願いです。そばにいてください。そして、どうか覚えていてください。わたしがずっとあなたを愛していたことを。

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とても感動する映画でした。

人間よりもはるかに寿命が短い犬とのつき合いは、生まれる時から死ぬ日まで続きます。この10戒は、犬と人との約束だけではなく、人と人の約束でもあるように思えます。

特に、最後の10番目の約束は、逝く時に愛する人たちが見送ることの大切さを教えてくれます。

なぜ、つらい死に向き合わなければならない犬を人は家族にするのでしょうか。

映画の中で、主人公のあかりは犬のソックスをとても大切に可愛がります。しかし、中学、高校、大学と成長するにつれて、あかりの人生も多様になり、ソックスとのつながりは希薄になってしまいます。

しかし、ソックスはいつまでもあかりのことを待っています。獣医になったあかりがそのことに気がついた時、ソックスは天国へ旅立ちました。

ある意味では、大切な人との別れの練習を犬はさせてくれているのかもしれません。

すべての動物は、人と共存する生き物です。特に、犬や猫は、人と一緒に歩んできた歴史があります。そのことを深く考えさせられました。

私は、主演の田中麗奈さんと、父親役の豊川悦司さんの親子関係がとても印象に残りました。私は実生活では一応3人の娘の父親ですが、その役割をはたしているかというと、とても疑問です。山あり谷ありの親子の歴史を観たようです。

名作ではないかもしれませんが、とても素晴らしい作品でした。

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「砂時計」

「砂時計」という映画を観ました。

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エンド・クレジットが流れるまでまったく知りませんでしたが、原作は芦原妃名子さんという方による少女漫画です。

最近のドラマは原作がマンガばかりだなぁ、と感じることが多かったので、「砂時計」もそのことを知っていたら、劇場で観ることはなかったかもしれません。

映画は、島根の自然を十分に見せていました。忘れられた里山の風景を堪能することができました。

私のように、今まで生きた年数が長いと、このような恋愛ものは、とても複雑な気持ちにさせてくれます。物語の結末も気になりますが、自分の経験して来たこととだぶってしまいます。

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砂時計の下に落ちた砂が過去、細いところを通り抜けている真ん中が現在、そしてまだ上に残っている砂が未来。これは当たり前のようで、とても奥が深いと思います。

砂時計をひっくり返せば、過去が未来になる。

これは、若いとは言えない私にとって、力強い言葉です。

いつまでも、恋愛をしていたいですね。

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オリンピックへの失望感

子どもの頃は、オリンピックに対する期待と高揚感があったことを覚えています。

最も古い記憶は、1964年の東京オリンピックでした。その後、1968年のメキシコ大会を経て、1972年にはドイツのミュンヘンで開催されました。

ミュンヘンオリンピックの当時、私は中学生でバレーボールをやっていました。日本の男子チームが全盛期を迎え、今では信じられないことですが、みごとに金メダルをとりました。準決勝の「ブルガリア戦の大逆転」などは、夜中までテレビの前にクギ付けになって観たものです。当時世界一速いと言われた森田選手のドライブサーブをまねしたり、嶋岡選手のサーブを研究したものです。

娯楽が少なかったと言えばそれまでですが、4年に一回のオリンピックは、スポーツ少年にとって、大きな祭典でした。

その後、1976年のモントリオール大会では、体操のコマネチ選手が活躍しました。

しかし、華やかな裏では、オリンピックは確実に政治と戦争によって崩壊への道を歩んでいたしのです。

72年のミュンヘン大会ではパレスチナゲリラによるイスラエル選手団の虐殺事件が起き、モントリオール大会では台湾の参加が中国の政治的圧力によって取り消され、80年のモスクワ大会はソビエトのアフガニスタン侵攻に抗議して、日本を含む西側諸国が参加をボイコットしました。その後もオリンピックと政治は深く根が絡み合って現在に至っています。

そして、今回の北京大会を前にして、チベット問題が世界から注目されています。聖火リレーへの抗議の妨害行動、それを阻む大警備陣、ナショナリズムまる出しの中国人たち。

オリンピックに政治を持ち込んではいけない、とよく言いますが、政治の方が勝手にどんどん踏み込んでしまっているのが事実です。

オリンピックを国威発揚の場とし、民衆のナショナリズムを喚起させ、外国の意見にはまったく耳を貸さない、という国の姿は、ナチスドイツによって開催された1936年のベルリンオリンピックを思い出させます。

もう、オリンピックに対する想いは虚しくなってしまいました。東京で再びオリンピックを開催する意味もないと思います。国と国が競うことは、マイナスばかりではないかもしれませんが、政治や戦争とセットになっている以上、もうやめた方がいいと思います。

愚かなオリンピックには興味がありません。むしろ、嫌悪感を覚えます。

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死刑は本当に必要なのか…

母子殺害事件の被告に死刑の判決が出たことにより、マスコミでさまざまな論調が流れています。

この事件の争点は、犯行当時未成年だった被告に極刑である死刑は妥当か、ということと、若い母親と幼い子どもを殺害した、という残虐性に対する死刑の意味ではないかと思います。

死刑を認める人の最大の主張は、犯罪の抑止力としての死刑を挙げます。また、殺人という罪を犯した者は、死をもって償わなければならない、という意見もあります。この事件の遺族も同様のことを記者会見で述べています。

一方、死刑廃止の主張は、死刑が犯罪の抑止にならないどころか、事件の真実を隠ぺいしてしまうと言います。確かに、小学校で生徒を多数死傷させた被告は、事件の真相や心の内側をまったく明かさないままに、世論の支持を受ける形で死刑になりました。

私も、もし最愛の家族が殺されるようなことがあれば、犯人は死刑にすべきだ、と声高々に言うかもしれません。

しかし、一時の感情だけで、極悪非道の人であっても、死刑という合法的に生命を奪い取ることは、はたして正しいことなのでしょうか。

論点から外れてしまうかもしれませんが、日本の刑事罰の場合、死刑の次に軽いのが終身刑ですが、実際には終身刑になった人が仮出所という形で社会に戻る場合があるようです。これが、死刑という足かせを外せない理由かもしれません。つまり、無期懲役と判決が出ても、本当の意味での終身刑ではないのです。

肉親を殺された遺族にとって、犯人が社会に帰って来るのは、感情的にも許せないでしょう。社会一般の人々にとっても、殺人を犯した人が10年や20年程度で刑務所を出て、社会復帰することに疑問を持つと思います。

死刑ではなく、生涯生き続ける中で罪を償う方法はないのでしょうか。「目には目を」「殺人には死刑を」という出口がない迷路の中をいつまでもさまよい続けることに、私たちはそろそろ考え直す時が来たのではないでしょうか。

本当の意味で、犯罪を抑止するには、厳罰化ではなく、犯罪を起こさせない社会の構築ではないかと思います。特に教育、心理学や心理療法に取り組む人は、それを考え実行する必要があるのではないかと思います。何もしないで、最初から諦めるのは終わりにしたい気持ちでいっぱいです。

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T.Rくんへ

T.Rくん、8さいのおたんじょうびおめでとうございます。

いまでも、ドラゴンボールをみていますか。

いまでも、ベジータがすきですか。

つよい人にあこがれることは、とてもいいことだとおもいます。

そして、Rくんがもっている、

やさしさもたいせつにしてください。

また、キャンプにさそってください。

こんどは、わたしも川にはいりたいです。

おとうさん、おかあさん、おねえさんによろしく。

また、おあいできる日をたのしみにしています。

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こぐま会25周年記念

こぐま会25周年記念
13年ほど前のことですが、当時勤めていた幼児教育実践研究所「こぐま会」の創立25周年記念パーテイーに招待されました。

懐かしいスタッフとも感動の再会をしました。

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私の隣にいる方は、最初に勤務していた多摩市の保育園でお世話させていただいたA子さんです。すっかりきれいな女性になっていて、再会した時は、ドキドキしてしまいました。今は都内の某有名美術館に勤めているそうです。

こぐま会は、有名私立・国立小学校の受験教室として、その方面では大変有名になりました。三省堂を始め、全国の大型書店で教材を販売し、毎年たくさんの子どもを有名校へ送り出しています。

私は、こぐま会の教育システムが受験教育だけに使われるのではなく、将来は障碍児の療育にも応用されることを期待しています。実際、私は「IEPのびのび教室」(多摩市永山)の指導員をしていた時には、障碍のある子どもたちに、こぐま会のペーパー教材や絵カードを多数使って指導をしていました。

多くの子どもたちのために、このような教育資産が使われることを祈っています。

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二女の誕生日

今日は二女の誕生日です。

私と1日違い。今日で20歳になります。

いよいよ成人の仲間入りですね。

「コラボいなぎ」という就労支援施設で働き始めて2年目を迎えました。やっと仕事のペースにも何とか慣れて来たようです。

まだまだディズニー・リゾートに行きたいお歳ですが、そこが娘としては可愛いですね。

知的障碍というハンディキャップを背負って、これから歩む道は決して平たんなものではありません。私が元気に働ける間は何とかできても、親が死んだ後のことを考えると、胸が苦しくなります。

現在の日本の社会構造は、障碍者や高齢者などの弱者はどんどん追いつめられて、崖っぷちまで来ています。障害者自立支援法などにより、経済力がある人だけが人間としての生活を保障されている社会の中で、障碍者の親としては、将来がとても不安になります。

でも、YURIEさん。

辛いことや悲しいことばかりが世の中ではないと、私は信じています。

あと何年一緒に暮らせるかわからないけど、あなたのために私は一生懸命がんばって働きます。

あなたは、あなたの人生を送ってください。

そして、楽しむ時は、おもいっきり楽しんでください。

20歳の誕生日、おめでとうございます。

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49歳最初の日

当たり前のことながら、49歳最初の日を迎えました。

40代最後の一年が始まりましたね。

子どもの頃は、40歳、50歳なんてはるか雲の彼方で想像もつきませんでした。でも、実際にその歳になってみると、あまり変わり映えはしません。

確かに肉体は衰える一方ですが。最近は眼もかすれて来たし。中学の同級生の中には、すでに他界した方もいます。そんなことを考えると、先がどうなるのか、わかりません。

しかし、気持ちは18歳や20歳の頃とあまり変わらないつもりです。気力も若い頃よりは充実している感じがします。

それも、今は責任ある立場で社会にいるからでしょうか。

とにかく、つぶれないこと。これが今、いちばん大切にしていることです。

卒園した2年生のみんなにも、また会いたいので、健康を維持することが第一ですね。

48歳で、こども環境管理士の資格を修得したので、また、この1年がんばるための新たな目標を立てたいと思います(後日発表…)。

ここまで何とか生きて来られたことに、深く感謝したいと思います。

そして、これからも、自分の力を自覚しながらがんばりたいと思います。

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